第26話
「そんな感情は捨てて、僕に全てを委ねてごらん?」
「ひゃあ!?」
咄嗟に息が吹き掛けられた耳を押さえて背後を振り向くと、其処には栗里がいた。ウイリアムに似ていると言われる整った顔に微笑を浮かべて、鳴海を見つめる栗里から発された声は、いつもの栗里の声よりも低く抑えられていて、まるでゲームの中でウイリアムが囁いてくるような声だった。そんな声を耳元で、しかもウイリアムの台詞そのもので聞いてしまって、鳴海は此処が学校だと言うのに、一瞬ゲームに熱中しているときのような錯覚を覚えてどきどきしてしまった。ちょっとほっぺたが熱い。
「く、栗里くん……! なによ、急に……」
鳴海の動揺を喜ぶように栗里は、おはよ、と声を掛けた。
「なんか喧嘩かな? と思ったから、チャンスかなと思って。ねえ、ちょっとドキッとしなかった? 今の台詞、『TAL』のキャラクターの台詞なんだよ。清水にねだられて声真似させられてたんだけど、こういう台詞に女の子はときめくんだよね。どう? ドキッとしなかった?」
にこにこと邪鬼のない笑みを浮かべておいて、その実、女子受けを狙っているとは根性が悪い。ウイリアムはそんな心根でその台詞を言わないし、鳴海の妄想の中ではその言葉はテリースに向けて言う言葉だ。
「しないわよ。っていうか、いきなり耳元で囁かないで。そんなエロいことは妄想の世界だけで十分よ」
「妄想? 市原さんはそういう事を考えるんだ?」
うっかり口から飛び出た言葉に食いつかれて鳴海は焦った。ここで腐女子であることを知られるわけにはいかない。
「いやいや!! 私の話ではなく!! なんか妄想って言葉を時々聞くから!!」
慌てて言い訳をする鳴海を興味津々で見ている栗里に、梶原が釘を刺す。
「その辺にしとけよ、栗里。市原を怒らせたら怖いからな。リッツカートルトンホテルでアフタヌーンティーおごらされるから」
そのカートルトンでゆめかわ世界にキャッキャしたのは何処のどいつだと言いたかったけど、ぐっと言葉を飲んだ。しかし栗里は梶原の言葉にも動じない。
「別に市原さんの為なら幾らでもおごるけど」
全く、くじけない男だな。こういう男、鳴海の好きなBLの世界では当て馬なんだよな。強引故に、主役の受けはよりやさしい攻めへの気持ちを自覚すると言う展開。つまり、こういうキャラは幸せになれない。鳴海はそう思って栗里からツンと顔を逸らした。
「それに、市原さんが顔赤くしたのは見逃してないし。結構脈ありかな、って思ったんだけど?」
うっ、それを言われるとごまかしようがない。何せこんなにウイリアムに似た声を発するとは思っていなかったのだから。
鳴海を見てくる栗里に対して、一旦息を吸い込んでから応じる。
「声が良いことは認めるわ。でもドキッとしたのは不意打ちだったからだし、栗里くんが言うようなドキッとじゃないから」
「あれっ、声の良さは認めてくれるんだ。じゃあ、そっちから攻めようかな」
調子に乗った栗里を前に、鳴海は反射でもドキッとしてしまったことを後悔した。ウイリアムはこんなに軟派じゃないし、テリースに一途な愛を抱いてその愛を捧げている貴公子だ。恋愛をおもちゃにする栗里とは全然違う。
「栗里くんに何されても、私は栗里くんの思い通りにはならないから。そこ、把握しておいてよね」
ああ、梶原に怒りをぶつけていたのに、その矛先が栗里に向いてしまって、梶原の不義理を指摘する気力もなくなってしまった。丁度予鈴が鳴って、三人は教室に戻った。席に着く直前に梶原が鳴海の腕を引いて、俺は笑ったわけじゃないぜ、と言うと、
「昨日の恩もあるしな。お前に全面的に協力してやるよ」
と言った。感情の矛先が栗里に向かっていて一瞬何を言われたか分からなかったが、翌日なんと、鳴海があれだけ探して見つからなかったウイリアムとテリースのアクリルキーホルダーを手渡されて、鳴海は感涙でむせび泣くかと思った。
「うっそ! 何処にあったの!? 私もめちゃくちゃ探したけど、この二人はどうしても見つからなかったのよ!?」
「俺が本気出せばこんなもん朝飯前だぜ。何年クロッピのグッズを探して彷徨ってたと思うんだ」
成程、同じオタク同士、超えてきた修羅の道は、己をグッズへの敏感センサーを発達させたという事か。なんにしろ、鳴海があれだけ探しても見つからなかったウイリアムとテリースのアクキーだ。
鳴海は手渡された二人のキーホルダーをうっとりと眺め、そしてポーチの中の鏡を入れていた巾着袋に二人を大事に収めた。考えてみれば、最初のデートの時に買ってもらって鞄についているクロピーのキーホルダーは偽装の為の贈り物だったが、この鳴海の推しの二人のキーホルダーは、正真正銘、梶原が鳴海の為に探して買ってくれたものだ。梶原の心遣いが染み入る。契約とはいえ付き合い始めてから初めての、真の意味でのプレゼントを貰って、鳴海はちょっとだけ、じんわりと心が温まる思いがした。
正直に言おう。すごく、嬉しい……。
「……ありがとう……」
梶原を前に頬が緩んで、心の底からの笑みが浮かぶ。梶原も、満足そうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます