第19話 「この世にあっては、ならない事」


 小さな修道院長は黒衣の裾を引き、立ち尽くしていた。その足元には巨大な息子がうずくまっていた。

 イグネイは静かに言った。


「——むすこさん、でしたか」


 修道院長はだまって、白みはじめた空を見ていた。イグネイはつづける。


「清き身の修道院長に、息子がいた。しかもそれが、村に盗賊を引き込む手引きをしていた。

 理由は知りませんが、貴方の身の破滅になるのは、確かですね」

「……だれにでも、秘密はある」

「ええ、そうです。誰にでも秘密はある。

 ですが、秘密を守るために他人を火あぶりにし、さらに他人の十年を盗むことは――ただの、罪です。修道院長」


 ゆっくりと、森に光が満ちてきた。夜明けが森のすみずみにまで、満ちあふれようとしていた。

 イグネイは修道院長に近づいた。


「俺が知りたいのは――あなたがなぜ、サジャラを殺さなかったのか、ということです。

盗賊の一件は、濡れ衣を着せられたひつじ番を処罰したことで終わりました。だとしたら、あなたにはこの十年、サジャラを生かしつづけておく必要はなかったはずです。

 森の中で一人で暮らすサジャラを殺すことは簡単だったでしょう。あなたしか、彼女が生きていることを知らなかったんですから」


イグネイの問いに、修道院長は平板な声で答えた。


「……われらは天のしもべです。偽りを口にしても、殺生はいたしません」

「それが、あなたの誇りですか」


 いたましそうに、イグネイは尋ねた。老いた修道院長はかすかに笑って、イグネイを見あげた。


「人には、拠って立つ岩場が必要です。たとえどれほどぐらつき、あやうくても、この一点だけを守れば生きていけるという岩場が必要なのです。

私は、たしかに姦淫の罪を犯して息子を得ました。息子が道を踏みはずし、盗賊団の一員となってもかばい続けました。そのために、無実の人間が火あぶりになった――罪はすべて、私の上にあるでしょう。

サジャラが、どこまで知っているのかわからなかった。幼すぎたからです。

どこまで知っているのか確かめるために、成長するまで森に置いておこうと思った。

やがて、何も知らないということが分かったが、その時にはもう――」

「もう?」


 イグネイの言葉に、修道院長はかすかに笑った。


「もう、サジャラを村に戻すことはできなかった。サジャラの母は死に、戻っても家族はなかった。あのまま、森に置いておくのが正解だと思われたのです」


 修道院長はゆっくりとかがんで、乾いた土から聖別された剣を取った。


「公子、初めてお会いした時、私がこういったのを覚えておいでですか。

『秘密は、秘密のままにしておくほうがいい。人は、この世にあってはならない事を抱えつづけることはできない』と」


「覚えていますよ、修道院長。

 貴方はこういった。『身に耐えかねるからこそ、秘密を手放すのです』と」


 にこり、と修道院長は笑った。


「そうです。そして身に耐えかねる秘密であっても、それが大事なもののためなら、人は堪えうるのです。たとえば家族のため、子供のために。

 ちょうど、あなたのお母上のように」

「母上? 俺の母がなぜここに――あっ!」


 イグネイが叫んだ瞬間、修道院長は手にした鋭利な剣をするりと自らの喉に突き刺した。鋭利な剣は、乾いてやせた老人の喉に、怪鳥のくちばしのごとくあっさりと突き立った。

 まるで、最初からそこにあったもののように。

 古い秘密を、ようやく解き放ったあとのくちばしのように。


「——とうさんっ!」


 若い修道士が駆け寄った。剣とともに崩れ落ちた老父の身体を抱きしめる。


「とうさんっ、とうさんっ!!」


 巨体の修道士は父の身体に伏せたかと思うと、首に刺さったままだった刃を引き抜いた。


「お前さえ、こなきゃ……! お前さえ……!」


 鋭い刃がイグネイに襲いかかった。

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