第14話 「小さいけれども、確かな光」
魔物はイグネイの腕の中でふるえながら、ゆっくり話しはじめた。
「ここのまえは、むらにいた。
あるひ、となり町でまつりがあって、みんな出かけた。むらの大きな、かべをしめて」
「集落をかこう城壁だな、たしか百年ほど前にはもう作られていた。侵入者を防ぐために、かんぬきをかけたんだろう。盗賊はどうやって入ったんだろう?」
「わからない。なんにんも、なんにんもきた」
「……ふうん」
「どんどんぬすんだ。家のものも、ひつじも。火を付けた」
「お前は、それを見ていたのか?」
「みてない。声だけきいた。したの、氷室にいたから、足だけみた。いやなにおいがした。あつかった」
盗賊団は男どもの留守を狙い、強奪を働いてから集落を燃やしたのだろう。年寄りや子供、女たちなど、祭りに行かなかった者たちが焼け死んだのだ。
イグネイは戦場で何度も嗅いだ匂いを思い出した。胸がむかつくような、甘ったるい人間が焼けていく匂い。
魔物はつづけた。
「くろいものが、だしてくれた。きかれた、『てびき』をみたかって」
てびきとは、『手引き』だろう。がんじょうな石造りの城壁は、集落を守るためのものだ。しかし内側の人間が盗賊団と呼応してかんぬきを開ければ、どれほど分厚い城壁でも、意味はない。
「しかしお前、手引きも盗賊団も見ていないんだろう。地下の氷室にいたんだから」
「みてない。でもくろいものが『あれを ゆびでさせ』って。だから、ひつじばんを、さした」
「そいつが手引きか?」
「ちがう」
「ひつじ番は、どうなった」
「しらない」
「つまりひつじ番は濡れ衣を着せられたわけだ。村を襲った盗賊団を手引きした罰は、軽くない。縛り首か、火あぶりか」
イグネイの腕の中で、魔物の少女はぶるりとふるえた。からっぽの瓶がカタカタ揺れた。
「それから――ここにきた。くろいものが、つれてきた」
「黒い魔物に誘導されて嘘を言い、その報酬が、永遠に他人の秘密を守る仕事だったのか……百年だか、二百年だか、ずっと人の秘密を守り続けて……」
イグネイは胸が締め付けられる気がした。そのときふと、ひらめいた。
「この瓶は、どうしたんだ?」
「くろいものが、くれた。いつか、ぜんぶおわるからって」
『終わる』とは、魔物が魔物でなくなるという意味だろうか。つまり魔物は永遠に生きなくてもよくなる。
「告解したいのか?」
魔物はイグネイの腕の中で目を伏せた。妖魔の長いまつげに、緑色の光が落ちて影を作っていた。
あやしい美しさ。魔とは、人をだますために天もおそれぬほどの美しさを作り上げるのだ。
「告解したら、秘密は消える。だが、お前自身も消える。いいのか」
魔物はゆらっとした。揺れるたびに魔物の身体も緑色に光っているようだった。
その光を見ながら、まさしく魔だ、とイグネイは思った。しかし、そもそも魔物が修道院へ入れるのか。告解できるのか。
わからない。わからないが、イグネイはこの愛しい魔物に奇跡の予感を感じる。世界が変わるかもしれない。この魔物とともにあることで。
イグネイはもう一度たずねた。
「ここを――『聖なる森』を離れる覚悟はあるか。俺とともに」
こくり、と魔物はうなずいた。イグネイはささやいた。
「では行こう。遠くからでも、修道院を見たことがあるか?」
「みた?——みたことない――?」
魔物は混乱しているようだ。イグネイは腹をくくり、腕をほどいて魔物を自由にした。そして瓶の並ぶ棚に向かう。
「では、魔物よ。
俺の母の『秘密』を探せ。見つかれば、お前を修道院へ連れて行ってやる」
魔物はうなずいた。ふたりは、無数の『秘密』がならぶ棚に手を伸ばした。
求めるものは、トウィス・コンウォーリス・アルタモントの秘密だ。
瓶の名前を読むのに時間がかかった。やがて、魔物が声を上げた。
「――あった」
「うん?」
「おまえのびんが、あった」
イグネイは魔物に駆け寄った。
「見せろ」
魔物の手にある瓶には、たしかに母の名前がしるされていた。イグネイは右手に小さな瓶を持ち、左手で魔物の手を握り、庵を出ようとした。
そのとき、きゅっと魔物が手に力をこめた。イグネイを引き留める。
「なんだ、行かないのか?」
魔物は首を振り、イグネイから瓶をとった。
小さな瓶を、イグネイの服に押し込む。
「『ひみつ』は、ひかりがきらい」
「なんだと?」
「ひかりにあたる。はじける」
「はじける?」
イグネイがきくと、魔物は少しだけ考えて、
「しぬ。はじける」
といった。イグネイは魔物の手を握ったまま、つぶやいた。
「『秘密』は、ここでしか守られないものなのか。聖別された『秘密』をあるべき場所から持ち出したら、何が起きるんだ?」
とん、と魔物はイグネイの胸を指でつついた。
「しまっておく。だいじょうぶ」
だいじょうぶ。
他人から『大丈夫』といわれたのは、いつが最後だったのか。イグネイにはそれすら思い出せなかった。
『大丈夫』はつないだ手からイグネイの中に入り、ほわりとした光をともした。
小さいけれども、確かな光だ。
イグネイは微笑み、それから、からっぽの瓶を魔物に渡した。
『秘密』の入っていない瓶。『サジャラ』の名前だけが記された瓶だ。魔物はていねいに、からっぽの瓶を服の奥にしまった。
「いこう」
「いこう」
イグネイと魔物は、庵から出た。
外はまだ暗い。だが、夜明けの気配はすでに森の上にうっすらと届きはじめていた。
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