「ここへおいで きみがまだ知らない秘密の話をしよう」

水ぎわ

第一章

第1話 「この修道院には、秘密がある」

 焼けつくような暑さから一歩、修道院の中に入ると、すべてが静まり返っていた。ほのかに礼拝用の香が匂った。


「ここだけは、池の底のようだな」


 白銀の鎧をきしませながら。イグネイは副官に言った。短く切った黒髪から一気に汗が引いていく。

 副官はまだカブトも取らずに鋭い視線を修道院の石壁に向けた。


「さようですな、公子こうし。しかしここは戦略上、重要な土地です。断じて、ただの修道院にまかせておける場所ではありません。われら正規軍が常駐して、守らねば」

「それを修道院長に言ってくれ。私は交渉が苦手だ」

「は。お任せください」


 イグネイは黙って歩いた。廊下には敷物が敷かれ、イグネイが踏むたびに石床と金属がぶつかる音が鳴り響いた。


 この修道院には『秘密』がある、とイグネイは思う。


 俺が欲しいのは修道院じゃない、反乱軍の制圧も、戦略上の拠点もどうでもいい

 俺が欲しいのは――たった一つの秘密なんだ。

 それを手に入れるまで、イグネイはこの修道院を離れるつもりはなかった。

 たとえ王命がくだっても――。

 イグネイ・コンウォーリス・アルタモントはこの修道院を出ていかない。望みの『秘密』を、手に入れるまでは。



 修道院長は痩身を黒衣で包んだ、考え深そうな老人だった。

 丁寧になめした革のような皮膚に、ふさふさした白い眉毛。となりには二十代半ばらしき修道士が立っている。イグネイと同じくらいの年齢だろう。こちらは、修道士らしくないがっちりした体形の男だ。


 日々の祈りと農作業だけで、これほどの身体が作れるものか? それとも、この男の主な仕事は祈りに限定されていないのだろうか。

 たとえば突然やってきて修道院を明け渡すように迫る、王軍の司令官を追い出すことが仕事かも?


 修道院の一室に座り、イグネイは持参の銀のゴブレットから、持参のワインを飲んだ。

 隣では副官が、規律正しいが拒否をゆるさない強さの声で、今すぐ修道院を明け渡すよう命じている。


「これは王命です、修道院長。否やは言えません」

「突然、そういわれましても――この修道院はつくられて二百年以上たつ、祈りの場です。われら修道士百名、今すぐ立ち去ることはできません」


 このままでは話が進まない。イグネイはひんやりした修道院の匂いをかぎながら、口を開いた。


「——外では、兵士たちが汗を絞りながら槍や弓をかまえている。そうだな、副官」

「はい」

「彼らは私の指一本で、たちまちこの修道院の中に入ってくる。火を放つ。二百年たった礼拝堂も、百人の修道士も丸焦げだ」


 瞬時に、修道院長の隣にいた男が殺気を放ってきた。それも、騎士であるイグネイがたじろぐほどの強い殺気だ。

 やはり、ただの修道士ではないか……。

 イグネイはにやりと笑い、黒い目をきらめかせた。


「今日のところは、わが軍の野営を認めてもらいたい」


 イグネイは修道院長の返事を待たずに、副官に指示を出した。


「親衛隊は中庭に、兵士は外壁ちかくに天幕を張れ。水は修道院の井戸を使え」

「は」

「おっと、言い忘れた」


 イグネイは整った顔をにやりとさせて、言い添えた。


「修道院へも、近くの村にも、火つけ・略奪は禁止だ――今のところはな」

「今のところは、ですな。兵士にそう言っておきましょう」


 副官もニヤリとすると、修道院長と巨体の若い修道士をにらみつけてから出ていった。

 イグネイは、もう一口ワインを飲む。


「修道院長、ワインはいかがです?」

「遠慮しましょう」


 痩身の修道院長は口元をこわばらせて答えた。しかしイグネイは、宮廷中の女たちをとろかしてきた甘い表情で、もう一度言った。


「修道院長、良ければワインを、と申し上げている。毒殺が心配なら、御身のゴブレットを用意されたほうがいい」


 一瞬だけ、老いた顔が不審げにゆがんだ。が、すぐに元の顔に戻り、若い修道士に命じた。


「金の飾りのあるゴブレットを持ってきなさい。礼拝堂の聖物棚に置いてあるはずです」


 修道士は眉を上げ、何か言いたそうな雰囲気のまま、だまって部屋を出ていった。

 扉が閉じられ、足音が去っていく。部屋に残ったふたりは、何も言わずに足音が完全に消えるまで待った。

 やがて、修道院長が口を開く。


「何をおっしゃりたいのですか」


 イグネイは机に置いたゴブレットをどけて、ずい、と体を乗り出した。修道院長のとがった鼻の寸前まで、顔を近づける。


「——ある『秘密』が欲しい。この修道院に隠してあるはずの『秘密』だ」


 さっと老人の顔が青ざめた。


「どこで、それを――」

「詳細を説明している暇はない。あの男が戻ってくる前に話を済ませよう。

 俺が欲しいのは『秘密』をおさめた瓶だ。

 この修道院に告解に来たものの『秘密』を密封した瓶があるはずだ。それを、渡してほしい」


 ごくり、と修道院長のやせた首が音を立てた。老人の押し殺した声が、答える。


「あれは――あれは外へは出せません。たとえご本人がいらしても、いったんお預かりした秘密は二度と外へ出せぬのです」

「本人がここへ来るはずがない。そうだろう、修道院長?

 秘密を預けるのは、記憶を預けるのと同じことだ。告解が終わると同時に、しゃべった本人は秘密ごと記憶を失う。

 つまり、すっかり忘れてしまうんだ。


 だが、この修道院のどこかに、無数の『秘密』を預かっている者がいるはずだ。いわば『秘密の番人』だな。そいつが秘密を管理し、守り、隠し通している。

 俺はそいつに会いたい。あって、確かめたいことがあるんだ」


 一気に言いきって、イグネイは下から修道院長のとがった鼻をにらみ上げた。


「『秘密の番人』を連れて来い。さもなければ、今夜にも修道院と村はまる焼けだ」

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