第20話 魔女の友人・前編
帰宅の準備を済ませる。騒ぎながら各々の部活に向かうクラスメイトを横目に、私も教室を出た。
生徒でごった返す狭い廊下。いつも居るはずの場所に彼がいない。また委員会の呼び出しかな。
「あの、ちょっといい?」
後頭部に掛けられた声にびくりとする。
声のした方向に顔を向けると、スーツを着た一人の若い男性が立っていた。首からは名札がぶら下がっている。
この人、たしか一昨日からこの高校に来ている教育実習生の……。
「佐山先生。どうかされました」
「いま
二十代に相応しい爽やかな笑顔で答える。彼、佐山
私は少し考えてから口を開く。
「たぶん国語科準備室ですね、部室棟に行く途中にありますよ」
彼はぱっと笑って感謝の言葉を言う。が、瞬く間にそれは萎んでしまった。どうやら場所が分からないらしい。
千田くん探すついでに、連れて行くだけならいいか。
私が案内する旨を伝え、一旦人の群れから外れた場所に荷物を置く。彼は安心したかのように笑って見せた。まるで子犬みたい。
目的地のある南校舎は、特別教室が集中していることもあって基本的に人通りがない。運動部など部室を多く利用する生徒は出入りするが、それ以外では通り道でしかない。
私も授業くらいでしか行く機会がないから、向かう足がちょっと不安だったりする。
意外にも行く道中は無言だった。佐山先生は底抜け明るい性格の人だから、てっきりマシンガントークをするものかと思っていた。人を見た目で判断してはいけないとはよく言うものだ。
窓から部室棟の屋根が見え隠れする。そろそろ目的地だ。
ふと目前に何かが横切る。
びっくりして思わず半歩下がった。急に動いた私に後ろにいた先生も驚く。
飛んできた物体はすぐに床へ落ちた。それは白い球体に付けられた作り物の羽、バドミントンのシャトルである。
拾い上げるのと同時に横から声が聞こえた。聞き覚えのあるそれに顔を上げる。
「わーごめん泉さん! 変な方向に打っちゃって。当たってない?」
「林田くん。私は大丈夫だよ」
魔女の友人である林田くんは、体操着にラケットという格好をしてこちらに駆けてきた。そっか、バド部だったっけ。
シャトルを手渡すと、彼は私の背後に視線を向けつつ此処にいる理由を尋ねた。教育実習生の道案内だと簡潔に説明すると、林田くんは口角を持ち上げながら何か言いたげな表情になる。あ、千田くんが傍にいないことを気にしているのか。
彼はきっと部活の最中だろうから長話しをしてしまっては悪い。遠回しに「自分は一人でも大丈夫」だと言い、その場から離れようとした。
「ちょっと待って。右の袖にゴミ付いてるよ」
林田くんの言葉を聞いて、私は自身の袖を寄せた。
瞬間。
「走って!!」
思い切り彼は私の右手を握って走り出した。
唐突に掴まれ、案内中の先生の元から走り去ることに混乱する。しかし彼の必死さに従う他なかった。
「な、なに急に」
「あの先生さっき君を刺そうとしてたっ、それも首っ!」
更に加速して校舎内に戻っていく。通り過ぎていく景色に一瞥もできない。
林田くん曰く、彼は書類の後ろに刃を出したカッターナイフを隠していたらしい。それをたまたま振り翳していたところを目撃し、後先考えず、林田くんはわざとこちらにシャトルを打ったそうだ。
いつか千田くんが教えてくれた事を思い出す。
時にただの人間、つまり魔法を使えない狩人が存在すると。
そのような類の狩人は、普段は一般人として生活しているため世間体というものがある。要するに人目につく場所なら狩りを始めることができないのだ。
下手すれば警察沙汰になってしまうのに、どうしてそこまでして魔女を殺したいのだろう。あの人だって家族や友人がいるはず……。
「泉さん、咲薇呼んでっ ただの人間相手でも大人には勝てないっ」
速度を落とすことなく、生徒が残る校舎に行くも放課後では人が少ない。ここに居られるのも時間の問題だ。
彼の指示通り千田くんを呼ぼうと、走る足を止めず首に手を伸ばす。だが曲がり角に差し掛かったところで、先導していた彼が勢いを殺した。
塞がるように立っていたのは佐山先生だった。手にはカッターが握られている。
彼の
不幸にも人気がない。先生にとっては最高のシチュエーションだ。
震える刃を突き出し、彼は大きく肩で呼吸して言った。
「お願いだ、大人しく殺されてくれ。お前が死ねば、あの魔女だって死ぬと聞いたんだ。ミユの仇を討たせてくれ」
余りにもおかしな懇願に生徒二人は怪訝な顔で返事する。仇ってどういうこと? 千田くんが誰かを殺したの?
戸惑う私たちを他所に、先生は奇声をあげてカッターを振り下ろした。咄嗟に林田くんが前に出る。さっと血の気が引いた。
躊躇わずに首に刻まれていた刻印を引っ掻く。助けてと口の端から本音が漏れる。
泡が弾けるような音と、先生の短い悲鳴が空気を揺らした。
反射的に伏せていた顔を恐る恐る上げる。私の前にいる人影が一人増えていた。
毛先の跳ねた、赤みがかった短髪。心が安堵に包まれて私たちは彼の名を口にする。
何もない空間から突如として現れた魔女は、転送の直後に先生の持つ刃を蹴り飛ばした。手放したそれは遠くの床に落ち、硬い金属音を鳴らす。
手を蹴られた佐山先生が彼を怯えた瞳で見つめた。構わず千田くんは、自身の背後にいる林田くんに言う。
「シン、泉を守ってくれてありがとう」
優しい声音。感謝に慣れていないからか、とても言いにくそうだった。
眼前で腰を抜かした狩人を見据えて、彼は地を這うような低い声で言う。
「それが大人のやることか。仇討ちなんてガキみてぇな真似するな」
怒りの匂いが立つ。しかし彼は睨みつけるだけで先生を攻撃する
脅しにも似た少年の口調と出で立ちに、教育実習生は成す術なく立ち去った。
緊張感で静まり返る廊下に、林田くんの声が響く。
「よ、良かった助かったぁ……でも咲薇、捕まえておかなくていいのかよ」
千田くんは立てた人差し指を口元に寄せて返事をした。静かにしろってことらしい。
間もなく、遠くから女子の話し声が聞こえてきた。
「さっき慌てて走ってったのって佐山先生だよね」
「なんかめっちゃ焦ってなかった? どうしたんだろね」
会話は徐々に遠ざかる。やがて聞こえなくなり、やっと彼は林田くんの問いに答えた。
「センセーを縛り付けてるとこ目撃されたら困るだろ」
彼の説明によると、相手は魔力を持たないから戦闘になる可能性は低いため、予測不能な事態にはならないらしい。軽く
とはいえ他の
それに、今回は林田くんも巻き込んでしまったから彼も目を付けられている、と言う。保護対象が増えるのは千田くんにとって大きな負担になるだろう。
逡巡の後、千田くんは指示を出した。
「泉はいつも通り俺が送ってく。あとでハルデを向かわせるから一人になることはねぇな。シンは一旦部活に戻れ。お前も帰りは俺が送って、そのまま泊まる」
彼は私たちの不安を取り除くように、安心しろと言って一笑してみせた。
・
・
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「咲薇がうちに泊まるなんて久しぶりだなぁ。中学以来じゃね?」
パジャマ姿でシンが笑いかける。壁掛け時計が煌々と照らす明かりを反射した。短針は十一を指し示す。
借りた寝間着に触れながら俺は頷いた。
昼間、泉が教育実習生だという狩人に殺されかけたところシンが助けてくれた。そのことは感謝してもしきれないが、それが原因で彼も命を狙われる可能性が出てきてしまった。呪いの相手は使い魔に任せて、俺は友人の守護に回ることになり、こうして泊まりに来ている。
中学以来というのは、過去にもシンを守るために宿泊することがあったのだ。
小五の頃、しつこく付きまとう彼に辟易していたが、彼が俺のせいで殺されるかもしれないと分かって面倒を見るようになった。今でいう泉みたいな状態だ。
以前も話した通りココの関係は呪い云々ではなく、シンが迷子になっているところを助けたのがきっかけで続いている腐れ縁のようなものである。ただ彼がオカルト好きだったというだけの話であって、こちらからは近づいてなどいない。
電気を消してベッドに潜る彼を隣に、俺は
「……一晩中起きてる必要ってある?」
「死にてぇなら遠慮なく寝るけど」
「ごめんなさい起きててください」
寒さはエアコンの恩恵によって耐えられるし、オールすることも慣れているから問題はない。あるとしたらシンが眠れないことくらいだ。
暫くの沈黙。しかしすぐに彼が破った。
「なぁ咲薇」
小学生の頃から変わらない声の掛け方だ。俺は闇に向けた目を伏せて何だと応答する。間を置いてから言葉が返ってきた。
「オレってあんたの負担になってるよね」
何を言い出しているんだと呆れた風に返事をする。彼は普段のような口調で平然と言った。
「あ、いや、負担になっててもオレはあんたにこれからも付き纏う予定だし、縁切るつもりもないけどさ。泉さんのことを見てると流石にオレ、子ども過ぎるなって」
途中、口ごもってしまったため何と言っていたのか分からなかった。俺は溜息を吐いて言う。
「長い付き合いだから言えるけど、変わんねーお前に毎日助けられてんだぞコッチは」
聞き返すシンに続けて言ってあげた。
未知の世界や敵に怯えていた俺を、この世界に留めてくれたのはシンの存在があったからだと。
子どもながらに自分は周りと違う、普通でない境遇に劣等感や嫌悪を抱いていた。共に、安穏と暮らす人々に対して的外れな恨みも感じていた。
そんな人として幼い俺にとって、シンが持つ表裏のない性格は良い薬だったと思う。
彼には俺以外にたくさんの友人がいる。あの人当たりだ、大体の人間が良い印象に思うだろう。
だのに彼は、好んで俺のところへやって来る。他の奴らが「あいつは感じ悪い」と言っても、一言違うと言い切ってしまうことだってあった。
「俺ばっかりに構うのはやめろっつったのに」
同情かと問うたことがある。魔女だという少年の傍に居続ける理由は、ただの哀れみなのかと。
だがシンはきょとんとした顔で答えた。
魔法が、ではない。千田咲薇という人物が、だと言った。
たったそれだけの動機で、彼は魔女の友人になることを選んだ。後悔はないらしい。
問いを言いかけて口を噤む。対してシンは笑い声をあげた。
「構うなとか、格好つけるのは小学生の頃から変わんないね」
「は?」
「オレはオレなりに他の友達とも仲良くやってるよ。友好関係に優劣をつけてるつもりもない。咲薇といる時間が長いってだけ」
彼は
「あんたこそ他の魔女と仲良くする努力してんのか。これでも心配してるんだからな」
互いに背を向けたまま続けられる会話のキャッチボール。テンポは微妙にずれているが、それが何処か心地よい。
「……昔よりかは良好だと思うけど」
「比べる対象何百年前の話だよ。普通に人としてどうなの」
「多分まだ嫌われてる」
「だめじゃんか」
「因縁って根深いもんだぞ、そんな簡単に仲直りできるわけねーじゃん」
「えーそうかぁ? 咲薇は良いヤツなのになぁ」
シンが打つ半笑いの相槌に、俺は軽く表情を顰める。しかしふっと肩の力が抜けて安心できた。変わらない彼との他愛ないやり取りが、いつの間にか当たり前になっていることに口角が緩やかに上がる。
この部屋の外、恐らく南の窓側に気配を感じた。
使い魔だろうか。宙に浮かぶ魔力の塊に意識を向ける。
邪魔をするなと、こちらから力を込めた矢を放ってやった。気配は二、三度行ったり来たりをして去っていく。諦めてくれて良かった、シンの睡眠妨害はされたくないしな。
気付くと彼の声が聞こえなくなっていた。規則正しい呼吸音が微かに鼓膜をくすぐる。
まったく呑気な奴だ、コイツは。
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