第13話

「ボスコ、どうしても人間界に行くのかい?」

「はい」

「別に君まで彼女のようになる必要はない。彼女はやらかしすぎた。僕の庭で僕の定めたルールを守れないのは……ちょっとね」


穏やかな、聞いているだけでリラックスできる声。

白いカラスが泉に向かって喋っている。泉から声が返ってくるが、カラス以外の姿は見えない。

白いカラスはよく見ると、ところどころの羽根が虹色に輝いている。虹色に輝く羽根の数は12枚。


「人間界にはちょくちょく遊びに行ったらいいんじゃないかい? わざわざ快適なここを出て行かなくても」

「それでは彼女をずっと見守れませんから」

「ふふ。どこで覚えてきたんだい? そんな執着。そんなに彼女が大事?」


相変わらず声だけが響く。


「まぁ面白いからいいよ。でも、君は自分からここを出ていくんだ。彼女とは違って選ばせてあげよう。彼女の様に記憶をなくすが、白いままでいるか。それとも記憶は保持してただのカラスの外見になるか。どちらがいい?」


楽しそうに声は揺れる。


「記憶は……そのままで……」

「ふふ。それじゃあ君は黒いカラスになってしまうよ? 僕が気に入ってる虹色に輝く羽根もなくなる。白いカラスなら信心深い者達からは他のカラスの様に害獣扱いされない。僕は黒が良くないとは一言も言っていないんだけどね?」

「それでも……どうか記憶はそのままで……」

「分かった。それが君の覚悟なんだね。そうそう、制約はかけさせてもらうよ。彼女に彼女の正体を話しては駄目だ。その話題を喋ろうとしたら口が開かなくなる。あくまでも彼女自身が思い出さねばならないよ。元の姿に戻るとかね」

「はい」

「じゃあね、ボスコ。こういう時はさようならなのかな? それともいってらっしゃいなのかな?」


白いカラスはその声に答えられなかった。代わりに深々と頭を下げた。

泉に白い自分の姿だけが映っていた。



白いカラスは神の庭の端にいた。


「ボスコ!? おほほ、変な名前!!」


自分が思っていても言わなかったことをはっきり言った。彼女の笑い声を思い出す。


「名前って別に1個って決まってないわよね! じゃあ、アタクチがもっとかっこいい名前を付けてあげるわ!」


神につけられた名前を否定しても良いのだろうか。そんなカラスの葛藤をよそに彼女は嬉々として名前の候補を考えている。


「ゼノン! あんたはゼノンよ! アタクチはそう呼ぶわ」


そう言っていたのに。

ゼノンと呼んでいた彼女は堕ちてしまった。もうゼノンと呼んでくれる彼女はいない。


ここから踏み出すと、人間界への正規ルートではないから堕ちる。追放と同じだ。

人間界に遊びに行っていた時とは異なり、人間界から戻りたい時に戻ってこれない。


白いカラスは見納めだと思って空を見た。神の庭には、虹やオーロラが空に常にかかっている。ずっと見ていたくなるような非常に美しい光景だ。


でも、カラスにはそれがいつものように美しく思えなかった。

「アタクチ」とかわけのわからない一人称の彼女がいないからだ。

彼女が「ゼノン! 虹の上で追いかけっこよ!」と呼んでくれないからだ。

彼女は破天荒でとても眩しい存在だった。


白いカラスはそっと一歩を踏み出した。

視界の端に自分の白かった羽根が黒くなるのが見えた。虹色の羽根は抜けて空を舞う。それでも、カラスはその黒を先ほど見た空よりも美しいと思った。

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