第29話
俺は死を覚悟した。さっきの肺の損傷で呼吸はままならない。眼帯を外した身体強化作用も時間切れだ。
もう戦いようがない。つまりは生きようがない。
「ぐっ……」
せめて髙明や、他の皆だけでも離脱させたい。だがそれも叶わないだろう。今の満身創痍のこの身をもってしては。
がっくりと膝をつき、王に対する下僕のように項垂れる。その先にいる人物、いや怪物こそがドクだ。そんなことしかできない自分を呪いつつ、しかしそれが俺の限界だと悟る。
目を上げれば、怪物の脚部が膨れ上がり、突進を仕掛けようとしているのが分かる。
お袋、すまない。あんたの仇は討てたかもしれないが、その黒幕までは仕留められなかった。いや、こんな時くらい、母さん、と呼んでやればいいのだろうか。
俺が再び視線を落とし、焼け焦げたアスファルトの下に倒れ込もうとした、その時だった。
「はあああああああっ!!」
凄まじい気迫と共に、何者かがこの戦闘に割り込んできた。
「葉月!?」
その姿が視界に入る前に、俺はその人物の名を口にする。
葉月は怪物の斜め上方から強烈な蹴りを見舞う。きっと壁に身体を押しつけ、自分自身を跳ね飛ばしてきたのだろう。
しかし、そんな戦い方ができる人間は俺以外には――。
その時、ようやく俺は察した。
髙明はアンプルを紛失したのではなく、密かに盗まれていたのだ。その犯人こそ、今怪物と互角に渡り合っている――そしてそのために自らに注射を施したのであろう葉月だ。
「あの馬鹿ッ!」
俺はなんとか立ち上がり、葉月と怪物の間に割って入ろうとした。だが、足元に地割れが走ったのを見て後退りするのが精一杯。
葉月と怪物は、共に第三者を拒絶しながら拳を打ち合わせている。
しかしながら、葉月は徐々に劣勢になっていった。
当然だ。使い慣れないアンプル――一時的な筋力増強剤を使ったくらいで、身体がもつものか。
「ふっ! くっ! はっ! でやっ!」
回転蹴り。裏拳。再度回転しながらのローキック。続けて両腕を交差させて防御。
威勢はいいが、十分な威力が乗っていないのだろう。怪物は多関節となった細長い腕を駆使して葉月に迫る。
そしてついに、葉月は怪物の拳に捉われてしまった。
「ぐがっ!」
「葉月!」
怪物の拳は、葉月の右の二の腕を直撃した。そのまま吹っ飛ばされる葉月。
間違いなく、彼女の右腕はしばらく使い物にならない。
それでも葉月は、左腕をバネにして身を起こした。そしてなお、怪物に自ら接近を仕掛ける。この世の全ての忌避と憎悪を叩きつけるようにして。
その捨て身の攻撃は読み切れなかったのか。怪物はまともに葉月のタックルを喰らい、二歩、三歩と後退した。
葉月もまた、後方に跳躍して距離を取る。そして俺は、この状況の意図することに気づいた。
「和也! 和也、聞こえるか!」
《ああ、聞こえてる!》
「今、お前の手元にシャーリーはあるか?」
《一応持ってきてはいるけど――。まさか、ダリ・マドゥーの時と同じことを!?》
「そうだ、対戦車ライフルなら、あの怪物に通用するかもしれない。そこから狙えるな?」
《そういうことなら……! 分かった、あと十五秒稼いでくれ!》
この十五秒というのは、きっと解体して担いできたシャーリーを組み立てるのにかかる時間なのだろう。
しかし、その時間が経過するのを黙って見ているわけにはいかない。怪物を足止めしなければ。
そうは言っても、葉月もやはり体力の限界を迎えている。
「くそっ!」
俺は僅かに回復した体力を絞り切る覚悟で、怪物に駆け寄った。
先ほどの葉月に比べれば、歩み寄るに近い速度だったかもしれない。
だが、構いやしなかった。自分がくたばった方がマシだ。葉月に狙いを定めた怪物に好き勝手させるよりは。
「うおおおっ!」
再び地を蹴って、俺は怪物の側面から細かくステップ。懐に入り込み、踵に仕込んでいたダガーナイフを思いっきり突き刺した。
たかが小振りなナイフ一本で止まるほど、怪物は柔ではない。それは分かっている。だが、こちらとてただのナイフを使ったわけではない。
俺はわざと転倒し、頭部を腕で覆った。
直後、バァン、という破裂音が響き渡る。それはナイフに仕込んだ爆薬の炸裂音であり、怪物の腹部の肉片が飛散する音でもあった。
よろよろと後退する怪物。これでさっきの位置に押し戻すことができたはずだ。
「今だ和也! 弾倉一つ分、ありったけ叩き込め!」
復唱を待つまでもなかった。ダァン、という破壊の化身とでも言うべき銃声が響き渡り、拳銃とは比較にならない大口径弾が怪物の胸部の筋肉をズタズタに引き裂いた。
堪らずにのけ反る怪物。だが、和也の狙撃は終わらない。シャーリーの弾倉には八つの弾丸が込められている。そして残り七発が、見事に同じ場所に着弾した。
俺の位置からでも見えた。怪物の左胸部が貫通されるのが。
《シャーリー、残弾なし!》
「了解」
この期に及んで回復の機会を与えたら、今度こそ俺たちは全滅させられる。
だが、ようやく俺は勝機を見出した。怪物の心臓が脈打つのが目に入ったのだ。
あれさえ叩き潰せば……!
「葉月、髙明! 聞こえていたら、俺を放り投げろ!」
《な、何を……?》
ヘッドセットから聞こえてきたのは、弱々しい葉月の声。だが、どうしても彼女の協力が必要だ。髙明の腕力だけでは、俺を怪物のところまで高速で投げ飛ばすのは難しい。
俺がやろうとしていること。単純な話だ。怪物に捕捉されない速度で接敵し、あの心臓を握り潰す。それだけ。
ただし、これには絶対的な信頼に基づくチームワークが必要だ。
「おい剣矢、葉月はとても動ける状態じゃ……」
珍しく髙明が弱音を吐く。しかし、ヘッドセットからは荒い呼吸音と共に、こんな言葉が聞こえてきた。私はまだ戦える、と。
俺がぎゅっと目を閉じると、ずいっと身体が持ち上げられるのが分かった。髙明だ。
「葉月、お前、右腕が……」
「どうでもいいよ、そんなこと」
首を捻る。そこには、ヘッドセットをかなぐり捨てる葉月の姿があった。
髙明に半ば肩車される形になった俺に、左腕を添える葉月。まだアンプルの効果は残っているらしく、その掌からは確かな熱が感じられた。
「よし、タイミングを合わせて、思いっきり放り投げてくれ。三、二、一!」
と言いかけたところで、怪物は再び思わぬ行動に出た。こちらに背を向け、走り去ろうとしたのだ。
葉月と髙明は慌てて俺を地面に下ろし、何事かと怪物の背中に視線を合わせる。
そして、三人ほぼ同時に勘づいた。怪物の狙いに。
「エレナを襲う気か!」
この戦場にエレナを連れ出したのは、周辺に電波妨害を仕掛けてこの戦闘に邪魔が入らないようにするため。
もちろん皆が反対した。が、エレナは自分も参加させろと態度で示し続け、結局葉月が許可を出した。
一人だけ安全区域にエレナを配置したのはそういう理由からだった。しかし戦闘がエスカレートするにつれ、俺たちはエレナのポジションを完全に忘れていってしまった。
怪物が奥のコンテナの陰に入ったら、エレナはきっと脱出できない。
「エレナ、逃げろ! 怪物がそっちに――」
そう言いかけた時には手遅れだった。怪物が、片手にエレナを握らせながら引き返してきたのだ。
「エレナっ!」
エレナに意識はあった。だが苦しげだ。これでは握り潰されてしまう。
そう思った矢先、怪物の顔に異変があった。顔の真ん中に大きな穴が開いた。それは口だ。耳元まで至るような、巨大な口だ。
エレナを食い殺すつもりなのか。それも、俺たちの眼前で。
完全にエレナは人質状態だ。ここからでは、俺は怪物の心臓に達することはできない。
今日だけで何度目だろうか、俺は自分の無力を恨みながら目を逸らそうとした。
しかし、それができない。目が完全に固定されてしまっている。
尚矢の声が聞こえてきそうだ。お前の仲間の死を、ずっと抱えて生きてゆけと。
怪物は俺たちにエレナの背中を見せつけるようにして、ぐわっと一際大きく口を開いた。
妙にゆっくりとした挙動で、エレナの頭部を口元に近づける。
想像される光景のあまりの凄惨さに、俺は最早脱力するしかなかった。
そして俺が膝から地面に崩れ落ちかけた、その時だった。
怪物が、大きくのけ反った。信じがたいことだが、エレナが怪物に対して強烈な一撃を見舞ったのだ。奴の下顎に、強烈な頭突きを。
俺は先日、同じ技をエレナから貰ったことを思い出した。まさか、それを実戦で使うとは。
エレナはするりと怪物の腕を逃れ、その場に尻餅をついた。
同時に、俺の身体が葉月と髙明に持ち上げられる。
最早、言葉は不要だった。完全なタイミングで放り投げられた俺は、ふっと浮遊感に包まれた後に怪物の胸部めがけて落下。その心臓に食らいついた。
二本目の爆薬仕込みのナイフをブーツから取り出し、俺は躊躇いなく心臓のド真ん中に突き立てた。
しかし同時に、俺は上体を起こした怪物によって呆気なく吹っ飛ばされる。
があん、という音を立てて、俺は自分の身体の状態を悟る。コンテナに叩きつけられたのだ。
最早輪郭線のはっきりしない視野の中で、怪物はのけ反った姿勢のまま、盛大にどす黒い血飛沫を上げながら、ばったりと倒れ込んだ。
俺の意識が途切れたのは、まさにその直後のことだ。
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