第27話

 俺は勢いよく床を蹴り、両腕を眼前で交差させながら壁に突進した。

 高層ビル十階から、ショッピングモール屋上へと跳躍する。


 ひゅうっ、と海風が吹いて、爆炎も黒煙も散り散りに流されていく。そして、ドクはそこにはいなかった。


 やはりな。

 俺がドクの立場だったら、銃撃を受けながら何らかのトラップがある方へ誘導されていると考えるだろう。それが自然だ。


 俺は屈み込む姿勢でショッピングモールの屋上に着地する。拡大強化された視力を最大限活かして見てみると、やはりそこにドクの姿はなかった。

 代わりに屋上には、人間がすり抜けられそうな大穴と、焼け焦げた遊具類がいくつか。


 爆炎と熱風を回避するために、屋上から階下に降りたか。きっと屋上の床面をぶん殴るなりなんなりしたのだろう。

 この時点で、俺は確信したことがある。だが、それは実際に見てみなければ。


 さて、俺はこのままドクの空けた大穴から奴を追跡すべきだろうか? それとも俺も、別個にルートを模索すべきだろうか?


 それを考えながら、屈み込んでいた身体を立ち上がらせた次の瞬間だった。

 ズゴゴゴゴッ、という強烈な破砕音が、俺の背後から迫ってきた。慌ててサイドステップ。

 砂塵の中で視界を活かして見ると、屋上に一本筋の断裂が走っていた。地割れでも起きたかに見える。階下から凄まじい力で割られたようだ。砂塵が舞い、俺の立っていたところががらがらと崩落する。


 一瞬でも反応が遅れていたら。そう考えると、俺の首筋に冷たいものが走った。

 だが、砂塵に巻かれているのはドクだって同じだ。攻め込むなら今だろう。


「ふっ!」


 俺は右の拳を、地割れの一端に向けて勢いよく振り下ろした。二つ目の大穴が屋上に空けられる。


「皆、俺はこれからドクとの白兵戦に突入する! 援護するかしないかは任せるから、自分の信じることをしてくれ。以上!」


 なんとも身勝手な通信だ。ヘッドセットのスピーカーから、なにやらぎゃあぎゃあ騒ぐ声がするが、それは無視。

 俺はするりと身体を滑り込ませるように、階下へと降り立った。


「ふむ、読まれることを読んでいた、というところかな? 剣矢くん」

「いや? あの程度の爆発、まともに喰らってもあんたならピンピンしてるんじゃないかと思ってたよ」


 すると、相変わらず袈裟を纏ったドクは、かはははっ、と軽快に笑った。


「ということは、気づいているのだろう? 私の正体に」

「まあ、俺たちを利用してたって時点で、隠すべき正体も何もないような気がするけどな」

「それはもっともな意見だね、剣矢くん。まあ、ここはフェアにいこうじゃないか。君が02、ダリ・マドゥーが01、ということは、私はこういうわけだ」


 ドクが袈裟の右腕を捲り上げる。その肩にあった刺青には、明確にこう書かれていた。『00』と。


「自分を最初の実験台にするとは……。あんたの度胸を褒めるべきか、馬鹿さ加減を批判すべきか、迷うところだぜ」

「そういう割には嬉しそうな表情をしているぞ、剣矢くん?」

「ああ。四人目以降がいるかどうかは知らないが、これで少なくとも俺の知っている人体強化の酔狂野郎はあんた一人だけだ」

「ふふっ、つまり私を倒せば、一応はこの研究は終わる、と?」

「違うのか?」

「いやいや、そういう意味じゃない。ただ、いずれ私の研究は誰かが引き継ぐぞ。尚矢博士のパワードスーツ案に関しても同様だ。君たちFGは、目先の脅威を取っ払う代わりに、貴重なデータを研究者たちに与えてしまったわけだ」

「仕方ない。だったらまずはあんたを倒さないとな」


 再び海風が吹いて、寂れた廊下の空気を循環させる。

 それが落ち着いた頃になって、俺は窓側、から鋭い殺気を感じた。和也か。


 そう思った次の瞬間。窓はその枠ごと吹っ飛ばされ、壁に大穴が空いた。

 こんな威力はアイリーンにはない。きっと密かに対戦車ライフル・シャーリーを運び込んでいたのだろう。窓から見れば、俺を誤射する危険性もないと踏んだのか。


 しかし、なにぶん殺気が強すぎた。和也の狙撃に気づいたのは俺だけでなく、ドクもだったのだ。


「甘いな!」


 ドクは前転して狙撃を回避し、屈んだ姿勢のまま俺に向かってきた。身を低く、俺の足を狙うような格好だ。

 対する俺はバク転で対応。距離を取りつつ、拳銃を二丁とも抜いて射撃する。


 その結果、不気味な感触を得た。

 ドクに当たったという感触はある。だが弾丸が、中途半端な位置まで食い込み、致命傷には至っていないという自覚もある。

 

 ブラフの可能性もあったが、ようやく俺は確信した。ドクは身体強化技術の先導者にして、最初の、そして最強の実験台だったのだと。


 俺は数回目のバク転で、天井にある配管を掴み込んだ。宙ぶらりんになった俺の真下に、ドクがタックル気味に飛び込んでくる。

 俺はさっと手を離し、前のめりになったドクの首のあたりを思いっきり踏みつけた。


「がはっ!」


 これは流石に効いたらしい。ばきり、と首の骨が折れる音と、気道が潰れて空気の推し出される音が交差する。

 俺がこのまま踏みつけを続けようとした、その時だった。


 俺の視界の中で、何かがぐにゃり、と不自然な動き方をした。ドクの腕だ。

 元々細長かった腕が肩関節から解放され、俺の足を掴んでくる。


「うあ!?」


 俺は易々と足を掴まれ、ばたん、と床に叩きつけられた。背中から痺れるような痛みが走り、めりめりと床が悲鳴を上げる。

 咄嗟に拳銃を構える。だが、化け物じみた今のドクに通用するとは思えない。


 ドクは薄っすらと七色に輝く両眼で俺を見下ろしている。

 その腕が振り上げられ、拳で俺の頭部を破砕しようとした、まさにその時だった。


 ぐらり、とドクの上体が揺らいだ。同時にパタタタタタタタッ、と銃声が響いてくる。

 髙明だ。計画通り、髙明が援護に来たのだ。


 安堵してしまう俺だが、ずっとそうしているわけにもいかない。髙明の戦闘力がいくら高いといっても、相手はドク。怪物だ。俺が体勢を立て直し、髙明の安全を確保する必要がある。


 カービンライフルの弾丸が尽きたのか、髙明はそれを投げ捨てて、勢いよくドクの背後から駆け寄った。

 首だけ振り向けようとしたドクの頭部に、半回転するように爪先を叩き込む。


「うおらあっ!」


 がぁん、という骨が鳴る音がした。ドクの首が不自然な方へと捻じ曲がる。相手が真っ当な人間であれば、即死してもおかしくない勢いだ。

 俺は拳銃をドクの首筋に突きつけ、引き金を引きまくった。カービンライフルに比べると頼りない銃声だが、この距離なら仕留められるに違いない。


「くっ!」


 血飛沫をもろに浴びて、俺は視界が真っ赤になった。横たわったまま側転し、ドクのマウントポジションから逃れる。同時に腕で顔を拭って視界を取り戻す。

 しかし、そこで俺の目に入ってきたのは、信じられない光景だった。


 ぷしゅっ、と鮮血がドクの首から噴き出す。が、その勢いはみるみる収まり、閉じてしまった。


 そんな馬鹿な。間違いなく致命傷だったはずだ。頸動脈を撃ち抜いたはずなのだ。

 それが治癒した、だと? それもこんな短時間で?


 俺は拳銃を放棄し、ドクの頭部を掴み込んだ。そのまま勢いよく膝打ちを顎に叩き込もうと試みる。しかし、それもまた叶わなかった。

 ドクは俺とは反対側に横転したのだ。髙明を巻き込むようにして。


「髙明っ!」


 俺が叫ぶ間にドクは立ち上がり、髙明の首元に腕を回して締め上げた。


「剣矢っ! 俺に……構うな! ……俺ごと、ドクを……」


 言葉と目線で訴えてくる髙明。自分諸共、ドクをここから叩き落とせと言っているのだ。

 そんなこと、できるわけがない。そんな俺の心情を読んでか、ドクは掠れ声で、しかし高らかに語り出した。


「弱点が出たな、剣矢くん! 君には仲間を犠牲にしてまで作戦を遂行する能力はない。いや、非情さというべきかな。ご覧の通り、私はもはや人間ではない。ここにいる戦力だけで、私を仕留められるものなら――」


 こうなったら仕方がない。あれを使わなければならないだろう。ドクから供与されたアンプルを。

 俺は素早くしゃがみこみ、注射器を取り付けて自分の首筋に打ち込んだ。


 その間、ドクはずっと不気味な笑みを浮かべながら見つめていた。やっと本気を出す気になったか、とでも言いたげな顔つきで。


 注射を施した瞬間。それは、眼帯を外して能力を得た時とは似て非なる感覚だった。

 身体が足元から、ぼこぼこと気泡を上げるマグマに漬けられていくような。

 自分の身体が、神経伝達の及ばない闇に呑み込まれていくような。

 それこそドクの言う通り、自分が人間ではなくなっていくような。


 俺はザキュッ、と音を立てて床を蹴り、髙明の巨躯を抱き込むようにしてドクに体当たりを見舞った。

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