第16話【第四章】

【第四章】


「血液をあと一単位だ。縫合用のホチキスを取ってくれ。――それだ。ああ、止血剤も準備しておいてくれ」

「……」


 俺は無言で目を開けた。全身がこれほどかと思うほどに重い。鎮静剤を注射されたのだろうか。

 眩しい。目を眇めると、横からやたらと明度の高い光が差してくる。いや、ただの光ではない。これは、外科手術用の特殊ライトではないのか。


 俺の隣で誰かが手術を受けている。それにあたっているのは、二人の人物だ。身長差がすごいことになっているようだが、二人は慣れた手つきで施術していく。


 唐突に、俺の意識は覚醒した。

 そうだ。俺は尚矢に殺されかかったのだ。確かあの場に参戦することが、尚矢の示した薬品テロを防ぐ条件だったはず。


 その戦闘中に、俺は十分間という一日の戦闘継続時間を使い果たし、ボロ切れのように放り投げられたのだ。

 しかし、どうしてとどめを刺されなかったんだ……?


 その時だった。俺の脳内で一人の女性、否、少女の叫び声が再生された。

 その少女は、俺の名を呼んだ。そして拳銃を乱射しながら迫ってきて、それに対して尚矢も拳銃を発砲して、そして――どうなった?


「葉月っ!!」


 俺は自分の手術台の上で上半身を上げた。と同時に、背中に激痛が走る。


「おおっと、剣矢くん! 気がついたか! ちょうど今、君の処置が終わったところなんだ。悪いが横になっていてくれ」

「そ、それより、葉月は? 葉月は無事なんですか?」

「それは――」


 口籠るドク。その姿から、俺はある疑念を抱いた。


「彼女よりも先に俺の手術をしたんですか? 葉月の方がよっぽど重傷だったのに?」


 何故葉月の方が重傷だと分かったのかと言えば、彼女の手術台のそばにだけパルスメーターが置かれていたからだ。

 ピコン、ピコン、ピコン、ピコン……。


 機械的に変換された彼女の心音。それは素人の俺が聞いても、安定しているとは言い難かった。

 俺がキッと目を上げると、ドクは血の付いた医療用ホチキスを手術台に載せ、短い溜息をついた。


「いいかい、剣矢くん。戦場では常に非情な決断を迫られるものだ。助けられる人間から救わなければ、二人共処置が間に合わなくて命を落とす可能性がある。我々の人員と設備でできるのは、一人ずつ処置すること。そして生存率が高かったのが、葉月くんではなく君だったんだよ、剣矢くん」


 俺はだんだんドクの言葉が遠のいていくような錯覚に陥った。


 そんな、こんなことって……。

 葉月は俺を救おうとした。確かに尚矢を前にしたあの状況では、無謀だ無茶だと非難されても仕方ないだろう。

 でも、彼女こそ俺の命の恩人なのだ。そこまで俺のことを想ってくれた人物こそが葉月なのだ。


「う、あぁ……」


 俺はベッドに背中を押しつけ、右腕で目元を覆った。喉が枯れ木のような音を立てる。涙が出ていたかどうかは定かでない。

 すると、だらんとぶら提げた左腕の指先がそっと摘ままれた。首だけを動かして顔を向けると、そこにはドクと同じ格好をした少女がいた。


「エレナ……」


 エレナは泣いていた。俺よりも、ずっとずっと多くの涙を目に溜めて――いや、涙腺を崩壊させて号泣していた。


 彼女の喉から声は発せられていない。だが、手術室全体の空気が震えているのは伝わってくる。


「なあ、エレナ」

「……」

「違う、違うんだよ。君が悪いわけじゃない」

「……」

「俺が未熟だったんだ。戦闘力も判断力も、まるっきり尚矢には敵わなかった。だから――」


 葉月は俺の身代わりに、致命傷を負うことになった。

 そう言おうとして、俺はごぐん、と喉仏を上下させた。


 認めたくなかった。俺に葉月を守れるだけの力がなかったことを。無謀な囮にさせてしまったことを。

 葉月が生死の境をさまよっているのは、他でもない俺のせいだというのに、なんて無様なんだ。


 これでは、今必死になって涙を堪えようとしているエレナの方が立派じゃないか。現実を直視しようとしているのだから。

 しかし、だったら彼女が俺の手を握っているのにはどんな意味があるのだろう?

 

 いや、意味を求めるのは無粋だ。

 悲しいから、寂しいから、葉月が死ぬのが怖いから。

 結局のところ、俺たちが行き着く感情はそこまででしかない。


「エレナ、葉月くんのバイタルがやや安定してきた。弾丸の摘出手術もあって大変だが、我々は我々で最善を尽くそう」


 ドクにそう呼びかけられたエレナは、手の甲でぐしぐしと涙を拭って背を向けた。


         ※


 翌日早朝。

 俺は夢うつつの状態で、周囲の状況を探り始めた。少なくとも、今の俺に意識はあるらしい。それに、眼帯を付けられている。


 しかし、微かな違和感があった。


「昨日俺が運ばれてきたのと違う部屋なのか……?」


 あの時は隣で葉月が手術を受けていて、血液と薬品の匂いが随分濃く漂っていた。

 この部屋も病室らしい雰囲気はあるものの、手術室のような暴力性は感じられない。


 僅かに呻きながら顔を上げると、すぐそばにデスクがあった。その上には、ゼリー状の栄養剤とスポーツドリンク、それに小型の立体映像映写機があった。

 俺はゼリーを一気に飲み干してから、映写機のスイッチを入れた。現れたのはドクだ。袈裟の上から白衣を纏っている。黒っぽく見えるのは葉月の血だろうか。手術直後に撮影したのだろう。


《おはよう、剣矢くん。恐らくもう鎮静剤の効果は切れているはずだろうから、少々話をさせてもらおう》


 俺は後頭部をガシガシと掻き、両頬をぱちんと叩いて映像に見入った。


《葉月くんのことに関しては、最善を尽くしたとだけ言っておこう。後は彼女の生命力にかける外ないが……。たとえどんなことになっても、エレナを責めることだけはしないでくれ。全責任は私が取る》


 映像の中で、ドクは長い溜息を一つ。


《話は変わるが、錐山尚矢博士については取り逃がした、と正直に言っておこう。君たちにとどめを刺さなかったのは、海上保安庁の巡視船に騒ぎを嗅ぎつけられたからだ。ハッキングを仕掛けていたようだが、システムが復旧したらしい。博士も撤収せざるを得なかったようだね》


 なるほど、自分の身の上は公にしたくないものと見える。


《私の計算が正しければ、今は午前六、七時頃だろう。髙明くんと和也くんが、部屋の外で待っているはずだ。気がついたら――この映像を見終わったら、顔を見せてやってくれ。以上だ》


 ふむ。待っていてくれるとあれば、早々に回復したところを見せてやるべきだろう。

 俺は映写機をリストバンドのように腕に巻き、スポーツドリンクを手にしてスライドドアを抜けた。


 目の前には廊下が左右に広がっていて、正面のソファには大きな人影があった。髙明だ。薄暗い中でも分かる。視界の端で行ったり来たりしているのは和也だろう。


「おう、剣矢。大丈夫か?」

「ああ。心配かけてすまない」

「ん、まあな……」


 何だ? 髙明にしては歯切れが悪い。

 その視線の先には、相変わらず行き来を繰り返す和也の姿。


「おい和也、剣矢が起き出したぞ。少しは無事を喜んで――」

「そんなことを言ってる場合か!」


 おやおや、ご挨拶だな。俺のことはどうでもいいのか。


「剣矢、君だって分かってるだろう? 葉月は君を庇って撃たれたんだ!」


 踵を返し、俺に向かって闊歩してきた和也は、アッパーカットを喰らわせるようにして俺の襟元を掴んだ。


「おいやめろ、和也。仲間割れしてるほど暇じゃねえぞ、俺たちは」


 座ったまま、顔を逸らしながら髙明が言う。だが、和也の耳には入らない。

 それよりも問題だったのは、俺までもがカッとなってしまったことだ。


「ああそうだよ、葉月はこんな、俺みたいなつまらない奴のために命を張ったんだ! とんだ馬鹿野郎だよ!」

「貴様っ!」


 和也は俺を突き飛ばすように、掌で胸を打った。が、狙撃に特化した和也に格闘戦術の知識があるわけがない。経験もだ。

 しかし、奇妙なことが起こった。俺を打った反動を、和也は耐えてみせたのだ。


「お前……」


 これには髙明も目を丸くしている。

 ややよろめき、後退しながらも、和也は転倒するようなヘマはしなかった。


「僕だって……僕だって、葉月のことが好きなんだ!!」


 その言葉に虚を突かれた俺は、和也の第二撃、渾身のストレートをまともに喰らい、そのままべったりと尻餅をついた。


 ああ、そう言えばコイツがFGに入った時も、葉月がきっかけだったな。

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