緑碧の死線 -visual all green-

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 すっと深呼吸をする。漂ってくる臭いは、生臭く、鉄臭く、薬品臭い。海沿いの廃棄区画にいるのだから当然か。


 俺、錐山剣矢は、手元に握った拳銃の弾倉を取り出し、改めて確認。


「弾詰まりの心配はないな」


 ここで俺がしていること。それは待機だ。仲間たちが廃棄区画で敵の本隊をこちらに誘導する。それまでの間、俺にできるのは集中力を高めることだけ。

 

 では、敵とは何者なのか。これは仲間たち一人一人によって捉え方が異なるが、取り敢えず共通していることはある。今の日本の警察力では対処できない悪党共を指している、ということだ。

 具体的には、法の抜け道を使った汚職政治家や、悪名高い金持ちたちのことを指す言葉だと言えるだろう。


「まったく、ロクでもない国になってしまったな、日本も」


 呟きながら、二丁の拳銃をわきのホルスターに収納する。初弾は装填済み。セーフティを外せばすぐ撃てる。


 ちょうどその時、建物の照明が点いた。どうやら暗視装置は不要だったらしい。

 俺が今いるのは、建物――これから麻薬の密売が行われようとしている廃倉庫――の外。

 外壁に背中を預け、野戦用ヘッドセットに耳を澄ましている。


 他に装備しているのは、野戦用防弾ベスト、高機動性コンバットブーツ。いずれも欧米製の最新モデル。他の仲間も同じような装備で身を固めている。


 倉庫から差してきた光が明度を増した。どうやら今日の主賓……もとい敵が到着したようだ。

 ふっと息をついた時、ヘッドセットから声がした。


《こちら葉月、銃撃地点を確保。各員状況送れ》

《こちら髙明、射撃準備良し》

《こちら和也、いつでも撃てるよ!》


 俺を除いた三人が、リーダーである美奈川葉月を中心にスタンバイ完了の報告をする。

 葉月は、自分が実戦部隊の中で最古参だからという理由でリーダーに立候補した変な女だ。責任感が強いと言えば聞こえはいいか。


《ん? 錐山、どうしたんだ?》

「……」

《おい錐山! 復唱しろ!》

「へいへい。敵をこっちに寄越して、俺が皆殺しにする。作戦内容、これで合ってるよな」

《あ、ああ、構わない》

「じゃ、さっさと始めてくれ」

《おい、現場指揮官は私だぞ!》

「こりゃ失敬。とにかく、俺も準備よしだ」

《準備できてるなら、すぐに復唱するよう何度も言ってるだろう?》


 その時、第三者からの通信が入った。


《お二人さん、じゃれてる場合じゃねえぞ。続きは帰ってからにしてくれ》


 こういう時に適当な仲介を担ってくれるのが、大林髙明。サブリーダーで重火器担当。

 担当になった理由は単純で、彼の体格がいいからだ。米国産のスーパーヒーローを連想させる。

 短い溜息の後、葉月は口論を切り上げ、こう言った。


《各自、フォーメーションを維持して銃撃を開始。倉庫の後方、剣矢の待機ポイントへ誘導しろ》


 今度は誰も復唱などしなかった。いや、したかもしれないが、聞こえなかった。

 一斉に轟いた銃声のために。


 葉月と髙明の得物は、一般的な自動小銃だ。敵も同規模の武装をしている。それでも奇襲は上手くいった。

 二人は倉庫のキャットウォーク、すなわち上方から、密売人とボディガードたちを狙っていた。これは圧倒的なアドバンテージだ。

 チャリンチャリンと、薬莢が床面のコンクリート上で跳ねまわる。


「お、おい、敵襲だ!」

「畜生! 金を渡したところだってのに!」

「金とブツは後だ、今は敵を仕留め――うっ!」


 麻薬の受け取り側の首領が大声を上げようとしたが、それは打ち切られた。髙明が、グレネード・ランチャーで煙幕弾を発射したからだ。


 盛大に咳き込む密売人たち。足音からして、こちらに向かってきている。

 流石は髙明。巧みに煙幕を展開し、俺のいる方へとけしかけている。だが、ここで活躍したのは髙明だけではなかった。


 聞こえていたはずの足音が途絶え、ばたり、と人間大の肉塊が倒れ込む音が混じる。倉庫のシャッター越しに、味方の狙撃手が敵の頭部を撃ち抜いているのだ。

 小野和也――俺たちの狙撃担当の仕業だ。


《こちら和也! 剣矢、赤外線ゴーグルで見えた敵は全員仕留めたけど、ほとんどがコンテナの影に入っちゃった! こっからじゃ見えないよ!》

「了解。残りは俺が片づける」


 そろそろ出番か。

 俺は拳銃を二丁とも抜いて、セーフティを解除。それから、左目に着けていた真っ黒な眼帯を外した。


 薄暗かった周囲の光景。それがたちまち輪郭線を帯び、はっきり見えるようになった。全体的に、視野は緑色に染まっている。

 全身の血管と神経が、踊り立つような勢いで跳ね上がる。

 まるで重力から解放されたかのような浮遊感。


 そばに打ち捨てられていた金属片に自分の顔を映してみた。左目だけが煌々と、エメラルドのような緑色に輝いている。

 これで意識を集中させると、浮遊感は止んで全身の細胞に力となって蓄積されていく。


「さて、と」


 扉の向こうの状況を把握した俺は、立ったまま無造作に右膝を曲げ、ブーツの裏で思いっきり蹴り開けた。蝶番が外れ、倒れゆく。

 すると、ぐへっ、という奇怪な音と共に、敵のボディガードがその下敷きになるところだった。


「なんだ、いたのか」


 俺は未だ煙幕で混乱状態にある倉庫内へと足を踏み入れた。数メートルといかないうちに、再び右膝を曲げる。そして、倒れた扉に思いっきりブーツの裏を押しつけた。

 正確には、床面と扉に挟まれたボディガードの頭部に踏みつけを見舞ったのだ。


 ぐしゃ、だか、ばきっ、だか気色悪い音を立てて、ボディガードの頭部は見事に粉砕された。扉の下から、血液やら脳髄やら頭蓋骨の欠片やらが飛び出す。

 大きな白い壁面に、鮮やかな色のペンキをバケツでぶちまけたような気分。


 そんな喩えができるほど、俺も随分殺し慣れてきたらしい。

 おっと、ここで立ち止まってはいられない。煙幕から逃れた敵の視界に俺が入りそうだ。


 俺は右足を引き抜き、大きく横っ飛びして敵の銃撃を避ける。

 その間に同時に二人のボディガードを捕捉。素早く拳銃を抜き、同時に発砲。二十二口径の小振りな拳銃から発射された弾丸は、見事に二人の眉間に吸い込まれた。


「髙明、煙幕はもう十分だ。撤収してくれ」

《了解。和也の回収地点に向かう》


 俺は無言を肯定の意思表示とした。

 

 今の俺には、煙幕があっても明確に敵を捕捉できるくらいの視力がある。

 だが、しっかり見ておきたかったのだ。敵の首領がどんな奴なのか。


 さあっ、と夏の海風が横切り、煙幕が晴れる。

 そこにいたのは、西欧人らしき腹の突き出た派手なスーツの男。薄くなった金髪は、ぶるぶると震える頭部の上で揺れている。


 ここで俺は舌打ちを一つ。

 ボディガードの連中の残り四人は、全員がフルフェイスのヘルメットを被っていた。

 二十二口径弾では、頭部を貫通できそうにない。こうなったら。


 今度こそ、敵は銃口を俺に向けた。

 眼帯を外し、意識を高めることで得られた俊敏性。それを活かして、俺は再度横っ飛びを繰り出した。壁とコンテナの合間で、何度も繰り返す。

 頭頂部が倉庫の天井につく直前、俺は身を捻って斜め前方へと跳び出した。

 拳銃を握ったままの両腕を広げ、ラリアットの要領で二人のボディガードを押し倒す。それから銃口を二人の首筋、すなわちヘルメットで保護されていない部分に押し当て、二発ずつ発砲。


 瞬く間に床は真っ赤に染まった。頸動脈を撃ち抜いたからだ。

 その間に、首領と二人のボディガードは逃げ出そうとしていたが――ええい、面倒だ。


 俺の戦い方を見て恐慌状態に陥った三人。彼らの放つ弾丸など、俺を掠めもしない。

 軽く跳躍して壁を蹴り、俺はボディガード一人に組みついた。柔術の寝技で、ギリギリと腕の骨を締めていく。殺さないようにだけ手加減する。


「なあ、あんたらどうする?」


 我ながら唐突に、俺はボディガード二人に声をかけた。


「俺たちのグループに入らないか? そうすれば、少なくとも俺たちから狙われる恐れはなくなる」


 しかし、ボディガード二人は互いに首を傾げるだけだ。


「なあんだ、日本語が通じないのか。残念でした」


 俺はあっさりと、腕を締めていたボディガードを手放した。なんとか立ち上がるボディガード。俺もさっと立ち上がり、襟のあたりの無防備な場所に銃口を滑り込ませた。最後の一人にも同様。再び二連射した。


 やはり拳銃はいい。薬莢の落ちる音に野性味が少なく、上品だ。今もまた、コツンコツン、と床の上で踊っている。


「さあてと」


 俺は一旦拳銃にセーフティをかけ、尻餅をついた首領の前にしゃがみ込んだ。

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