幸せが崩れる音

@pmpm1492

第1話

昔はきっとどこにでもある普通の家庭だったはず。

父が家に居ることはすごく少なかったけどたまに帰ってきた日は母と一緒に近くのショッピングモールに出掛けて私の服をお母さんが見立てて。

夕飯は外食で私が食べたいものを優先してくれて。

3人で並んで私を真ん中に挟んで手を繋いで歩く。 そんな幸せが小さい頃はずっと続くと思ってた。


でも母は私が小学校入った頃から少しずつおかしくなっていった。

私を連れて個人の飲み屋に行ってそこでご飯を食べることになったり私を連れてクラブとかに行ってお酒を飲んだり。

そのうち段々私が高学年になってくると母は私を置いて夜になると遊びに行くようになる。

朝帰りがどんどん増えて。

私が行かないでって言っても止まってはくれなかった。

父が家に帰ってこないのをいいことにやりたい放題やるようになってきて。

でも勘がいい父は母がいない時に限って帰ってきて…母を探しに行くこともあった。

まだポケベルの時代。

私は必死にポケベルに至急のメッセージを何度も何度も送った。

昔気質の父は女はタバコ吸うな酒を飲むな家で家庭を守れって言う古い人間。

その頃から目に見えて母に暴力を振るう父を見るようになった。

殴るなんてものじゃない。外に引きずり出して隣の家の壁に大きな音がなる位叩きつけたりしてそんな時はいつも母は髪を掴まれた後でボロボロで血塗れで青あざ作って玄関に倒れてた。でも父に対する不満が溜まってたのもあるから母はきっと引けなかったのかもしれない。

勝気な人だったから。

2人の出会いは昔で言うキャバクラ。

9つ年下の母に一目惚れした父からのアタックで結ばれたそうだ。

そもそもそんな出会いなら酒やタバコを否定するのはおかしい気もするがそれは別の機会にしよう。


父も鬼では無い。

朝帰りはするな。日付が変わる前に帰ってこい。それさえ守れば飲みに行くなとは言わないと言っていたのを聞いたことがある。

でも母はノイローゼ気味になり結局同じことを繰り返して私が中二になった夏前に着の身着のままお財布も取り上げられて追い出された。

喧嘩は散々見てきたが家を追い出すという終わりは突然やってきた。


そして父は私に言った

「お母さんはお前を置いて出ていった育児放棄だ」と。

私は通常通り学校に行かされた。

正直その日のことは何も覚えていない。

ただ幼なさ馴染みの女の子が朝一悲しげな顔をして「なにかあったら力になるから話してね…」と言った。

5時に追い出されて8時には近所に知られてる。いや、1文無しで追い出された母がその子の家に尋ねたのかもしれない。

母は出てった日の夜電話をしてきて「ごめんね」と泣いてた。

私も辛くて離れたくないけどこれ以上母が殴られてるのを見たくなかった。

狂ってく母に「もう我慢しなくていいよ」としか言えなかった。母はもっと泣いてた。


小学校高学年の頃、母に何気ない夕飯時に「お母さんが出ていくとしたらどっちについてくる?」って聞かれたのが心底嫌で「出ていくなんて嫌だよ」って何回も話をはぐらかした。

子供ながらに辛かった。


私はその後高卒で就職するまでの5年間実家で一人暮らしすることになった。

お金だけは苦労しなかった。

父は反社の親分と親しくて親分と父で2人で1人だとよく両方の嫁が言っていた。

子供の頃はなんのことか分からなかったが父は組に属しては居なかったがそういう仕事をしていた。

ただ1度も私に名言をしたことは無いが。

その後も父と顔を合わせるのもお金を受け取る5分位。

あとは次第に私が学校行ってる間に帰って準備してたのかお金の電話するとタンスの中にあるとか、そんな感じで会わないことも多かった。

ただ家事なんてしたことなくて洗濯物や掃除やら1人で覚えてくのは大変だった。

料理を覚えたのは仕事での事だったから18~9の時だからそれまではずっとコンビニ弁当。


両親が籍を抜いたのが高校卒業した後。

もうその時点で父にも母にも別のパートナーいた。


結局私が23の時に母は膵臓癌で呆気なく亡くなり、内縁の夫に恵まれない母は随分お金に苦労してた。

私が仕送りしてたこともあるし別れてからもお父さんにお願いしてたこともあった。

家を出てから3人内縁の夫が変わっている。

ちなみに父は今2人目の内縁の奥さんと暮らしている。自由で羨ましい。


そして私自身が母から暴力を受けてた。

躾じゃなくて母機嫌次第。


機嫌が悪ければ食事中茶碗が飛んできて後ろのガラス戸が割れたり髪の毛引きずり回されてタオルで首締められてお前なんて産まなきゃ良かった。って言われたこともある。

叩かれるとかはなかった。

だから母は完全に畏怖の対象だった。

家を出てからは気性も落ち着いて負い目からか普通になってたけど。


決して2人から愛情を貰ってなかったとは言わない。

でも何かが違うと思う。

子供に必要なのはお金でも一人きりの時間

でもない。身をもって体験をした。

お陰で大分歪んだ性格になってしまった。


受験の時なんて学校選びから書類関係全部相談する相手もいなく1人で調べてやってた。

ま、高校受験は失敗してしまった


とりあえず就職したかったからスーパーに就職して。それから保険外交員、パチンコ店の接客や事務とか色々転々としたけど仕事を辞めるのはいつも人が原因。

パワハラモラハラ当たり前な環境にずっと居て手取り18万で管理者社員以上の仕事させられて残業もつかず。でも仕事は嫌いじゃなかったから頑張れた。でも精神的に追い詰められて仕事中に涙が止まらなくなってあ、こりゃやばいと友達に付き添って貰って病院行って。

鬱病になって最初は薬飲みながら仕事出来てた。

5年くらいは勤務していた。

最終的にはどんなに仕事を頑張っても簡単に人は手のひら返したり裏切ったりするってことを知って社員としてやっていくのは私には無理なんだなと思った。

私の失態じゃないことを押し付けられて仕事辞めることになった。

誰も私の話を聞いてくれなかった。

散々人に頼りっきりの仕事をさせてたくせに都合悪いことになったら私のせいだと。

それを父に言うと「お前が悪い。もし真面目にやってたならそんなことは怒るはずがない」

父は私のことを頭から否定する。

なにか1つでも認められたり褒められたことがあったただろうか。


その後派遣を期間限定で勤めたが仕事中にパニック障害起こしてしまった。

最初は原因が分からなくて内科に通院したが38℃の熱があっても異常がないと言われてしまった。

帰ってもいても立ってもいられなくて眠れないしずっと横になったり起きたりソワソワソワソワが止まらなくて心療内科行ったらパニック障害って言われて。その場は筋肉注射打って落ち着いたけどそこにたどり着くまで5日位かかった。

それからまともに仕事が出来なくなったのかな。

ちょっとの不信感が全部体調に出てしまう。

あと頼まれたら出来ることを全部やるから後で体調にリバウンドがくる。

その後はバイトを何回か試みたけど長く続かない。


私の人生って何なんだろう。

普通の生活を送りたかっただけなのに病気になって普通に働くことすら出来なくなるなんて。

親とも仮面親子みたいなもんだし。


幸せが崩れていった私が幸せになるのはまだまだ何年も先。


本当に求めたものは何か。

孤独を抱えたまま生きた私が最後に得たものは。

続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せが崩れる音 @pmpm1492

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る