試着室の中から篠崎が微笑む。僕も服を買う。
「服が濡れたなら買えばいいじゃない」とのことで、洋服を買うことになった。
「これを見越してのダンスバトルだったんですか」
「どっちだと思う?」
「ちょっとは考えてましたよね」
「まあね。不自然だけど筋は通るな! って閃いちゃったからね」
「なに閃いてるんですか」
服屋は星の数ほどある。ショッピングモールの八割は服屋だといっていい。選り取り見取りだ。
篠崎が迷いに迷った挙句、一軒に落ち着いた。ファッションに疎い僕にはピンとこない店名だったが、ファッション好きには有名らしい。
メインは篠崎の試着タイムだった。
「どれが似合うと思う?」
「えー、どうだろう」
「あんまり似合ってないかな」
「甲乙つけがたいんですよ」
篠崎は自分に似合う服を完全に理解していた。何パターンか試着したのを見たが、どれも自然に着こなしていた。
「じゃあ全部買っちゃうか」
「それだと破産しません?」
一着買うだけでもかなり持っていかれる。
それを上下で数セットも買うとなれば。僕のお年玉が、いったい何年分吹き飛ぼうか。
「バイト代でほとんどつぎ込んでるから大丈夫……だと思う」
「なんとも大丈夫じゃなさそうな」
「でもさ、服は一期一会なんだよ!? 妥協はできないよ」
絞り込んで一セットだけ買っていた。それでも今月は厳しいかも、とのことだ。美容への並々ならぬ情熱である。
篠崎のファッション熱にほだされてか、僕も上下のセットを買っていた。
「いいじゃん、似合ってる!」
「こんな服、初めてです」
「前野君もおしゃれ男子の仲間入りだね」
「これからは篠崎様と呼ばせてください」
「ふんっ、好きに崇めたまえ」
服を買う楽しさを久々に体感できた。
服選びが苦痛だなんて思っていた時期もあった。いまや違う。可能性を垣間見られる神聖なる時間だ!
「あっ、いけない。結構いい時間になったね」
「ほんとだ」
腕時計は三時をまわっていた。本来ならもうすこし早く解散する予定だったのだ。二時くらいである。
時間が過ぎるのはあっという間だった。
「今後の予定とか、問題ないですか」
「この後? まずは友達とカラオケで、その後別の友達と食事だけど全然大丈夫!」
「なんとも密なスケジュールだ!」
「いうなら君と会う前にも別の友達と夜通し電話繋いでたし」
「二十四時間戦ってる……」
同じ時間軸で生きている人間とは思えぬスケジュールだ。人生の濃過ぎる。希釈しないと危ないレベルだ。
「……君に話すことではなかったかもしれないね」
「篠崎さんへの理解が深まったので、オールオッケーです」
サムズアップを決める。結果オーライの精神だ。
「じゃあ、今回のお出かけは大成功、かな」
「ですね」
過度に心配していたのが嘘みたいだ。心配事の九割は起こらない。その言葉が頭をよぎった。
出口までエスカレーターで降りていき、自動ドアを抜ける。
「きょうは本当にありがとうね」
「こちらこそ」
いうと、篠崎は。
やにわに顔を近づけてきた。
「っ!?」
唇がぶつかる! と考え、体を動かそうとする間もなく。
つん。
「なーんてね」
「ちょ、冗談でもやめてくださいよ! 焦るじゃないですか!」
いささか大きな声になってしまい、変に周囲の視線を集めてしまった。
「きょうを通してね。君への好感度も、このくらいは上がったかも……なーんてね。また月曜日ね!」
駆け足で去ってしまった。すこしすると歩いていたけどね。
「あざといなあ」
ため息が漏れる。最後の最後で爆弾を投下してきた。気が抜けない。
過度に篠崎に対する不信感を抱いてしまった。いま思うと取り越し苦労だった。危ういところがあったとはいえど。
つい立ち尽くしてしまったが、ここは出口の近く。邪魔になる。
帰るか。
駅から近いショッピングモールゆえ、すぐにプラットホームに着いた。家に帰るまであっという間だった。
篠崎との時間は、実に濃密だった。体への負担は大きい。外にいるときは楽しさで高揚感にたゆたってたいたが。
「疲れた……楽しかったけど」
時間が短くとも、活動量が多ければ、当然のごとく疲れる。手洗いをしたらすぐさまベットに直行。うつ伏せだ。
残りわずかとなった力を振り絞り、ポケットに手を伸ばす。スマホの通知を確認だ。
『あかね:きょうはありがと!』
『あかね が写真を送信しました』
篠崎からの連絡が届いていた。
写真を展開する。
「あいつ、いつの間に」
試着室での一枚だった。僕が試着した服を篠崎に見せている。ちょうど篠崎に背を向けたときのものらしい。
鏡の中には、カメラを持った篠崎が映り込んでいる。ピースをしていた。僕も鏡の方を向いているので、実質ツーショットである。粋なことをするものだ。
「こちらこそありがとう、っと」
感謝のメッセージをちまちま打って、送信。添付するよう頼まれていた篠崎の写真も、何枚か送る。
スマホをポケットに入れ込み、寝返りを打って仰向けになる。
動いたときに、ほのかに甘い匂いがした。篠崎の匂いだろう。自分のそれとは明らかに違う。
つい篠崎を意識してしまった。なんて惚れっぽい、ちょろい男なんだろうか。
あれほど女性関係では嫌な思いをしてきたはずだ。それを忘れたのか。もうひとりの僕が問いかける。
たった一回会っただけじゃないか。ただのクラスメイト、友人。僕の秘密を知ってしまっただけの人。
いいきかせ、僕は瞼を閉じる。
ピコン、と新しい通知が来たのを、僕は無視して。
なにも構えることなく、眠りの世界へ誘われるのだった――。
――『妹: 久しぶり、お兄ちゃん』
――――――
あとがき
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