62◆異世界楽器『吹かない笛』◆
西の辺境伯領の領都エリスリで、俺は旅芸人一座のマリルと一緒に町の木細工屋を回っていた。途中の町で、笛の原理試作を作ってマリルに見せたところ、やりたいことは伝わったようで、いまだ半信半疑ながらも俺に付いてきてくれている。
俺とマリルは、何本もの笛を購入し、宿屋へと帰った。俺が補助をする形で、マリルに吹いてもらい音色や押さえ方、息の吹き方を教わっていく。ある程度データ取りができたので、俺は宿屋の部屋に籠って製作作業に没頭する。途中で何度かマリルを部屋に呼び、確認作業を行う。
エリスリについてから、8日後の午前、作っていたものがついに完成した。ちょうどお腹も空いていたので昼食を取りに部屋から、食堂に移動するとテイカーとクロナがテーブルで俺を待っていた。
「そろそろ終わるころだと思っていたのよ。どうなの出来は?」
「うん、後は本人の練習次第だと思うけど、多分大丈夫だと思う。」
「リュード、話があります」
「なに、改まって?完成したから早く渡しに行きたいのだけど」
「まさにそのことです」
俺は座って、パンとスープを頼むとテイカーに話の続きを促した。
「あなたのその作品に関してです。リュード、それ幾らで売るつもりですか?」
あぁ、そうかと俺は、テイカーが何を心配しているのかを理解した。テイカーは情だけで、俺がマリルに渡すと思っているのだ。俺が決して安くはない、だが高すぎない金額を伝えるとテイカーは明らかにホッとした顔をしていた。
「すみません、リュード、俺はあなたを疑っていました。情でほだされて、または惚れた弱みで、その作品を渡すものだと」
「何回か顔を突き合わせて作っているから、情は確かに湧いてるけどね。でもマリルは笛に関してはかなり真剣でね。俺も自分の発想と技術と出来上がったものに対しては真剣だから。金をとらないのは失礼だし、向こうもそのつもりだったよ」
「それならよかったです」
「テイカー、ちゃんと言ってくれてありがとう。これからも心配になったり思ったことがあったら言ってくれると嬉しい」
俺は前世で、友人や同僚、周囲の人と話しあうことを避ける傾向にあり、幾つかの失敗も重ねてきた。だから再びの生を受けたこの世界では悔いのないように人と接していきたいと思っている。それでも、おもちゃに没頭してしまうと、どうしても忘れがちになってしまうところを、この2人がこうやって思い出させてくれる。本当にありがたかった。
◇
翌々日の昼、ハミルソン一座と俺達は宿屋の食堂に集まっていた。
「ハミルソン座長、一昨日ようやく私が作っていたものをマリルに渡せました」
「何やらずっとやっておりましたな。彼女は私にも見せてくれませんでしたので、率直に言って、今とても不安ですな」
他の座員も心配そうな顔を隠さない。今日の結果をもって、マリルがハミルソン一座を続けるかどうかを座長は判断するのだと言う。
「ではマリル、始めてくれ」
座長の合図でマリルが皆の前に出てくる。手にもった包みから、取り出したのは笛が8本、リング状に取り付けられた道具だ。上部は厚めのタブレットのようなパーツになっており、そのタブレットの天面には笛の位置にあわせたタッチポイントが8つ付いている。
「では…」
マリルは、怪我をしていた左手で、中央部からとび出ている持ち手を握る。精妙な笛の操作を行えなくなったが、握って抑えることは問題ない。右手をスッと上げ、その細く白い指で天面のタッチポイントに触れる。
「!!!」
最初の音で、ハミルソン含め、その場にいる俺以外の全員が驚愕した。1人で演奏していては決して聞くことのできない、2つの笛の音色が同時に聞こえてきたからだ。
マリルの腕前は本物だった。哀悼の曲というのだろうか、哀しみに満ちたゆるく、細く流れる笛の音色が空間に満ちていく。細く掠れるように1つの音が、息継ぎを必要とせずに長く続き、そこに2つめの音が、時に3つめの音が重なって厚みを増し、離れていく。自分がどこにいるのか、立っているのか座っているのかもわからなくなるような不思議な感覚に捉われる。
どのくらい時が経ったのか、気がつくと演奏は終わっり、俺も、クロナもテイカーも、座長も座員も皆が涙を流していた。
「マ、マリル、な、なんといっていいか…。わ、私は今、衝撃を受けています。…す、素晴らしい演奏でした。これからも、ど、どうかよろしくお願いします」
座長が涙を拭こうともせず頭を下げ、マリルは嬉しそうに頷いた。
◇
俺が作ったのは、『キモカワ!ハーピィちゃん。』の応用だ。風の魔石から吹き出す風を、魔力遮断コーティングで固めて、逃すことなく笛に流れるようにしている。笛は穴を埋めて音階を固定した状態になっており、8本の笛にそれぞれ1個ずつ、計8個の魔石を使っている。
またタッチポイントは、神経棒を加工したものにしている。そうすれば、風を逃がさないように、むき出しの魔石を指で強く抑える…なんてことをする必要がなくなり、女性の力でも軽く触れるだけで音を出せる。
さらに、これまでだったら魔石は使い捨てにしかならなかったが、神経棒を使うことでマリルでも簡単に魔石にチャージできるようにした。
ハーピィは、弱いわりに魔石はパワフルで、風属性の中でも風が良く出る方だ。調べてみると、王国のあちこちにいるらしく、近隣で被害を受けている村人たち以外は狩っている人間もいないし、素材も魔石も価値がないと認識されているので冒険者に依頼すれば、チャージ用の魔石も入手しやすいはずだ。
マリルとは、細かい部分の調整を何度も打ち合わせた。どうしても口で演奏するときの細かく機敏な音の出し方は再現できなかった。その代わり、同時に出せる複数の音、息継ぎのいらない長い音という今までにない、新しい笛の演奏が可能になった。マリルは新しいその可能性に、目を輝かせながら自分の持つレパートリーのアレンジを考え、練習した。その結果が今日の演奏だった。
◇
その夜、俺とマリルは2人だけで祝勝会を上げた。ハミルソン一座は領都にはまだいるそうだが、あと10日ほどで、また地方を巡る旅に出るそうだ。
「リュードさん、本当にありがとう」
「いや、喜んでくれて何よりだ。っていうかお金ももらってるしね。あぁ、そうだ、そうそう壊れることもないとは思うけど、もし何かあったら、王都のエルソン男爵邸に言付けを残してくれ。すぐには対応できないかもだけど、ちゃんと面倒は見るから」
「うん、ありがとう。でも、お金に関しても本当は、もっとかかるものでしょう?私、見たことも聞いたこともないもの。こんなにすごいもの」
「まぁ、今のところ世界に1つだけかな」
「……」
マリルは無言で立ち上がって、俺の前に来ると真っ直ぐな目で俺を見つめる。かつて怒りと悲しみと蔑みしか浮かんでいなかったその瞳には、温かな、それでいて切ない何かが見えた。
「リュードさん。今晩は一緒にいさせて。私に新しい音をくれた、あなたのことを…忘れずに覚えておきたいの」
翌朝、俺が目覚めると、マリルはすでに部屋からいなくなっていた。窓から入る陽光が、机の上に転がった風の魔石を柔らかく照らしていた。
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