犬神ひなた(いぬがみひなた)編

定期的に行われているおれの信仰する宗教の経典解釈を語り合う集会を行う廃墟。

眼前で火花が散った。

ガスコンロを思いっきり捻った時の青い炎が目の前で弾けたような。

それとほぼ同タイミングで犬神(いぬがみ)ひなたがカーディガンに包まれた背中を跳ねさせた。

「あづ……ッ!?」

ガタンッと大きな音を立てながら、明るいオレンジ色の髪が視界から消える。

ひなたさんの身体はパイプ椅子ごと床に倒れたのだ。

バッサリ切ってある明るいオレンジ色の髪の毛が潔くて、その下にある茎のような首は滑らかに細い。


おれを見上げる青色の瞳は不安げに泳ぐ。

ひなたさんは感情表現が控えめなだけで、ポーカーフェイスというわけではないが、それにしても珍しいことだ。

次の瞬間、ひなたさんは苦悶の表情を浮かべて、ロングスカートに包まれた脚を折り曲げて身を捩る。

今度は顔を隠すように腕をクロスさせていた。

おれは何が起こったのか、まるで状況理解が追いつかない。

ただ、彼女の様子から何か異常事態が発生したことは察した。

ひなたさんの首筋には、赤い点が浮かんでいる。

先程まで、何も無かったはずだ。


割れた窓から光に照らされて、新しい象牙のように滑らかだった肌は今は薄く腫れている。

「熱いぃっ!」

と、ひなたさんが叫んで、やっと状況が掴めてきた。

しんと廃墟が静かになる。

集会に来ていた他の信者達も、何らかの問題が発生したことを理解したらしい。

ひなたさんは苦痛を吐き出すように荒い息を吐きながら床に伏せている。

おれはひなたさんに近寄って、微かに震える手で上半身を抱き起こして座らせた。

ひなたさんの首筋と右頬には見慣れない真っ赤な模様が散らばっている。


目を伏せると目蓋も腫れていることが分かった。

鎖骨の辺りをよく見ると水脹れになっている。

つまるところ、火傷のようだ。

「えっ、なに?熱……」

痛みを伴うであろう発赤にひなたさんは困惑顔でおれを見ていた。

縋るような目付きにドキリと心臓が高鳴る。

ひなたさんは膝立ちのおれの上半身に寄りかかって背もたれかわりにしていた。

黙って様子を伺っていた信者のうち、派手な金髪と黒髪のツインテールをした若い女性信者二人が近寄ってきて、ひなたさんの身体を心配そうに眺める。


「火傷……?今なんか煙が出なかった?」

「センセー、大丈夫?」

「理科の実験みたい。太陽光を集めるために虫眼鏡に黒い紙を使うやつ。小学生の時やったやつ」

「とにかく、病院に連れて行った方が良いんじゃない?」

金髪の方の女性信者がひなたさんの身体に触って、動物病院の犬猫の診察のようにベタベタと不躾に触りまくった。

ひなたさんのワイシャツのボタンを外して、下着がギリギリ見えない程度まではだけさせて、火傷が無いか確認をしている。

ふと、ジリッと何かが焦げるような音がして、女性信者が手を引っ込めた。

「ヤッ!なに!熱い!焼けた!なにー!」


ビーズのブレスレットを嵌めた腕を冷ますようにブンブンと振る。

ふーふーと息を吹きかけてから、ハッとしたように手の甲をしげしげと眺めて、おれの方に見せつけるように突き出す。

「焦げた!えげつねぇキスマークか!?」

ひなたさんと同じような発赤が出来ていた。

ひなたさんがどんな表情をしているだろうと見下ろすと、そのかんばせを視認する前にひなたさんは左肩を押えて悶絶する。

「あ、あついぃー!」

見えない敵から逃れるようにひなたさんは再び床に伏せて身体を縮こませた。

尋常ではない反応に怖くなって、ひなたさんの身体を抱き起こそうと手を伸ばそうとする。

背後から敵意の気配がした。


「ごめん!」

刹那、首の裏に鈍痛が走る。

暗転。

曰く、おれの眼孔からビームが出るようになった。

何を言ってるか分からないと思うけど、おれも分からない。

しかし、おれを手刀で気絶させた黒髪の女性信者によると、傍から見たらバッチリ光線が目視出来るようだ。

解決法がわかるまでは目蓋を開けないように、と目隠し代わりに男性信者からネクタイを渡された。


二週間が経過したが、おれの目からはビームが出るままだ。

ひなたさんの腕に掴まりながら、廃墟からの帰り道を歩く。

不可抗力とはいえ怪我を負わせたのにひなたさんはおれに優しかった。

「せめて、原因がわかればねー」

「面倒見させてすみません……」

「わたしは経典の教えを遂行してるだけ。わたしはわたしの神様に恥じない生き方をするの。それに、あなたが一番困ってるし」

隣を歩くひなたさんからは、白檀の香りに似た、お香みたいな匂いがする。

実は、二週間でなんとなくビームのメカニズムは分かってきている。


ビームが出るのは決まってひなたさんが傍にいる時だ。

そして、洋服や頭髪、人肌は焼けるけれど草木や家具などは焼けない。

「あ、着いたよー」

ひなたさんが立ち止まって、目隠しをしているおれの代わりに鍵を開けてくれた。

「はい。また明日ね。あなたも、わたしに似てる人を見かけても着いてっちゃだめだよ。なんてね」

「ま、待って!お願いがあるんだ!」

鍵を返して立ち去ろうとするひなたさんの腕を掴んで引き止める。


「仮説なんだけど、おれの目は治るかもしれないんだ!」

「えっ?それって本当?」

「うん……あの、ひなたさん。ちょっと我慢して欲しい」

「うん?」

「ひなたさん好きです。一回だけ、おれを救うと思って、キスマークつけさせて下さい」

ひなたさんはおれを愛しているわけでも、ましてや恋しているわけでもない。

酷い頼みをしている自覚はあった。

でも、おれには治るという確信がある。

三大欲求で熱を持つなんて表現されるのは、性欲だけだ。

視線に熱がこもるのは、きっと燃えるような嫉妬。


「それで治るの?」

「はい……すみません」

「いいよ。はい」

ひなたさんはおれの頭を軽く押さえつけた。

柔らかな肌の、甘い香りが鼻を通り抜け脳の奥の奥をじんわりと温める。

髪を甘やかすように撫でられて蕩ける思考のまま、跡がつくように吸い付く。

小さく息を飲む音が聞こえた。

おれは目隠しを解いて、顔を上げる。

目が合うと、怯えたように肩を揺らしたひなたさんは、やがてビームが出ないことに気づくと首を傾げた。


「今ので治ったの?」

「おそらく」

「ふーん。何はともあれ、良かったね」

久しぶりにひなたさんの姿を見る。

ひなたさんは笑っていた。

食えない人だ。

おれからのキスマークなんて気にも留めていない。

でも、やっぱり好きだと思う。

小波のような寂しさが心の一面に広がった。

ひなたさんは不思議そうにおれを見つめている。

その首筋には火傷跡代わりの、キスマークがぽつりと浮かんでいた。


▼ E N D

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