キミの泥梨は博愛に欠くか
ハビィ(ハンネ変えた。)
宮根燦(むやねさん)編(※自傷描写有り)
「お前嫌い、もう関わらないで」
燦(さん)ちゃんはなんの脈絡もなく、おれに絶望を突きつけた。
傘を打つ雨の音が、遠くで地鳴りのように響いている。
その日は、雨が人一倍嫌いな燦ちゃんが傘を忘れていて、おれの傘で相合傘をしながら下校していた。
燦ちゃんは雨に濡れるのもお構い無しに傘から抜け出すと、ファンシーなスニーカーで水溜まりをぱしゃぱしゃ踏みつけて、気がつけばその姿は雨に紛れて見えなくなる。
呆然と立ち尽くすおれを嘲笑うかのように雨はますます強くなったのだ。
宮根燦(むやねさん)は孤立していた。
彼女の頭はあまりよろしくなく、テストの成績はいつも赤点だ。
何度生徒指導の先生に指摘されても、私服で登校してきて、曇と天使の羽のような髪飾りをつけている。
体育の時はいつもグラウンドの隅っこにしゃがみこんでサボっていた。
それ以外の授業中はもっぱらスマホでリズムゲームをしている。
晴れの日は普通の女の子のように元気いっぱいで明るいけど、雨の日は学校に来ようとしない。
授業途中で雨が降り出すと決まって保健室に行きたがったり、早退したいと騒ぎ出す問題児。
おれはそんな燦ちゃんが大好きだった。
「宮根さん、好きです。大好きですっ!お、おれとぉ!つ、付き合ってください」
三ヶ月前、高校二年生の六月八日のことだ。
昼休みに教室を出ていこうとした彼女を呼び止めて、おれは頭を下げて両手でラブレターを差し出しながら愛の告白をした。
周りの目なんて知ったことではない。
例え、大勢のクラスメイトの前で振られたとしてもせめて燦ちゃんへの思いの丈を綴ったラブレターだけでも渡せたら良かった。
つまらない好意だと、目の前で破り捨てて貰っても構わない。
しかし、彼女からの返事は予想だにしないものだった。
「……いいよぉ」
おれは驚いて顔を上げる。
彼女は唇に微笑を浮かべているものの、ライトブラウンの目はどこを見ているのか分からないような虚ろな目つきであった。
その時から、燦ちゃんはおれの恋人になったのだ。
学校の近くにある昭和のレストランは、洋風の建物で入口には赤レンガのポーチがあった。
店内は広々としており、一階の天井は吹き抜けで、そこを囲むように二階席がある。
おれと燦ちゃんは一階席に案内されて、向かい合わせに座った。
「燦ちゃん!何でも好きな物を頼んでいいよ!」
「んーとねぇ!このぉ、プレミアムショートケーキと和風栗モンブランとオレンジジュースがいいなぁ!」
メニューを眺めて、彼女は即決したようだ。
おれは特に食べたいものがなかったので、店員を呼んで彼女の分の注文を済ませた。
「ねーぇ、あなたってさぁ、私に好きだよって言って欲しいのぉ?」
「えっ!?いや、ま、まま、まあ、言われたら嬉しいけど、燦ちゃんが隣にいてくれるだけで、おれは嬉しいから……無理強いはしない、です……はい」
「なにそれぇ、へんなのー」
「燦ちゃんは何もしなくていいんだ!この世に存在してくれるだけでおれを幸せにしてくれるから!」
「んー、熱量すっごいねぇ!」
店員が彼女のプレミアムショートケーキと和風栗モンブランとオレンジジュースを運んでくる。
「燦ちゃんはさ、なんでおれの告白にOKしてくれたの……?」
「んー、暇潰しだよぉ。でも、あなたって顔は悪くないけど話してみるとなんかキモイね」
燦ちゃんは成績だけではなく、性格もよろしくなかったのだ。
おれは、大好きな燦ちゃんが行きたいという場所なら何処へでも連れて行った。
彼女は飽きるとおれに何も言わず先に帰ってしまうこともあったけど、燦ちゃんが楽しいならおれは幸せだ。
大好きな燦ちゃんがブランドのワンピースが欲しいというので、アルバイトを増やした。
おれが小学生の時から貯めていた貯金も底を尽きたけど、燦ちゃんが楽しいならおれは幸せだ。
大好きな燦ちゃんが宿題をやりたくないというので、代わりに勉強を頑張った。
おれの睡眠時間は減ってしまったけど、燦ちゃんが楽しいならおれは幸せだ。
やっと生きる意味が分かった。
おれは燦ちゃんの為に生まれてきたんだ。
燦ちゃんの為なら、おれはなんだって出来る。
なのに、燦ちゃんに捨てられてしまった。
誰かに相談しようにも、燦ちゃんと付き合い初めてから燦ちゃん以外の連絡先は消してしまっている。
気づけば、おれは孤立していた。
燦ちゃんとお揃いだ。
燦ちゃんの気持ちがまた一つ知れた気がして、おれは嬉しかった。
燦ちゃんがどうしておれを捨てたのか、おれの何が悪かったのか、考えてみる。
考えて、考えて、考えて、考えた。
でも、結局分からない。
九月にもなったのに、地面から胸や顔の高さまで、熱気がたちこめていると思われる暑い日だった。
燦ちゃんはお金が何よりも好きだから、おれは昨日下ろしてきたアルバイトの給料全額を茶封筒に入れて彼女の靴箱に入れる。
今のおれの全財産だ。
燦ちゃんは靴箱を開けて上履きからスニーカーに履き替える。
茶封筒の存在に気づいて手に取ってくれたものの、一瞥して靴箱に戻してしまった。
おれは校門から出て行く燦ちゃんを後ろから追いかける。
真夏顔負けの炎天下に逃げ水の湧き出る交差点近くにある歩道。
青い絵の具を零したような空に一閃の飛行機雲。
「燦ちゃん!」
おれは燦ちゃんの腕を掴んで、無理矢理こちらへと振り向かせる。
そして青空を背負った目の前の少女に、おれは自身の腕を差し出して、肌にカッターナイフを突き刺した。
不思議と痛みは感じない。
カッターナイフを引き抜くと、その開かれたひとつの口からは、血が律動とともに身体の外へ出ていた。
おれは緊張で震えた声で呟く。
「燦ちゃんが、別れるっていうなら、し、死ぬからね、おれ」
燦ちゃんは目を丸くしているが、それほど衝撃を受けたという表情ではない。
驚いていることは驚いているが、むしろ何が起こったのか理解した上で感心しているという風だった。
「あれ……冗談なんだけどぉ」
「え……」
「なんかぁ、面白そうだから言ってみただけだよぉ」
燦ちゃんは愛くるしいかんばせを微かに傾けて悪意の欠片もなく言った。
「あなたってやっぱり頭おかしー、メンヘル男。まんまと騙されてぇ。ばぁか。ふっ、あははははっ」
燦ちゃんは、本当に心底楽しそうに笑う。
おれは燦ちゃんが笑った顔を、付き合ってから初めて見た。
「そ、そうかぁ……良かったぁ」
そして、おれは燦ちゃんのことがやっぱり世界で一番かわいいと思ったのだ。
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