闇夜の錦
真辺 灯
第1話 川野晶
梅雨が明けた初めての土曜日。
川野昌(かわのあきら)は汗が頬を伝い落ちる感触で目が覚めた。1週間の疲れに加え、昨晩の深夜におよぶ残業で体が動かない。
床に直接敷いた布団から身を起こし、テレビをつける。ぼんやり見ていたが疲労に勝てず、再び横たわる。情報バラエティの明るい司会者の声が頭を直撃する。不快に思いながらも消す気力すらわかない。
時計を見ると、すでに12時を過ぎていた。洗濯しなきゃ。掃除しなきゃ。心の中でつぶやくが、罪悪感ばかり膨れ上がるだけで、何もしない。
そのとき、外から「すみませーん」という女性の声と同時にチャイムが鳴った。
「すみませーん。ご在宅でしょうか」とその人は軽くドアをノックする。
来客なんてめったにない。皮肉にもすぐに体が動いた。玄関の窓から中をのぞかれるかもしれないので、冷蔵庫の影に隠れた。
「少しお話よろしいでしょうか」と、ドアノブをがちゃがちゃする音が聞こえる。
鍵をかけただろうか。冷蔵庫からこっそりドアを見たが、鍵はかけていた。少し安心した。明らかに怪しいやつだ。何かの勧誘だろうか。ここは不在を装うのみだ。
女性はあきらめたのか、静かになった。その瞬間、ドアに備え付けられたポストに何かが投函された。立ち去る足音が聞こえ、やっとホッとした。まだ近くにいるはずだから、しばらくおとなしくしていよう。どこにも出かける予定はないのに、出かけるべきではない理由ができた。
何をするでもなく、ただぼんやりとテレビを眺めていた。休日のお出かけ特集。こういう場所に行きたい憧れはあるが、面倒な気持ちの方が強い。そもそも一緒に出かける人もいない。
14時を過ぎて、やっとお腹がすいてきた。部屋の中を見渡すが、食べかけのスナック菓子しかない。それを食べた。濃い塩気が食欲を増長する。何か買いに行くか。もうあの女性もいないだろう。財布とスマホを持ち、サンダルを履いてドアを開ける。湿気を含んだ熱い空気が流れ込んでくる。アパートの廊下には誰もいない。
コンビニに向かう途中、建物がひしめき合う街並みを眺める。ここには人がいっぱいいて、各々の生活、人生がある。すれ違う人を眺める。誰かと一緒にスーパーの袋を下げて歩いている人。家族だろうか。たぶんこの人たちにとってはそれが日常なのだろう。一人でパンを食べながら歩いている人。きっとお腹が空いているのだろう。歩きながらパンを食べたくなるくらい、今すぐお腹を満たされたいのだろう。みんな何を考えながら、何を目的で生きているのだろう。
雲のない青空から容赦なく日光が降りそそぐ。暑くて頭がふらついてくる。食欲が徐々になくなっていき、コンビニに着くころには何も口にしたくなくなっていた。それでも栄養は取らないとという生存本能で、コッペパンを1つ買った。
アパートに帰り、水道水をコップに入れ、テレビを見ながらコッペパンを食べる。溜まった洗濯物、ざらつく床。さらに自己嫌悪が大きくなり、処方された薬を1錠飲む。
無価値な人間はいる。僕のことだ。
部屋に西日が差す。テレビのタレントたちの笑い声。コッペパンを半分残した。薬が効いてきた。布団に横になる。子供の笑い声が外から聞こえてくる。
気が付くと、部屋の中が暗くなっていた。19時半を過ぎていた。重たい頭を抱え、立ち上がる。そういえばあの女性は何を投函したんだろう。
ポストには1枚紙が入っていた。
「今、救いが必要ですか?」
見出しを読んで、すぐに丸めてごみ箱に放り投げる。
僕の何をわかっているんだ。勧誘の広告にいらだちを覚えてしまうことが悔しい。
休みの1日が終わろうとしている。同じような感じで日曜を過ごし、月曜からまた仕事だ。このサイクルを何回繰り返せば人生が終わるのだろう。
久しぶりにスマホに着信があった。大学時代の友人、道岡雄介から「今度合コン行かね?」とメールが届いていた。合コン?僕にそんな誘い来るなんて、絶対人数合わせだな。行くはずない。と思ったが、
「行く」 と返事していた。
すぐに「お、じゃあ来週土曜な!」と店の詳細が送られてきた。急に緊張してきた。酒は飲まないし、会話も得意じゃない。そもそも行っても無意味だ。
「わかった」と返事をしつつ、着ていく服はあるだろうか、と考えていた。久しぶりの社交の場に、緊張しつつも高揚している。 なるようになれ、だ。
晶はパンの半分を勢いよく食べた。
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