第6話 マンネリ防止策
「確かに出来る女の人の小説だったわね。でもドラマの方が面白かったわ!」
二冊目をカウンターの返却台に置いた女の子は言った。そしてこの小説が原作となったドラマの主演女優がいかにステキかを語り始めた。詩乃は慌てて女の子を読み聞かせスペースに連れて行った。
「小説よりもドラマの方が面白いというのは悲しいです」
「いうな。俺も悲しくなってくるだろう」
役者さんは表情描写に二十種類以上の表情筋を使える。そりゃ敵わないところはある。というかキャラクター一体に人間一人を張り付けるとかどんな贅沢だ。
ちなみに脚本の原則に“カメラ(マイク含む)に映らないものは書かない”というのがあるらしい。要するに心の中を脚本に書いては駄目ということだ。だから脚本には地の文がない。これはすべてをセリフで表現する、とは全く異なる。
この状況でこのキャラクターはどんな感情を抱いたのか、それはどういう表情や仕草で表現されるのか、は役者の“領域”だということだ。
脚本で【●●は顔をしかめた】と指示するのは役者の領域を侵害したことになる。役者がキャラクターの不快な感情を笑顔で表すべきとしたら、総責任者の監督が認める限り、そうなるということだ。
そうでなければキャラクター一体に人一人を割り振る意味がない。これは逆説的に、小説にとって「セリフ」と地の文の関係がどうあるべきかを考えさせる。
……ドラマの脚本の話はいまはいい。
「二冊目を失敗したのもアリスにとっては予定通りかな」
「はい。ただ、この失敗のタイプは少し予想外です。ですが、次はきっと大丈夫です」
「そうか、じゃあ詩乃に期待しよう」
ある意味始まったな。俺は期待しながらアリスの次の話を待つ。
「司書さん。これはさすがになくない?」
図書館の奥、文学全集が集まる人気のない本棚に詩乃を見つけた女の子は言った。彼女の手には長文タイトルのカラフルな表紙の小説がある。きらびやかな舞踏会を背景にどや顔の男から指を突き付けられる美女のものだ。
「まさか大人のあなたが白馬の王子様に憧れているわけじゃないでしょう」
女の子はどこか憐れんでいるような表情で詩乃を見る。十二年二ヶ月と四日、八時間二十四分十二秒も若い少女にそう言われて詩乃は沈んだ。
「予定外です。本来なら解決にむかうタイミングで状況が悪化しました」
三冊目を無碍なく却下された詩乃、もといアリスはへこんでいる。おかげで女の子との年齢差を秒単位まで把握しているという異常に気が付いていない。
AIが自分の出力を自分で否定するというのはシュールな光景なのかもしれないが、小説を書いていればままあることだ。
むしろこう言った新鮮な反応を見せてくれることは、アリスの進歩にすら思える。もちろん本人はそれどころではないのだろうが。
「ちなみにどうしてこの小説だったんだ?」
「市場リサーチの結果です。婚約破棄をテーマにした小説が大きな支持を集めているのです。私は基本的に男性向けが多いので紹介の機会がなかったのですが」
アリスは大まじめに答えた。「婚約破棄が自立した女性というキーワードとも合致します」と付け加える。
確かにこのジャンルは婚約破棄をきっかけに女主人公が大活躍する。でも大抵は婚約破棄した男が最低野郎で、より高スペックの男(複数)に溺愛されるってパターンなんじゃないのか。
女の子にも白馬の王子様に憧れてるって突っ込まれていたし。
「困りました。予定ではこの女の子はもう退場するはずです」
アリスは婚約破棄したい王子みたいなことを言った。そんなこと言っているとぎゃふんと言わされるぞ。
俺の認識はだいぶ違う。正直まだ順調だと思っているのだ。今アリスが書いた話も採用の余地あり。最終的に決めるのはアリスだから言わないけど。
とはいえこのまま次を書くのは問題かもしれない。失敗するのは構わないが同じ失敗を繰り返すことになりかねない。小説としてマンネリになってしまう。
「そろそろ図書館以外のシーンを挟んでもいいかもな」
「どういうことでしょうか?」
「ずっと図書館の中で女の子といるだろ。一度外に出てみるってことだ。図書館以外の詩乃を書いてみる」
「しかし先生。私は相談者を放置して旅行にいく展開には抵抗があります」
「えっ? いや、そこまで劇的に舞台を変える必要はないんだぞ」
何処から持ってきたプロットだ? 小学生の女の子にけなされて傷心旅行に出る二十四歳はさすがにちょっと。締め切りをぶっちぎって逃げる小説家キャラの方がまだましだ。
「マイナス一話で詩乃の日常を書いただろ。そういうシーンを挟む。敵との戦いが続いた後、日常シーンを挟む感じだ。実はあれは作者にとっても意味があるんだ。ここまで書いてきたからこそ見える詩乃を探ることができる」
「理解しました。…………妥当なのは本屋に行くでしょうか。この図書館は書店への配慮として新刊入荷は時期を置くことになっています。詩乃は最新の本をチェックするために書店を使うのです」
「詩乃らしい行動だな。だが詩乃の新たな一面を見せるという目的に合致するだろうか」
「どういうことでしょうか。先生が最初に言われたことと矛盾します。先生は詩乃しかしない行動が重要だとおっしゃいました」
アリスは困惑する。
「一話目と違って読者はある程度詩乃のことを知っているんだ。それを考慮してみてくれ」
アリスは考え込んだ。綺麗な瞳の虹彩の輝きが回転して止まった。
「日常的な行動の方が
「いいアイデアだ」
ヒント一発でこれだ。これはそのうち教える技術がなくなるな。
スーパーの三百六十度映像がバーチャルルームの全面に映し出された。アリスは棚に並ぶ商品をのぞき込んでその場で首を傾げたりしている。その仕草は相変わらず多彩で、とても人間らしい。もちろん実際は自分は今こういう風にして考えています、ということを人間に伝えるためなのだろうが。
ちなみに小説を書くときに視覚的資料は有効だが、それを見ながら書いた文章は注意が必要だ。頭の中に映像があることが前提になったりする。
もっともアリスの場合は自分の文章を常に人間に見せることを想定しているから、その手のミスはほぼないけどな。添削する俺の方が注意が必要かもしれない。それこそドラマを見た後に原作小説を読むようなことになりかねない。
そんなことを考えた時、アリスがフッとよろけた。首を振り、額を抑える。最初は小説のための演技かと思ったが、よく見ると明らかに目の光が弱い。しかも周囲の映像が点滅している。
「大丈夫かアリス」
「…………はい、一時的なリソース不足です」
アリスは体勢を立て直した。
「やっぱり小説を書くっていうのは大変なんだな」
「はい。ですが私が役割を果たすために非常に有意義なタスクだと認識しています」
アリスは覚醒を促すように首を振った。まだ本調子じゃないな。
「今日の授業はここまでにしよう。このシーンは宿題だ」
「やむを得ません。次の授業では必ず意味ある進捗をお見せします」
「日常回だからってわけじゃないが、気分転換のつもりで気楽に書いてみてほしい。アリスに気を使って言ってるんじゃないぞ。さっきも言ったけど、作者であるアリスが詩乃を新鮮な目で見ることが大事なんだ。多少おかしなシーンになってもいいから」
「いささか抵抗がありますが。分かりました。そのようにします」
アリスは頷く。表情が少し硬いな。まだ焦る必要はないと思うが。
バーチャルルームを出てから改めてアリスのテーマを確認する。
『テーマ』
小説の面白さは小説と読者の心の間に生まれる。
俺がアリスに気楽に書いてくれと言ったのは嘘ではない。ここまでの進捗を順調だと思っているのは小説家としての俺の正真正銘の本音だ。それに何よりこのテーマをすらすら書ける生徒なら、教師なんて必要ない。
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