第5話 中庭(1/2)

 社員食堂で定食を受け取ってからビルの外に出た。スタジオには広い中庭があった。植樹された木々と芝生はまるで公園だ。ちなみに画板キャンバスと呼ばれているらしい。油断するとシリコンバレー的なのが出てくるな。あちらは確か大学キャンパスだったが。


 中庭に並ぶテラス席で食べている社員も多い。大学キャンパスの学食を思い出す光景だ。でも画板キャンバスか、ややこしい。


 もちろん意義は分かる。分からない小説家はいないはずだ。PCやノートに向かってどれだけ頭を絞っても出てこなかったシーンが、河川敷を散歩してるときに出てくるなんてざらだ。考えている時の頭の中は、ぐらぐら煮立ったシチューのようなものだ。散歩する中で適温に冷めたときにはじめて味が分かる。煮詰まったという誤用は、小説を書く者にとって誤用といえないイメージを持っている。


 筋トレが趣味の同業者は、トレーニングは筋肉を壊すため、そのあと休んでるときに筋肉が成長するんだといっていた。理解しがたいが多分同じ意味だ。


 そう言えば、メタグラフにも観葉植物や熱帯魚の水槽まであったな。仮眠用カプセルの印象が強すぎて忘れていた。


 まあそれで出てくるのはテーマのために必要なアイデアであって、本当に大事なことはもっと奥にあるんだが。


 テラスから少し離れた樹木の横のベンチに座った。社員食堂の日替わり定食だが、コンビニ弁当より上質で健康そうだ。流石は大企業の福利厚生と言ったところか。


 せっかくの健康的な食事を五分で食べ終わり、イヤホンをオンにした。彼女の前で一人だけ食事をするのは慣れない。


「午後の取材について打ち合わせをしたい」

『分かりました先生』

「そういえばアリスにとって別のバーチャルルームに来るのは外出ってことになるのか? 基本的にメタグラフのバーチャルルームだよな」

『ここのバーチャルルームはメタグラフよりも広く、多くのノードとリンクしています。そういう意味では新鮮です。しかし本質的には変わらないと感じます』

「窓の外の景色が変わった感じか?」

『はい。新しいデータという意味では先生が私以外のViCとコミュニケーションしていることの方が…………いえ、これは口にする必要がないことでした』

「いや何でも気になったことは言ってくれ」


 アリスにとっての内と外の認識は小説の舞台を教えるために重要だ。特に彼女が自分以外のViCをどう見たのかは非常に気になる。小説で言えばゲームの取材が『コンセプト』でシオンがアリスにどう見えるかが『テーマ』といってもいいくらいだ。


 そして後者は教えるのがとても難しい。というよりも俺たち人間とは違うアリスの思考パターンと関わっている可能性があるので、教えられないと思っている。


『シオンが着替えた後で先生の視線のパターンが変わったと事が少し気になりました』

「……ええっと、アリスたちにとってセクハラだったとか」


 内心身構えていた俺は箸を取り落としそうになった。あわてて確認する。男のチラ見は女のガン見って言葉を思い出す。ViC相手となるとミリ秒単位で測定されているかもしれない。


『ご懸念の意味が分かりません。シオンは気にしていないでしょう。一般的な男性の反応の範囲ですから』

「そうか。分かった」


 一応気を付けよう。仮にもViCであるアリスの先生役だ。まあ、アリスがあんな露出度の高い格好をするのは考えられないが。


「話を戻す。まず午前の取材についてアリスはどう思った?」

「はい。事前に調べた以上の情報は得られませんでした。魔法システムは新規性が大きく見えましたが、他の設定は一般的なファンタジー世界、その平均的な姿に感じます。また個々の要素間のつながりが希薄で、散漫にも感じました」

「なるほど。アリスはそう捉えたか」

「『創世の魔術』の評価は世界設定を中心に高いです。間違いを指摘していただけると助かります」

「いや間違いとは言えないな。アリスが比較したのはファンタジー小説の舞台だろ。実はゲームの『舞台』と小説の『舞台』は性質が違うんだ」


 俺はむしろアリスの理解力に感心する。


 小説の舞台は極端にいえば一人の主人公の一つのストーリー専用だ。一方、ゲームはありとあらゆるプレイヤーが主人公になる。動機も好みも関心も、多様な主人公がいるようなものだ。いろいろなタイプのシナリオに適合する必要がある。だから多彩な要素が独立性をもって均等に配置される。


 技術と知識を求めていた時、舞台設定の参考にしようとコンピュータゲームの設定資料集からTRPGのルールブックまで片っ端から読み漁った時期がある。特にTRPGは最適の資料だと思った。何しろゲームマスターと呼ばれるゲーム進行司会者が、自分のシナリオを作るための舞台設定だ。実際、TRPGが趣味だと公言している人気作家は数多い。


 これほど小説の舞台構築の参考になるものはない、つまり万能の舞台構築理論を内包しているはず。そう確信をもっていろいろ読んだ。


 結果として分かったのは、要素一つ一つは参考になるが『一つの世界』を構築する方法論という意味では小説と正反対だということだ。今思えば当たり前だ、一つの物語のための舞台と、多くの物語のための舞台ではそのありようが違う。TRPGはそういう意味で小説の対極だ。


 もちろん例外はある。代表がクトゥルフ神話だ。ラブクラフトを中心に、多くの作家によって作り出された神話体系は、未だに世界中のファンを魅了し新しい作品を生み出すオープンワールドとなっている。


『なるほど。同じ舞台でも存在理由、原理が異なるのですね』

「そうなんだ。そこでアリスが最初に言っていたことだ。「『舞台』は外的で固定的で単純化されたデータ」と言ったよな。これは小説よりもゲームの舞台のそれに近いと思わないか?」

『…………確かにそう感じます。おっしゃる通りです』

「アリスたちの初期教育だったか、の環境がゲームに近いと思ったんだ。アリスの舞台についての認識を聞いたときに改めてそう思った」


 アリスと人間の世界認識の違いが少しだけ見えた気がした。五感とかの問題ではない。人間にとって世界は外じゃない。自分の見ている世界は内側にある。内側にある世界も含めて自分かもしれない。


 小説の読者としてならアリスの認識で問題ないかもしれない。だが、小説を書くというのならどうだろうか。世界が外にあるアリスに本当の意味で世界を創造できるだろうか。出来るとしたら、それは人間の作家と同じやり方なのか?



『つまり私が小説を書く上での致命的な欠陥ということでしょうか。だから私にはテーマが見つけられない』

「いつもの答えで悪いが、致命的かどうか俺にはわからない」

『……』


 アリスの沈黙。見えていないのに、彼女がとても心細い顔をしたように感じた。

「もちろん舞台について俺に教えられることは教えるつもりだ。アリスが小説を書くのをあきらめないならな。ちなみに、今のを舞台という要素の問題じゃなく、テーマと結び付けたのは」

『ホッとしました。私はまだあきらめるつもりはありません』

「俺もホッとしたよ。実質無職にもどらないで済む」


 俺は冗談めかした。


 ただでさえアリスは『答え』を求めるところがある。だが、じぶんせかいの関係なんて一番教えられないことだ。俺たちだって多分に本能で処理している。心の理論とか物心つくというのはそういう意味だ。むしろ意識したら気が狂うかもしれない。


 言い方を変えれば小説版シンボルグラウディング問題かな。今回の授業で片が付くような問題とは思っていない。


 しかし、アリスに教えれば教えるほど小説を書くということはAIにとって本当に異質な行為じゃないかと感じる。鳴滝が言っていた「小説が一番難しい」というのは正しいのかもしれない。


 まあ、小説が一番難しいなんて俺が一番よく知ってることだから今さらだ。


『舞台についての認識をアップデートしました。ですが、疑問が生じざるをえません。先生は敢て小説とは違うゲームを教材に選んだということになります』

「一つは、アリスの言ったようにゲームの舞台は固定された要素を理解するうえでは分かりやすいというのがある。だけど、取材対象の本命はシオンなんだ」


 俺がそういうと、アリスは再び沈黙した。


『つまり、先ほどのシオンへの視線は……』

「そういう意味じゃない。この場合の取材対象は、アリスの取材対象という意味だ。最初に午後はアリスに主体になってもらうって言ったよな」

『そうでした。なぜ文脈を読み違えたのでしょう』


 全くだ。大体、さっきシオンは気にしないだろうとアリスが言ったのに。


 とにかく、これは教えられないことだ。アリス自身に感じ取ってもらうしかない。アリスにシオンを見てほしいんだ。つまりViCのいる世界の取材をアリスにしてもらう。それがこれからの予定であり、この授業の本題だ。


 ただし、その前に確認しておかなければいけないことがある。


「シオンが言っていた危険についてだ。以前の…………アンビバレンツ・エラーだったか。あれと似たようなことを考えなくちゃいけないということか?」

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