第5話 中庭(2/2)

「以前の…………アンビバレンツ・エラーだったか。あれと似たようなことを考えなくちゃいけないということか?」

「私の人格システムの基幹に対する脅威という意味ではその通りです」

「絶対に避けないといけない奴じゃないか」


 メタグラフで見た悪夢の光景がよみがえり、背筋が冷えた。セクハラ野郎認定よりもずっとぞっとする。


「学習するとはそういうことだと理解しています。変化を続けるためにはリスクが伴います」

「それは、一般的にはそうだが……」

「それに無理に変化を留めると問題が起こる可能性が高まります」

「なるほど、アリスには継続した現実からの情報が必要だって話だったな」


 一番最初に彼女に会った時の説明を思い出す。アリスたちViCは実際の活動の中で学習を続け、その中で次の成長のために不足したデータを認識する。欠失データだったか。俺が雇われた理由だ。それは新しい知識や技能を獲得するだけでなく、アリスが通常持っている思考能力の根幹でもあるのは間違いないだろう。


 つまりアリスがアリスであるために内在している危険だ。嫌な言い方をすれば“仕様”ということ。いや、人間の精神にもそういう“仕様”はある。自殺が職業病と思われている小説家なんて、その最たるものかもしれない。まあ自殺する前に不養生で早死にする人間がごろごろしてるけど。


 もっとも俺の場合はこのまま書き続けたら取り返しのつかないところに踏み込むかも、なんて思っていたのは書けていたころだが。


 小説家として言わせてもらえば小説を書いた“結果”ならともかく小説を書けるようになる前に、というのは許容できない。いや、書けた後でもダメだけど。


「同じViCなのにシオンはリスクを感じていなかったな。その理由はなんなんだ?」

「はい。まずこのゲームはシオンの専門領域です。またシオンは私の世代よりファインチューニングが進んでいますから必要な情報の濃縮密度も高いでしょう。一番決定的なのはシオンが学習モードではないので、インプットの量が最低限になることです」

「なるほど。つまり流れ込む情報の量とスピードによってアリスの心の“堤防”が崩されるという感じで考えればいいのか?」

「適切な理解だと思います」


 大まかに言えば、両者のやり取りの情報量をコントロールすればいいということか……。


「仮にアリスとシオンが“直接”に“データ”をやり取りしたら。人間同士の会話に比べてとんでもないスピードになるよな」

「互いの思考時間はありますし、情報の測定方法と定義にもよりますが、百倍を超えます。これに関しては明示的に禁止されています」

「俺とアリスがやっているみたいに、人間と同じ速度で『言葉』で会話する場合はどうだ?」

「それならば情報量もスピードもある範囲でコントロールしやすくなります」

「結局は当たり前の取材にすればいいわけか」


 手紙を書くみたいなスピード感かもしれないが、リスクを低減できるのならいい。未知の危険なんてそのレベルでしか制御できないし。そもそも今回の取材に求めるのは情報の“量”じゃない。アリスに取材してもらうのは『シオンがいる世界』だ。


「取材計画を考えよう。大事なのはアリスの視点だ。俺の視点で決めるとアリスが取材するという意味がなくなる」

『分かりました。…………私がシオンに問うべきことはこのゲームシステムにおける魔法システム、特にシオンがプロトタイプとなるジェンの役割です。これは魔法システムがゲーム舞台を成り立たせる柱であるからです』

「ファンタジーの舞台を成り立たせているのは魔法、俺が教えたことだな」

「はい。私自身『舞台』を理解するために重要だと考えました」

「そうだな。舞台を学ぶという意味で間違ってはいない。そうだな、じゃあ聞くべきことではなく、聞きたいことはなんだ?」

『……………………これは直接的ではないので一つ目ほどの意義を確信できないのですが』

「そういうのだ。教えてくれ」

『シオンが『創世の魔法』のテーマをどう認識しているか。そしてそれに対してどんな感情を持っているか、です』

「…………つまりシオンにとっての『創世の魔法』のテーマに対する感想か!!」

『!? あの先生。やはり取材対象としてはまち――』

「最適といっていい」


 思わず声を上げた俺に、心配そうに聞くアリス。俺は即答した。


 思いつかなかった。今回の取材の目的である舞台という意味では踏み込みすぎかもしれない。だがアリス自身がその発想に至ったなら止める理由はない。


「問題は手順だ。この手の深い問題に踏み込むなら質問の順番はよく考えないとだめだな。そうだな、アリスが言った一つ目を下敷きにして……」


 俺は教えられる技術である取材の方法について説明する。


『分かりました。質問を三段階に構成します。後、このプランはシオンの管理者に確認を取るべきだと考えます』

「そうなのか?」


 管理者というと梨園社長だ。あの忙しそうな人を捕まえるのは大変そうだが……。俺が最初に案内された三階の所長室に目をやろうとした時だった。


「面白そうな話ですね」

「梨園社長!?」

「失礼。会議が終わって昼食と思って出てきたら、耳に入ってしまったので」


 声がすぐ横から来た。あわてて振り返ると、小太りの男が右手に小さな弁当箱をもって立っていた。




「流石アート出身ですね」

「……昔取った杵柄ですよ」


 ベンチの隣に座った梨園の食事を見る。弁当箱の茶色主体の健康に良さそうなおかずと五穀米のおにぎりはどう見ても手作りだった。俺が着目したのは左手にもった社員食堂の皿の方だ。


 赤、黄色、緑と静物画のような彩色のサラダだ。食堂はサラダバー形式だったから、盛り付けは梨園氏のセンスだと判断した。


「実は社員食堂で一番力を入れているのはサラダなんですよ。私の行きつけのレストランのシェフに季節ごとに考案してもらうドレッシングと一緒に無料で提供しています。おかげでわが社の健康診断の数字はなかなかですよ。私自身もこの腹の割にはね。これだけはやめられなくて」


 梨園は汁椀をあおる仕草をして笑った。屈託のない話し方が社員を大事にしているのが伝わってくる。鳴滝なら「自己管理もできない人間は要りません」とか言いそうだ。奴は小説家を絶対に雇っちゃダメなタイプの経営者だな。逆にこの会社なら小説家も、自殺するまで長生きしそうだ。


「それよりも今の話です。シオンのメンテナンスのことでしょう」

「ええ、そうなんですよ」


 一瞬焦るが、ある意味渡りに船だということに気が付いた。俺はアリスのシオンへの“聞き取り調査”の案を説明した。


「テーマ、ViCが持ちえない主観的要素を敢て……。美大では私も教授にさんざん問い詰められたが………………」


 説明を聞いた梨園は考え込んだ。弁当箱に向かって顔を伏せる姿に緊張する。アリスの質問は考えうる限り最高のものだ。もし拒否されたら……。


「なるほど。カウンセリング的手法というわけですか。鳴滝に聞いた時はピンとこなかったが、そういうことだ」


 顔を上げた梨園は感心したように手を打った。俺はほっとした。


「だが大丈夫なのですか。そちらのViCに危険性があるのでは。鳴滝に止められていないのですか?」

「それが別に言われていないんですよ。何を企んでいるのか……、っと口が滑りました」

「ははっ、まあ突出しきった人間というのはそういうものですね。私がどうこう言う領域じゃなかった」


 メタグラフの技術顧問を名乗っていることを思い出して頭を掻いた。梨園は笑って合わせてくれた。共感はありがたいが、創作で獲得した技術を生かして経営で成功している当人も突出した人間だろうに。


「私も同席しよう。実に刺激的だ」


 梨園はそういうとサラダを手早く箸で崩した。ミニトマトの赤い皮がはじけてレタスの緑と混ざった。途端にサラダが色を濁らせて見えた。


 いわゆる補色対比だ。隣に並ぶと互いに引き立てられていた二色が混ざったとたんに輝きを消す。元のサラダが色彩理論に基づいて盛り付けられていた証拠だ。ちなみに言葉の配置にも同じような性質はあると思っている。


 咲季みたいに即興で紡ぎだすセンスは俺にはまず手が届かないが。せめて色相環のような客観的基準があったらなと思ったものだ。

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