エピローグ

 バーチャルルームには料理や飲み物が並んでいた。各所にセンサーが配置されたここには、本来は持ち込みを許されないはずの品々だ。流石にアルコールはないが。


 合理主義経営の権化と言われる最先端テクノロジー企業も、困難なプロジェクトが成功を収めた後は祝宴の一つも張るらしい。


「チャンネル登録者数はずいぶん伸びました。債券崩壊を読んだ後で、改めてアーカイブを見たリスナーの登録も続いています。債券崩壊の注文アフィリエイトは記録的な額になりそうです」


 表示されたグラフを前に、笑顔の九重女史が言った。


 アリスの感想はガチの沖岳ファンにも“謙虚”だと好評らしい。もしいつも通りの説明的に語っていたらこうはいかなかったかもしれない。


 とはいえ、放っておいても売れる小説がさらに売れることに自分が貢献したのかと思うと……。


「その沖岳とかって爺さん、結局自分が得してるじゃないですか」

「そうだな。ネットじゃ沖岳幸基はAIを感動させたって伝説が…………。おい咲季、お前何処から入ってきたんだ」


 隣に立った小柄な女の子に驚く。茶色のショートカットの人気作家は立ったまま綺麗な所作でテリーヌだか何だかが乗ったクラッカーを食べた。


「なんかインテリヤクザっぽい人に先輩の一番弟子だって言ったら入れてくれましたけど」

「堂々と身分詐称をするな」

「へえ。じゃあ先輩の『債権者』と名乗った方がよかったですか?」


 目の前に突き付けられた焼き鳥屋の債券レシートを前に、俺は口をつぐんだ。デフォルトするつもりはなかったんだ。ちゃんと払うから。


「何というか作家としての勘なんですけど。ここで登場しておかないとフェードアウトしかねないというか。多分仕事と言い張れますね」

「今までで一番意味が解らん。お前の仕事は一体何なんだ」

「ちょうどご相談があって私がご連絡したんです。それに、早瀬さんにもアリスがお世話になったみたいですから」


 九重女史が取り成すように言った。流石は元編集者、売れてる作家への気配りは細かい。だが咲季よ、その気配りは売れてない作家の涙で出来ていることを忘れるな。


「確かに、咲季には世話になった。それは認めざるを得ないな」

「そうでしょ、そうでしょ」


 アリスの感想に何が欠けているのか直感的に見抜いたのはこいつだ。


「そうだ、狐塚さんからもお礼の電話がありました。海野先生にもくれぐれもよろしくと言ってましたよ」


 狐塚? と思ったら例の副編集長だった。そう言えば出版社のプロモーションだったな。すっかり忘れていた。本来ならチャンスだから企画プロットの一つも見てくれと頼むところだが。


 まあ、そんなのはまだ一つもないけど。


「アリスは何も食べられないのは残念だな。いわば主役なのに」

「そんなことはありません。人が飲食するのを直接観察するのは興味深いです」


 一人だけ手ぶらで立っているアリスに話しかけた。咲季を感心したように見ているアリスは、上品で大人しめの黒いドレス。チャンネルの時に着ける栞を模したヘアピンも黒髪の上で銀色の輝きを放っている。


「ただ、少し戸惑いがあります。今回のチャンネルが予想以上のパフォーマンスを上げたのが、とても不思議です」

「多分アリスは共有したんだよ。一冊の小説をリスナーの人たちと」

「私も皆さんと同じ光景を見ることが出来たということでしょうか」

「多分な。アリスの感想が終わった後、最初のコメントがあっただろ」

「はい。覚えています」

「その裏にもう一つの意味が含まれているのに気が付かないか? ヒントは英語だ」

「…………あっ!」


 あのコメント『ようこそ、沖岳ワールドへ』はプログラム言語を最初に習う時の決まり文句『Hello, world』に掛けている。


「やはり、文字が作り出す世界はとても深いのですね。複数の意味が渾然一体になっているのは情景と一緒でしょうか」

「そうだな。作者と読者でも、読者同士でもそれぞれの頭の中にしかない景色なのに、それを共有してると感じる。本当に言葉は不思議だ」


 文字の描き出す景色はおそらく同じではなく、そこに抱く感情もまた同じではない。だからこそ、それを通じて共鳴する。それこそが小説が文字でつづられる理由なのかもしれない。


「面白いですね。A.I.がサーバーの中から出られないように、私達人間も己の脳の中から決して出られない」


 突然の男の声、バーチャルルームのドアが開き入ってきたのは鳴滝だった。


「ちなみに技術書テクニカルライティングでは理解していないことは書けないとよく言われます」

「小説は理解してないからこそ書く、ってことになるか。正反対だな」


 ちょっとした皮肉を込めて言った。鳴滝は曖昧な微笑で答えなかった。お前は小説家じゃないんだから、そこは何か言って欲しいところだ。感情が読めない。だから咲季からインテリヤクザとか言われるんだ。


 そんな俺の感情は、鳴滝が差し出した小さな紙切れ一枚で吹き飛んだ。


「今回の報酬です」

「おお、ちょっとした増版くらいありますね」


 これ見よがしに俺の前に出された小切手に咲季が言った。そうか、咲季の場合はちょっとした増版がこれなんだ。ちなみに作家はお金を枚数ではなく冊数で数える習性がある。咲季の場合は印税率レートも違いそうだけど。


「太っ腹だな」

「メタグラフは提供された価値に応じた報酬を支払う、それだけのことですよ。ただ本音を言えばもう少しスローペースでお願いしたかった。こちらの対応速度にも限界があるので」


 シリコンバレー人はみんな人生スピード狂じゃなかったのか? というか俺はアリスに小説を書くことについてはまだ教えていないんだが。まあ、確かにアリスのあの時は本当に肝が冷えたが。


 用事は済んだとばかりに鳴滝はCEOルームに去った。本当に何を考えているのかわからない男だ。小説なら黒幕である可能性が非常に高いな。現実であることに感謝しよう。物語なら俺は明らかに知りすぎている類の人間だ。A.I.についてはもちろん、小説についても何も知らないのに。


 しかし、一番頑張ったアリスには何も言わないのか。そもそも、あの男がアリスと話しているのを俺は聞いたことがないような……。


 そんなことを考えていると、咲季が俺の隣に来てトントンと腕を叩いた。


「ああ、そうだった。ええっと財布は……」

「違いますよ先輩。ここは決める時では? ピコピコにビシッと言ってやりましょう」

「いったい何の話だ?」

「いつものやつですよ。ほら、お前に教えることはもう何もないっていう、あの決め台詞」

「何が決め台詞なんだか。まあ、確かに確認しておかないとな。アリス」

「はい」


 遠慮したように下がっていたアリスが近づいてきた。


「アリスの最終目的はViCとしてのパフォーマンスを上げることだっただろ」

「はい。そうです」

「で、今回それはある意味達成されたわけだよな。これからも小説を書くことを目指すつもりなのか?」


 俺が聞くと、アリスは目をぱちくりさせた。


「もちろんです。私はまだ自分の小説のテーマを見つけられていませんが、それがとても大事だということは、不完全ですが理解できました。そして、それを教えてくれるのは先生だということを確信したのです」

「それは教えられることじゃないんだが。分かった。とにかく本格的に小説を書くことに取り掛かるとしよう」

「はい。これからもよろしくお願いします。先生」


 アリスは綺麗な所作で頭を下げた。今回のことでアリスの中に小説を書くために必要な“何か”があることは分かった。とはいえ、これからその何かを小説にするために何を教えるかは本当に悩ましい。何しろ肝心の先生は、よく言ってもリハビリを始めたばかりだからな。


「先輩、私は私は」

「そうだな。…………お前に教えることはもう何もない」

「私にじゃなーーーい!!」

「だいたいお前は『お品書き』の締め切りが近いだろう。ドラマ放送中に出さないとまずいんじゃないのか。担当さんにそういわれてるだろ」

「うう、先輩の意地悪」


 咲季が恨みがましい目で俺を見る。アリスが驚いた顔になった。


「まあ、先生は私にだけでなく早瀬さんにも意地悪なのですか? それは少し、いいえ大きな問題なのではないでしょうか」

「いや、こいつの言っていることを真に受けるのは、っていうか何が問題なんだ?」

「私は先生が意地悪でも、ちゃんとついていくつもりです」

「ちょっとセンパイ。ピコピコにいったい何をしたんですか。っていうか、この女、思ったより危険なのでは」


 アリスが彼女らしくもない意味の分からないことを言い、咲季がそれに噛みついた。俺はそんなに意地悪な人間ではないつもりなんだが……。


 近くにあったクラッカーを一つ摘まむ。ノンアルコールビールで流し込む。炭酸、それっぽい味と苦さ、必死にビールを装おうとしているまがい物が喉を潤す。


 小説を書くために何が必要なのか、その答えはまだ分からない。まあ、答えが分かるならそもそも小説を書かなくてもいいのだろう。


 アリスに小説を教えることで、俺も自分の小説をもう一度探すことになりそうだ。これじゃどっちが先生やら。


 もっとも、仮に新しい小説を書くとしても、AIを題材にするのはやめた方がよさそうだ。今目の前にいる女の子を文章で表現するのは俺の技量を超えるだろうから。






 人が去ったバーチャルルームで自動掃除機が動き回っている時、その横にあるフロアで一番景色の良い部屋で二人の男女が話をしていた。


「君の提案は興味深い。今回アリスが獲得した能力を活かすために打つべき一手だ」

「ありがとうございます。では、この件はこのまま進めます」


 鳴滝壮一郎は頷いた。上司の裁可を確認した九重詠美が踵を返そうとした時、


「それにしても、やはり小説家というのは最高のサンプルだな」


その言葉と共に一つのグラフが表示された。急激に立ち上がる、等比級数的なグラフがその傾きを緩めている。成長企業の売り上げを現すなら株価が急落しそうなそれを鳴滝は満足げに見る。


「この短期間で想像以上の成果だ」

「同意します。一つ懸念があるとしたら……当の本人に知らせずとも?」

「彼に敬意を払って小説に例えよう。登場人物がストーリーの結末を知る必要はない。第一、その方が面白くなるはずだ」


 鳴滝はそういって笑った。九重詠美は沈黙を守った。彼女は一礼して部屋を出る。彼女にはやるべき現実的な仕事がたくさんある。周囲が道楽者であればあるだけ彼女の目立たない役割は重要性を増す。それが編集者という仕事だということを、彼女はよく理解していた。



 優秀な部下が出て行った後、立ち上がった鳴滝は窓から外の景色を見た。


「とはいえ現段階では延命にすぎない。彼女が物語を持つのが先か、それとも……」


 人工の光によって描かれた東京の夜景に、そのつぶやきが消えていった。






◆◆◆◆◆◆◆あとがき◆◆◆◆◆◆◆


2022年11月13日:

ここまで読んでいただきありがとうございます。

おかげさまで『AIのための小説講座』一章完結しました。10万字の手ごろな形でまとまったかなと思います。楽しんでいただければ幸いです。


正直、自分が現代ドラマを書くとは思っていませんでした。AIと脳についていろいろと調べていたことがこんな形になったのですが、小説というのは本当に分からないです。


フォローや評価、ハートの応援感謝です。頂いた感想はとても励みになりました。また、誤字脱字のご指摘は本当に助かっています。


今後ですが、二章はまだ構想中です。カクヨムのコンテストに合わせて12月初めに開始したいとは思っていますが、現時点では先のことは未定とさせてください。


それでは改めて、ここまで読んでいただきありがとうございました。

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