第4話 小説の企画(1/2)
文永堂でソフトウエア開発と歴史の本を買って二日後、俺はそれらを資料を基に作り上げた授業計画を手にメタグラフに向かった。メタグラフで、九重女史からアリスの対人コミュニケーションについていくつか説明を受けた後、メタグラフの中でも最も金のかかる部屋に向かった。
バーチャルルームに入ると、中にいたアリスが立ち上がって礼儀正しく頭を下げた。
「海野先生。改めてよろしくお願いします」
「引き受けたからにはやれるだけのことはやるつもりだ。そう言えば君のことは何と呼べばいい?」
「アリスでお願いします。リスナーの皆さんからもそう呼ばれていますから」
「わかった。じゃあアリス、早速だが一回目の授業を始める」
ペン型のデバイスを手に、空中に浮かぶホワイトボードの前に立った。バーチャル講義用の最新システムが似合わないこと限りないだろうな。俺の場合は万年筆で原稿用紙に向かっても様にはならないのは同じだが。
一方、生徒役は計算したようにぴったりとはまっている。丸みを帯びたシンプルな白い机に座りなおしたアリスは、しっとりとした黒いワンピース姿だ。以前は身に着けていた髪や胸元のアクセサリは外されている。
上品で大人しめの服装と真面目な表情。傍から見たら名家のご令嬢としがない家庭教師かな。教師役のうさん臭さを考えると、年齢制限コンテンツにでもなりそうな絵面だ。
とはいえ仕事だ。彼女に小説を書くための“技術”を教える。そのための準備はしてきた。
「まず、小説を書くための基本的な手順を説明したいと思う。小説の作成過程はいくつかのステップに分割することが出来る。これはソフトウエア開発における工程と同じものだとイメージして欲しい」
「ソフトウェア開発と小説の書き方が似ているのですか?」
「小説もソフトウエアも人間が作り出す無形の産物だ。作り方に共通点があるのは不思議な事じゃないだろう。プログラム言語っていうくらいだ」
小さく首をかしげるアリス。その瞳が瞬く。そして、小さくうなずいた。
九重女史のレクチャーを思い出す。疑問、処理中、そして処理完了の合図だったか。ViCの対人コミュニケーション能力の優れたところだ。人間同士の会話でも、やり取りされる情報の半分以上を表情、仕草などの非言語が伝えているという。
小説なら台詞と地の文に分けて書かなければいけないことが同時に伝わるのだから、効率的であるのは間違いない。
「具体的に二つの工程の比較をしてみよう」
ホワイトボードにペンを走らせる。
小説 ソフトウエア開発
――企画――
①テーマとコンセプト =要求定義
②キャラ、舞台設定、あらすじ =基本設計
――作成――
③ストーリー構成 =詳細設計
④執筆 =コーディング
⑤推敲、校正 =テスト、デバッグ
「小説の執筆は大きく【企画】と【作成】に分かれる。まず【企画】は今から書こうとする小説の全体的なイメージだ。①の『テーマ』と『コンセプト』はそのイメージの中心と、外観と思ってくれ」
俺は一番上をペンで指した。
「『テーマ』はその小説の芯にあたる。つまり、何を伝えるために書かれるか、言い換えれば“
「ソフトウエア開発における要求定義に当たるのですから……。開発者とユーザーの両方の視点で、いわば内側と外側から全体像を定義すると理解すればいいでしょうか」
「その理解でいい。次の②の主要キャラクター、舞台設定。これは最初に言った『テーマ』と『コンセプト』を実現するための『
「ソフトウエアの機能を実現するための基本コンポーネントですね。わかりました」
「ここまではどちらかと言えば概念的な話になる。実際に小説を書く工程が【作成】だ。③の『ストーリー構成』は小説の目次にちかい。④の『執筆』は文字通り小説の本文を書く過程。⑤の推敲と校正は書いた文章のチェックだ」
「各要素の定義と関係について…………。私の持つソフトウエア開発の
アリスの瞳の光沢が、円形のシークバーのように、くるりと一回転した。オントロジー・グラフは概念間の関係と各概念と具体例の関係をつなげたものだったか。
例えば食事で言えば『一食』は『主食』『主菜』『副菜』の三つで構築される、という概念間の関係があって。和食の場合は『主食』は『ご飯』で、洋食の場合は『パン』という感じに概念と具体的な物を対応させる。
これにより人の「和食の主食は何か?」という質問に対して、A.I.が「ご飯です」と回答するような自然な会話が成り立つ。
俺がわざわざソフトウエア開発に例えたのは、概念構造を共有するためだ。小説でも特殊な設定を説明するときに、読者のよく知る一般的な物に例える。星の“海”を行く宇宙“艦隊”なんて、誰も見たことがない存在があっさり頭の中でイメージされる。
今の所上手く行っているようだ。勉強しなおした甲斐があった。もっとも、専門的なことは全くついていけなかった。この仕事が終わった後再就職を探すとしてもSEは無理だとわかった。
「説明を理解してもらったので、次は具体例を示していく。題材は『歴史小説』を考えているんだが。ちなみに、アリスは歴史小説は何冊くらい読んでいる?」
「歴史小説は人気のジャンルですから割合として大きいですね。……八万四千二百三十八冊です」
「はちま……。それ、全部覚えているのか?」
「いいえ、読んだ後は外部記憶に移行させます。私が小説を読んで分析したデータを記録するデータベースがあります。それを必要に応じて取り出すという関係です。具体的にデータを取り出すためには、データベースの検索だけでなく、データの再解釈の工程が必要です。リアルタイムでのやり取りが難しくなります」
「読書ノートみたいな感じか」
「はい」
「日本史に関する知識は?」
「大学入試レベルのものでしたら常識として理解しています」
「わかった。十分だな。これから説明する企画は【織田信長】を主人公にした歴史小説を想定して聞いてくれ。まずテーマとコンセプトを以下のように置く。ちなみにこれは(仮)のものだ」
テーマ(仮):【混乱した社会に新しい秩序を打ち立てる】
コンセプト(仮):【弱小勢力だった主人公が既得権益と戦いながら第一勢力に成りあがる】
「つまり、【混乱した社会に新しい秩序を打ち立てる】という『テーマ』を伝えるために、読者に【弱小勢力だった主人公が既得権益と戦いながら第一勢力に成りあがる】と認識される『コンセプト』で小説を書くということですね」
頷いた。非の打ちどころのない完璧な理解だ。
「ただ、いささか戸惑いを感じます。この情報から織田信長を特定することができません。歴史上の人物、特に小説に取り上げられるような人物は同じようなパターンを持っています」
「その通りだ。この段階では主人公は【織田信長】でも【足利尊氏】でも【曹操】でも【アレクサンダー大王】でもいい。だから②の小説の基本要素の定義をする。一番重要なのは『主人公』だ。これは【織田信長】で決定とする」
「了解しました。『主人公』の定義は何でしょうか?」
「それを言っておかないと駄目だったな。ええっと、小説における主人公は『テーマ』を体現して『コンセプト』の中心となる存在だ」
「定義を認識しました」
織田信長の人生は最高の小説企画と言っていい。とんでもなく立った主人公キャラ。周囲を固める多彩な敵と味方キャラ。戦国時代という最高の舞台。尾張統一から天下第一の大名になる段階的な成り上がりに、多様な抵抗勢力との戦いを交え、最も有能な家臣の裏切りによる非業の死という劇的な結末。
事実は小説より奇なりを地で行く。これを越えられる企画を作れると言える作家がいたら、とんでもない自信家だ。もし本当に出来たら超巨大ジャンルの創始者になれるだろう。
「次に決めるのは敵だ。コンセプトに既得権益との戦いとあるから……。例えば『足利義昭』を最終的な敵とするということが考えられる」
典型的な小説はゲームシナリオと似ている。主人公とラスボスという対照的な存在の対立という形で、テーマやコンセプトを描き出す。
「室町幕府の第十五代将軍である足利義昭ですね」
「ちなみにアリスならどうする。実際の歴史上の人物から選んでみてくれ」
「既得権益を持つオブジェクト……歴史上の人物でしたら。……宗教勢力の『本願寺顕如』、格式ある守護大名である『武田信玄』などが該当するでしょうか」
順調すぎるくらい順調な進行に不安になって試してみたが、完全に理解している答えだ。
「とりあえず信長を主人公、敵を足利義昭で行くぞ。次は……どうした?」
「先ほどの私の回答は間違っているのでしょうか」
「えっ? いやあってるぞ。このテーマとコンセプトなら【本願寺顕如】でも【武田信玄】でも書ける。今回は【足利義昭】を選ぶってだけだ」
小さく手を上げたアリスが、俺の言葉にほっとしたような表情になった。
「『あらすじ』は実際の織田信長の人生の中で主要イベントを拾っていく。桶狭間、上洛戦、義昭の将軍就任、比叡山焼き討ち、長篠の戦い、そして本能寺の変といった具合だな。これらのイベントに、テーマやコンセプト上の意味を与える。例えば、義昭の将軍就任は地方勢力だった織田信長が中央権力にリーチしたという意味では勢力拡大の中間ゴールだ。一方、既得権益との本格的な戦いの始まりになり、義昭との対立の起点でもある。そこから新しい社会秩序、歴史的には織豊政権から江戸時代へとつながっていくとも位置づけられる」
「実際の歴史上の出来事を、テーマやコンセプトで再解釈するのですね」
「そういうことだ。最後の『舞台設定』だけど、これはもう説明は要らなそうだな」
「はい。日本の室町時代後期、一般的に戦国時代と呼ばれる時期です。これは必然です」
アリスは大きく頷いた。舞台設定はハードSFなんかだと決定的に重要だったりするが、今回は教えるための例だ。共通認識としての歴史、に頼った方が効率がいいだろう。
「これで企画については一通り説明したことになる。ここまでは理解できたか? 細かくても、分からない部分があったら言ってくれ」
「そうですね。私が認識している小説の中には織田信長が女性だったり、現代人が転生した存在の場合もありますが」
「…………小説はフィクションだからな。それにそれはジャンル的にはライトノベルだろう」
「すいません。今のは冗談です。先生が典型的な歴史小説のパターンを説明しようとして下さっているのは分かっています」
虚を突いた質問に、あわてる。だが、アリスが小さくはにかんだ表情を浮かべていた。
「ははっ。確かに典型的なパターンを説明している」
授業の合間に冗談を挟むとは教師顔負けだ。チャンネルを自律的に運営してるというのは本当らしい。というか、この理解力があれば自力で小説が書けるんじゃないかという気すらしてきた。
「はい。おかげで私も理解できました。つまり、小説の企画はテーマ、コンセプト、主人公、敵、あらすじ、舞台と決めていくわけですね」
「ああ、その通…………。いや、ちょっと待ってくれ。今のはあくまで説明のための順番だ。実際にはそんな順序正しく決まることはほとんど、いやまずない」
「どういうことでしょうか。この順番が唯一合理的であるように見えます」
アリスは目をぱちくりさせた。
確か心の底から驚いたというシグナルだ。
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