AIのための小説講座

のらふくろう

第一章 書けない作者と読めない読者

第1話 依頼

「こいつに教えろっていったか? 何をだって?」


 眼前に投射された若い娘の依頼に絶句した俺は、彼女ではなく、彼女の所有者に訊ねた。


 もしも今の俺の状況を文章で描写するなら『初めて自動車を見た馬車馬のように戸惑った』だ。無論、擦り切れて役に立たない駄馬が俺であり、最先端の存在である彼女が自動車だ。




 地下鉄駅から地上に出た。そびえたつ高層ビルを見上げた。時代の先端を指すような姿は環状線の窓からたまに目についたものと同じ。


 都心の一等地にあって周囲から抜ける高さと、螺旋を描くしゃれたデザイン、頂上にいただく球形は、超高速大容量通信用だ。


 日本におけるテクノロジー企業の総合本山、入居階数がそのまま新興企業時価総額ユニコーンランクとまで言われていたオフィスビルだ。メディアではバベルの塔なんて陳腐な呼ばれ方をしていた。


 一時期の熱狂的なA.I.革命が落ち着いて、株価が十倍、二十倍になることはなくなったが、逆に言えば激しい競争を生き残って着実な利益を上げる成長企業の巣だ。


 自動ドアを入り無人の受付で携帯認証する。床をラインが光り、ホールの奥に弧状にならぶスライドドアの一つに繋がる。俺の歩幅を計っているようにタイミングよく開いたエレベーターに入る。自動的に目的階が点灯した。


 無限の計算能力により、各個人を把握しているようなコンピュータシステムのおもてなしに、寒々しさを感じた。


 音もなく上昇するエレベーターの窓からビル林の東京が一望できる。この光景を見下ろしながらする仕事はさぞかし気分がいいだろう。いや、このビルにはもはやそんな感情を持った存在はいないのではないかという錯覚すら覚えた。


 もちろん現実がSFに追い付いていない以上そんなことはない。ドアが開き、フロアの正面には、俺を確認して小さく会釈する若い女性が見えた。


「お久しぶりです。海野さん」

「九重さん。……こちらこそご無沙汰しています」


 白のブラウスと紺のタイトスカートの女性は九重詠美だったか。三年前は編集者という比較的なじみのある職業だった。これはこれで異常事態だな。彼女の案内で、この業界の人間なら今や知らない者が無いであろう企業ロゴの横を通り、最先端企業のオフィスに向かう。垂れ幕のように所属するVirtual information Companion(ViC)のアバターが並ぶ入り口を前に。俺はそんなことを考える。


 今どき編集者が玄関でお出迎えというだけでおかしい。


 衰退業界の救世主にして寄生虫なんて言われるこの新興企業が、業界の底辺からも落ちこぼれようとしている、もう三年間も本を出していない作家を呼んだ理由が全く見当がつかない。俺の小説が直木賞にノミネートされるよりあり得ない。


 それも、合理主義経営の権化と言われるメタグラフが、わざわざ就業時間後に隠れるように?

 

 差し込む夕日を浴びる広いフロアはショールームを思わせた。あちこちに観葉植物が並び、中央には水槽まである。配置に無駄も無理も感じられない。植物は明らかに業者により定期的に手入れをされた整った形だし、水草の周りを改良品種メダカが泳ぐ水槽には自動で給餌や水位を調節する機器が取り付けられている。


 広々とかつ自由に配置されたデスクには、作家の垂涎のブランドチェアがある。椅子はキーボードと並ぶ商売道具だ。極端な話、机は段ボール箱でもいいが、椅子は執筆の体の一部になる。


 申し分のなく素晴らしい仕事場なのに、どこか不自然に感じるのはなぜだろうか。壁際に並ぶ仮眠用のカプセルベッドを見た時にその疑問は氷解した。


 この空間を一言で表すなら『宇宙船』だ。道理で息がつまりそうになるわけだ。


 オフィスは俺たち以外無人だった。


 もし小説でこんなシーンが描かれれば、間違いなくよくないことの予兆だ。リーガルものなら冤罪絡みの告発だし、ハードボイルドなら明日あたりに俺の死体が東京湾に浮かぶ。SFならこの奥にいるA.I.が俺の頭脳を奪うとか。


 陳腐極まりない導入だ、主人公ではなく事件の発端を告げるだけの脇役のとしても、読者に本を閉じられる危険性がある。何より、俺には奪う価値のある地位も才能もない。


「こちらです。鳴滝がお待ちしております」


 窓際に並ぶ打ち合わせ用のブースに向かおうとした俺を、九重女史が止めた。どこかで聞いたことのある名前に首をかしげる。彼女の掌はオフィスの最奥を指していた。円形の透明な壁に仕切られたスペースの入り口には『CEO 鳴滝壮一郎』とある。


 トップ直々とは、強面にサングラスをかけた黒服と、狡猾そうな痩せた弁護士のセットでもおかしくなくなってきた。情報を絞るべき導入で、読者の認知能力に負担をかける数の登場人物を使うということは、ただでは済まないシーンになる。


 馬鹿なことを考える俺の前で自動ドアが開いた。正面の机と椅子は無人だった。夕闇を写す窓際に一人の影が見えた。ストライプの背広を着たスマートな男が背中を向けて立っている。部屋の中には男一人だけだった。


 「鳴滝さん。海野先生がいらっしゃいました」という九重の言葉に、男が振り返った。メタグラフ創業者、鳴滝壮一郎は雑誌で見たことがあるそのままの姿だった。


 年齢は俺と同じ三十代半ばくらい。総髪の黒髪で、フチなしの細長い眼鏡。一見知的でおだやかな雰囲気を纏った男だ。眼鏡の右側に小型のARデバイスを付けているのが、ユニコーンのトップらしいと言えばそうだろうか。


 男は俺に柔和な笑みで「よく来てくれました」というと、掌でソファーを勧めてきた。弁護士の冷徹さも、ボディーガードの暴力性も持ち合わせてはいないが、どこか信用できないと思うのは、このシチュエーションだけが原因か。


 九重女史は同席しないらしく、ドアから出て行ってしまった。壁際のソファーに移動しながら、改めて主とその部屋を観察する。


 鳴滝壮一郎。大学卒業後に欧州一と呼ばれるテクノロジー企業に技術者として入社、その目玉商品となった人工知能であるViCの開発に従事した。技術者としての卓越した貢献によりストックオプションを得るや、未練もなく世界一流企業を退社、日本にもどり出版物のプロモーションを手掛けるメタグラムを起業した。


 最先端テック企業すら飛び出したスーパーエリートが選んだのが、よりによって斜陽産業の代表である出版分野だ。だが、それからたった五年、メタグラフは出版業界の中で大きな影響力を持っている。


 小説、漫画を中心に、ViCを使った出版物のプロモーションで高い利益を上げているのだ。特に市場規模から潤沢な予算とは無縁の文芸において、命綱ですらあるかもしれない。


 そんな執筆中の立志伝のような男の執務室オフィスには、おおよそ創作物と呼べるようなものの影は一つもない。右の壁に置かれた本棚に並ぶのは、マニュアルや技術書の類が殆ど、ビジネス書らしきものがちらほら。


 現在手掛けているはずのヒット作の一つもない。紙の本を使っているのが意外なくらいだ。


 反対側の左の壁に並ぶのは、超高級の2.5次元ライトフィールドディスプレイに映った表やグラフだ。各種経済指標や、株価や資源価格、そして自社のPIの売り上げが映っているらしい。海外ドラマの取引所ディーリングルームかという光景だ。


 なるほど、このCEOにとって出版業界は己が技術の応用対象にすぎないのだろう。こいつにとって小説は主題テーマではないのだ。確かに小説フィクションを必要としない人間だな。


 そんな男が三年間も本を出していない物書きと何の話をするというのか。まず間違いなく言えることは、原稿の依頼ではないだろうということだ。


「海野先生。あなたに当社からお願いがあります」

「先生はやめてくれ。どう考えても原稿の依頼って雰囲気じゃない」


 ARグラスを外した若い成功者は、柔和な表情のまま口を開いた。さっき九重女史はCEOを「鳴滝さん」と呼んでいた。新しい企業によくある文化だから驚かないが、逆に俺を先生と呼ぶのは胡散臭すぎる。


 というか、出版社から先生と呼ばれる作家なんて絶滅危惧種だ。この三年で絶滅していなければ。


 鳴滝は俺の言葉に、少し驚いた顔になった。


「お察しの通り、原稿の依頼ではありません。とはいえ、小説に関する依頼ではある。先生にお願いしたいのは彼女のことです。ご存知ですか」


 鳴滝が指を動かす。ソファーの横のひときわ大きなライトフィールドディスプレイが映像を映し出した。


 それは、三十を過ぎた男が二人、オフィスで見るに相応しいとは言えなかった。黒髪の清楚で落ち着いた雰囲気の若い女性、年齢設定があれば二十歳の少し前だろう。きらびやかな服装を纏えば、清楚系のVアイドルで通る造形だ。


 だが、彼女は手に持った本のページをめくりながら、その一節を透明感のある綺麗な声で朗読していた。


「……ViCの『アリス』だったか。御社の小説宣伝チャンネルの看板娘だ」


 ViC、Virtual information Companionは外見だけ見ればいわゆるアバターなのだが、違うのは中に人が入っていないことだ。つまり、その挙動は完全にA.I.による制御だ。人間の言語、感情を理解する卓越した対人コミュニケーション能力を持つ。


 鳴滝の前職がこのViC開発企業だ。メタグラムはこのViCをコンテンツプロモーションに活用する。作品のメディアミックス化から海外展開まで、起点である原作の知名度が上がれば、得られる利益も雪だるま式に増える。


 下手なバーチャルアイドル顔負けの人気を誇り、彼女が紹介する本は売り上げを大きく伸ばす。今や本屋でも彼女たちの垂れ幕が見られる。プロモーション自体をチャンネルという形で収益化できているため、プロモーションフィーは高率だが、完全な成果連動報酬という宣伝としては破格の条件。ただし、案件は厳選される。


 三年前は業界の寄生虫と言う悪口が残っていたが、今そんなことを口に出す人間は、少なくとも表向きはいないんじゃないか。


 実は俺は否定的だ。小説のプロモーションを動画として成立させたのは凄いが、肝心の中のViCが小説のような人間が人間のために書くものをどれだけ理解しているかは、怪しいものだ。例えばさっきの九重女史のような出版社からの転職組が黒子役とか。


「ちなみに我々が指定しているのは、紹介する本のタイトルとチャンネルの構成の枠組みだけです。台本の大半、それにセリフなどは彼女が自律的に生成しています。もちろん九重さんには担当者として素晴らしい仕事をしてもらっていますが」

「……それはすごいな」


 こちらの疑問を見透かしたような説明に、渋々うなずいた。画面内ではちょうどアリスがリスナーの感想についてコメントしていた。どうやらリスナーの過去の紹介作品に対する感想も覚えているらしく、それを交えて返答している。文字通りの読書会の雰囲気だ。


 これが全て自動的に行われているというのなら、確かにとんでもない。適切な語彙の使い分けなどは、それこそ作家すら凌ぐだろう。


「彼女は当社の最重要のソリューションといっていい」


 鳴滝は誇らしげに言った。自社にとって一番大事なものが何か隠しもしない。そのことに僅かに心がざわつく。


 だが、続く言葉に俺は絶句することになる。


「海野先生にお願いしたいお仕事は、彼女に小説の書き方を教えることです」

「はっ? なんだって。A.I.に小説を教える?」


 完全に意表を突かれた。


「はい。名目は技術顧問。報酬は時間あたりこれだけを日払いにします。基準はこちらの判断になりますが、アリスの学習成果に従って、成功報酬も加えます」

「待ってくれ。ええっと、つまり。ついに小説の執筆から作家を追い出そうってわけか」


 目の前に出された契約書を見る余裕もなくいった。鳴滝は柔和な笑みのまま首を振った。まるで反応を見透かしていたような態度だ。


「ViCは現在の人工知能OS《アイオス》の中で最も高度です。ですが小説の創作はまだ。いや、ある意味一番難しいのですよ。プロレベルの小説を書けるA.I.を開発できれば世界を征服できるなんて冗談があるくらいだ」


 大げさに両手を広げる仕草が実に胡散臭い。小説の地の文では頻出するが、日常で目にすることはめったにない仕草だ。


「出版業界らしく機械翻訳で説明するのが分かりやすいでしょう。これは、かなりの精度で機能します。修正なしで技術文章テクニカルライティングなら99パーセント、小説でも90パーセントの意味は伝わるものが出来上がる。実は、かつては翻訳は人工知能の聖杯扱いだったのですよ。文章の意味をコンピュータが理解できるようになったことを意味すると思われたのです。ですが実際に機械翻訳が実用性を獲得してみたら、人工知能で翻訳することと文章の意味を理解することは全く違うことが分かった。翻訳とは存在する情報の形式の転換にすぎないんです」


 自分の本業はこれだと言わんばかりにCEOは語る。


「日本人の作家の書いた文章を英語に訳する時のことを考えましょう。例えば日本語の『朱』を『red』に翻訳する。ここにある色の意味や感覚の理解は必要ない。変換すればいいのです。これはいわば等価なんですよ。新しい何かを作り出す過程は必要ない」

「つまり、A.I.による翻訳はあくまで記号列の機械的な変換であり、読者がその記号列から感じ取る意味や感情は、あくまで作者と読者の頭の中に発生するものだと」

「素晴らしい理解です。専門的なことを付け加えれば、絵のような静的なデータと違って文章のような時系列で理解するデータの認識はA.I.には難易度が上がる。例えば、最初のページに出てきた文章の意味が、最後のページに逆転なんてされたらお手上げでした。ViCが画期的と言われる段階なのですよ」


 最初に出てきたキーワードが最後で正反対の意味を持つ。被害者が犯人にとか、ミステリーでは当たり前に起こる。悪人として登場する真犯人など、ミステリの中には存在しないといっていい。


「だが待て。今こいつがやっているリスナーとのやり取りは。これがリアルタイムなら……」

「こちらはどちらかと言えば反射です。人間が発した言葉とその感情を推し量って、それに対して適切な答えを返す。さて、誰もが会話をするし文章を書く。ですが会話と文章が出来れば小説は書けますか?」

「要するにA.I.には小説は書けないということだな。いや、書けるかもしれないが描けないというべきか」


 俺はリスナーとコミュニケーションを取っているライトディスプレイ内のViCを横目に言った。そういわれると確かに典型的なやり取りを越えていないように見える。鳴滝はポンと手を叩いた。


「実に小説家らしい表現です。ちなみに今の文章をA.I.に生成させるなら、A.I.は『書く』と『描く』のどちらの単語を用いるかを迷うことはあるかもしれません。そして、おそらく文脈と統計から『書く』を選びます。ましてや『書く』と『描く』を対比させて意味を深めるなんてことはできない」


 分かりやすくはあるがいやになるほど論理的な話に翻訳される。だからこそ納得できない。A.I.に小説が書けないと誰よりも理解している最先端男が、どうしてA.I.に小説の書き方を教えろなどという話を持ちかける。


「ゴーストライターをやれってことか。この看板娘の」

「当然違います。そんなことをしてあなたに後から暴露されたらせっかく育てたブランドに傷がつく。もしなおも疑われるというのなら。アリスが小説を書いたら著作権の51パーセントをあなたに帰属すると契約してもいい。改訂著作権法によれば、これでアリスが書いた小説はあなたが人工知能を用いて作成した、という定義になる」

「そんなものいらない。この依頼はなんのためだと聞いているんだ」

「言った通りの意味ですよ。彼女に小説の書き方を教えてもらいたい。ああ、肝心なことを言っていなかった」


 鳴滝はディスプレイに掌を向けた、そこには綺麗な声でまるで感情があるかのように小説の一説を朗読している『アリス』がいる。


「これは私ではなく、彼女自身の希望なんですよ」

「A.I.が自発的に何かを求めるってことはないだろう。大体、いまあんたは当社からの依頼といった、メタグラムにA.I.の気まぐれ、バグに付き合う利益があるのか」


 鳴滝は一瞬だけ顔をしかめた。


「私が依頼しているのはViCには契約を結ぶ権利がないからです。もちろん当社としての理由はありますが、機密に属するので答えられません。ですが、技術的回答が可能な部分については説明しましょう。ViCの目的は使用者である人が与える、それはご理解の通りです。彼女の場合はメタグラフがプロモーションする小説コンテンツの魅力を顧客候補に伝えることです。そして、ViCには設定された目的の精度を上げるため、必要な学習データを自己提案する機能があるんです。これがViCがそれぞれの仕事に関して高い適応力を発揮するアーキテクチャに関わっているのです」

「……つまり、自分の看板娘としての機能を上げるために、小説の書き方を学ぶ必要があるとこれ自身が判断したということか?」

「そういうことです。まだ信じていないという顔ですね。ではこうしましょう。彼女自身と直接話していただくというのは?」

「直接? いや、こいつはそこにいるだろう」

「これは録画です、それも人間とのコミュニケーションがテキストベースに制限された状態の。彼女とはバーチャルルームで会ってもらいたい。もちろん、その時間も含めて約束した報酬をお支払いします」


 CEOは改めて契約書を提示した。以前調べた弁護士の時給を越えている。来年には雀の涙になるであろうこれまでの八冊の電子印税、そして今朝見たマンションの共益費の値上げの通知が目に浮かんだ。


「…………約束は、話を聞くところまでだ。それでいいんだな」

「感謝します。それではこれをどうぞ。先ほど言ったバーチャルルームの登録キーです。彼女の学習能力をフルに発揮するためには設備が必要なのです」


 俺はぎこちない手つきで契約書に乗ったメタリックカードを受け取った。


 色々な意味で警戒心は解けない。だが、人間は小説を書くだけでは生きて行けない。ましてや次の作品を書ける見込みがないのであればなおさらだ。

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