2-8 チェルカドル、感想を述べる

 ノックの音がしてチェルカドルは思わず周囲を見渡した。ソファの前には運命の魔女が立っている。運命もチラリと視線をドアの方へ向けたが、すぐさま鏡へと戻した。

 考えてみればノックをするような育ちの良い人間などここにはいない。畑仕事を任せている兄妹は無言でドアを開けて声をかけてくるだろう。

 

 ということは、ノック音は鏡の向こうから響いているのだ。チェルカドルが鏡に視線を戻すのとリリシアが大げさに体を震わせ、慌てた様子で鏡に布をかけるのは同時だった。

 真っ暗になった鏡を見てチェルカドルは魔導具を一旦解除し、新たにリリシアの周辺を映し出す。


 魔導具の視界は良好で、リリシアが保護された部屋がよく見える。天蓋付きのベッドに品よくまとめられた調度品。いかにも貴族といった雰囲気の部屋はチェルカドルからすると面白みがなくてつまらない。成金趣味の商家の方が謎の絵やら、無駄に金箔が貼られた置物があって見ている分には面白い。

 リリシアが寝ている間暇だったのでシルフォード家の内部は一通り眺めたが、どこもありきたり。むしろ他の貴族と比べれば質素と言えた。だからこそ民衆には人気があるのだろうが、チェルカドルからすればつまらんの一言に尽きる。


 俊敏な動きでベッドに戻ったリリシアが普通の少女を装って、普段よりも若干弱々しい声で「どうぞ」と返事をする。大変滑稽で面白く、思わず笑いが漏れた。リリシアに聞こえていれば文句を言われただろうが、リリシア側にはチェルカドルの様子は分からない。リリシアとのリンクも切っているので、こちらの声が伝わる心配もない。


 リリシアの返事を待ってからお行儀よくドアを開けたのはイクスだった。顔は仏頂面だが礼儀作法はわきまえているらしい。表情と言動が釣り合わないのが若者らしくて面白い。成長しきって言動が落ち着く老人よりも不安定な若者を見るのがチェルカドルは好きだ。

 

 鏡の向こうのイクスはリリシアを見て、それから部屋の中を見渡して形の良い眉を吊り上げる。


『誰かと話してなかったか?』

『……どういうことですか?』


 全く見に覚えがありませんという反応をするリリシアは普通の少女に見えた。魔女はみな演技が上手い。生き残るために自然と身につく技ではあるが、見るたびによくもまあこうもうまく化けるものだと思う。


『この部屋から声が聞こえたんだが、お前と男の声』

『……私、ずっと一人でしたよ?』


 リリシアが怯えきった顔をして部屋の中を見渡す。その姿は自分には理解できない現象に怯える少女にしか見えなかったがイクスは眉間のシワを深くした。騙される素直さはないようだ。


『本当に?』

『本当です』


 泣きそうな顔をするリリシアにイクスはさらに険しい顔をした。しばしリリシアを凝視して、盛大に舌打ちする。


『夕飯になったら呼びにくる。それまでは自由にしてろ』


 そう冷たく言い捨てるとイクスはドアを締めた。口調は荒かったがドアを閉める仕草は丁寧で、ちぐはぐな印象を受ける。

 部屋の中に残されたリリシアはイクスの足音が遠のくのを確認してから大きなため息をついた。

 ベッドに倒れ込む姿に先程までの怯えていた少女の面影はない。仕事に疲れ、酒場でくだを巻く中年のようだ。可憐な見た目とは不釣り合いな雰囲気にチェルカドルは喉の奥で笑った。


「今代のシルフォード家はなかなか面白い人間がそろっているな」


 浮かれた気持ちのまま喋ると運命に非難の目を向けられた。運命とリリシアは仲が良い。生き残っている数少ない同期ということもあり、平静なふりをしているが内心は心配しているのだろう。

 それが分かるからこそ愉快だった。日頃冷静な運命が慌てる姿を見るのは楽しい。思わず笑みを浮かべるとゴミを見るような視線を向けられた。分かりやすい反応に声をあげて笑う。


「そんなにリリシアが心配なら、止めればよかっただろう」

「……あの場で下山を止めても結局見つかって殺されていた」


 運命の悲痛な表情を見て少々同情する。嫌いな契約者にわざわざ連絡をとってきたくらいだ。運命は自分に出来る限るのことはしたのだろう。それでも魔女狩り一族の屋敷に囲われる未来を回避できなかったのだから、かなりの運の悪さだ。今まで運で生き残ってきたツケが回ってきたのかもしれない。

 リリシアが魔女の中でも指折りの魔法技術を持っているが、攻撃魔法を一切使わないまま逃げ切るなど運が良くなければ不可能だ。過酷な状況で生き残るためには自らの手で信念すらへし折らなければいけない時がある。


「こうなってしまったら、リリシアが無事に脱出出来るよう、面白おかしく見守る他ないだろう」

 運命にまたもやゴミをみる目を向けられたが、すぐに諦めの滲んだため息をつかれた。


「チェルカドル様から見て、ルーカスとイクスはどんな感じ?」

「どちらも男なのが惜しいな。女だったら魔女にできたのに」


 両方とも人間の中では抜きん出た魔力量の持ち主だ。特にイクスの方は規格外。これほどの魔力を有した人間は何千年という長い時間を生きたチェルカドルでも数人しか見たことがない。


「ルーカスはリリシアが魔女だと気づいていると思う?」

「気づいていると思うぞ」


 運命の問いに明るく答えると運命の表情がこわばった。

 鏡の向こうでは未だベッドに倒れているリリシアが頭を抱えて暴れている。癇癪持ちの子供みたいな動きだが中身は千年生きた老婆。そう思うと愉快で、チェルカドルの顔に笑みが浮かぶ。


「……なんでそう思うの」

 運命の声は固く真剣だ。友人の未来を心底あんじている姿を見ると多少は真面目に答えてあげなければいけない気にもなる。


「ルーカスという名は聞き覚えがある。氷結の魔法使いという通り名がつくほどの奴だ。俺様の眷属は被害にあってないが、他の魔族の魔女は何人も殺されたと聞いている」

 氷結の魔法使いという名前に運命は目を見開いた。聞き覚えがあったらしい。


「そんな魔法使いが人間と魔女の魔力の違いに気づかないはずがない」


 人間と魔女では魔力が違う。一流と呼べる魔法使いしか気づかないくらいの微妙な違いだが、気付ける者は一発だ。

 リリシアは自分が保護されている現状からルーカスは違いが分からない魔法使いなのだと結論づけたようだが、考えが甘い。


「ルーカスという人間は、リリシアが魔女だと気づいたうえで、普通の少女ということにしようとしている」


 意味が分からなかったらしく運命は眉を寄せた。チェルカドルも自分で言いながら変な話だと思う。何人もの魔女を殺した魔法使いが、目の前にいる魔女を見逃そうとしているなどと普通は思わないだろう。


「リリシアが答える前にルーカスは思い出せないのかと問うた。知らない大人を前にした子供が警戒して黙り込むのはおかしなことではないだろう。ただでさえ川に落ちて死にかけた子供だ。混乱していてもおかしくはない。それなのにアイツはリリシアが口を開く前に記憶喪失だと結論づけた」


 会話の流れを思い出したらしい運命は目を見開いた。チェルカドルも魔導具越しで眺めていたルーカスとリリシアの会話を思い出し、やはり違和感があると自分の考えに頷く。


「貴族ともなればお抱えの医師の一人や二人いるだろう。彼らに見せることもなく、たいした会話をすることもなく素人判断で記憶喪失と結論づけたんだ。しかも、リリシアにとって都合の良い話。便乗してこいと言わんばかりだ」

「……分かっていて、なんで魔女を保護してるの」

「そんなのチェルカドル様が知るはずないだろ」


 肩をすくめて見せると運命に睨まれる。肝心なところで使えないという反応だが、そんなことを思われても困る。いくら魔族でも人の心は読めない。たとえ読めたとしてもチェルカドルは読む気がない。人間は何を考えているか分からないからこそ面白いのだ。


「現状でわかるのはルーカスという男は優男に見えてかなりの食わせ者ということだな。未来視ではそこら辺は分からなかったのか?」

「チェルカドル様も知ってるでしょ。未来視は断片的な結果しか分からない」


 悔しそうに歯噛みする運命を見て、そういえばどうだったなとチェルカドルは思った。

 未来視といっても皆が思うほど便利なものではない。見えるのは断片的な結末で、どうしてその結末に至ったかは分からない。間を見ていったとしてもきれいに埋まるとは限らず、未来を変えるために行動を変えれば、未来が変わり、最初に見た未来が無意味なものに成り果てることも多い。


 運命の魔女の未来視が高確率で当たると言われているのは、運命の頭脳によるところが大きい。断片的な情報をつなぎ合わせ、もしくは見た未来につながるように周囲を誘導し、観測した未来を現実に変える能力が高いのだ。


「つまり、情報不足ということだな」

 ニヤリと笑うと運命は不快そうな顔をした。いつも涼しい顔をしている運命の嫌そうな顔を見るとチェルカドルは愉快な気持ちになる。


「ならば現状を見守るほかないだろう。どうせ調査は続けるんだろ? リリシアの様子を見守りつつ、ルーカスのこともイクスのことも調べていけば良い」


 というか、現状それくらいしか運命に出来ることはない。魔法で手出しするにはシルフォード家は危険すぎる。感知されれば運命よりもリリシアの命が危ない。

 ルーカスはリリシアを普通の少女として扱いたがっている。つまり、周囲に魔女だとバレたら殺す他ない立場。今まで築き上げた地位が崩れ落ちるような行為をルーカスも行っているということだ。そこまでして魔女を手元に置きたい目的がなんなのか、想像するだけでチェルカドルの心は浮き足立つ。

 しかし、現状ではルーカスの思惑よりもイクスの方が気になった。


「運命、イクスの右目気づいたか?」

 チェルカドルの問いに運命の魔女は眉を寄せた。

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