1-5 魔女、転移魔法を使う
「お姉ちゃん! 俺たちのことはいいから逃げないと!」
魔女に抱えられた男の子が叫ぶ。暴れないのは魔女のことを気遣ってくれているからだろう。女の子も目尻に大粒の涙をためているがギリギリのところで耐えていた。
「ぬしの妹は魔力持ちじゃろ。魔法使いに見つかっても、魔女狩りに見つかってもまずい」
魔女は冷静そうに返したが内心はかなり焦っていた。二人を抱えてきたのは後先を考えない反射的な行動だ。冷静であったなら、二人を置いて逃げていただろう。二人の子供の命よりも自分の命の方が惜しい。魔女狩りも魔法使いも、魔力持ちの子供よりも魔女の方を優先する。女の子は見逃された可能性が高いので、子供たちだってよほど鈍くさくない限りは混乱に乗じて逃げられたはずだ。
しかし、魔女はもう二人を抱えてしまった。今更捨て置けるほど魔女は薄情にはなれなかった。となれば、二人を抱えたまま安全な場所まで逃げるほかない。
「無事に逃げ切りたいのであれば、おとなしくしておくれ」
魔女はそういいながら二人を抱え直し、逃げるために魔力を全身に張り巡らせた。
そのとき、妙な感覚を覚える。普段であれば適切なところに適量に送られる魔力が、必要以上に消費されている感覚。なにかに吸い取られている気がする。なんだこれはと考える前に、狭い路地を塞ぐように人影が現れた。
「いたぞ! 魔女だ! 子供をさらっている!」
前方に現れたのは格好からいって魔女狩りだった。魔法使いでないだけマシといえるが、武器も持っているし、一つくらいは魔法だって使えるかもしれない。なにより数が多いため、油断している間に囲まれれば袋だたきにされる。
魔女は強化した足で地面を蹴り、壁を登って、魔女狩りの頭を飛び越えた。両脇に抱えた子供たちから悲鳴のような声があがる。男の子は目を輝かせ、女の子の方は青い顔をしていた。二人とも魔女のお願いに従って暴れたりはしないものの、女の子の様子をみればたしかに人さらいだと苦笑いを浮かべる。
笑っただけで脇腹が傷んだ。動けば動くほど鏃が食い込み、痛みが大きくなる。血が流れる気持ちの悪い感覚もしたが止まっている余裕はない。応急処置は安全な場所まで逃げ切ってからだ。
いつまでも狭い路地にいては身動きが取りにくい。広い場所を目指して広場まで走った。人に囲まれる危険もあるが、一般人が多いところで魔法使いは魔法を使わない。魔女狩りの一部は一般人もお構いなしだったりするが、そういう頭のおかしい奴らが混ざっていないことを祈るほかなかった。
表通りに近づくにつれ喧噪が耳をつく。食べ物の匂いや、薄暗い路地とは違う明るい日差し。死の危険に襲われている時はいつもよりも五感が鋭くなる。子供たちを抱えたまま路地から飛び出るとすぐさま悲鳴が上がった。
「魔女だ!! 魔女がいるぞ!」
一つの悲鳴は連鎖して大きくなる。それでも多くの人間は遠巻きに眺めるだけでなにもしてこない。魔法を使えない一般人に対抗手段などないからだ。それが分かっている魔女は冷静に素早く周囲を見渡して、突破口を探す。
「人さらいの醜い魔女め! 出て行け!」
言葉とともに飛んできた石が魔女の額を切った。石が飛んできた方向をみれば魔女に親切に道を教えてくれた商人が、鬼気迫る表情で地面の石を拾っている。商人の行動を見た他のものたちも地面に落ちた石を拾い、次々に投げ始めた。
魔女が抱えた子供たちに当たるなんて考えは無い。恐怖を前にした人間は理性も情もかなぐり捨てる。それをよく知っている魔女は悲しいとは思わなかった。ただ久しぶりだなと自嘲的な笑みを浮かべると、すぐさまその場を後にした。
地上は危ないと判断した魔女は地面を蹴って壁を登り、屋根の上を走る。それでも石は飛んでくるが魔女の元まで届くものはない。移動しながら隠れられそうな場所を探そうと周囲を見渡した。隠れ家である山に逃げ込むのは悪手である。隈なく山を探索され、魔女の家が見つかったら本当に逃げ場がなくなってしまう。となれば逆方向に逃げるほかないと、魔女は森の方へと走る。
その方角を見た男の子が魔女を止めようとしたが、魔女は気づかなかった。
全速力で走って、魔女は森へと逃げ込んだ。魔女狩りも魔法使いもまだ追ってくる気配はない。今のうちにと子供たちを地面に下ろした魔女は持っていた鞄から念のために持ってきていた応急手当用の包帯や塗り薬を取り出した。おろおろしている子供たちに説明する時間も惜しく、脇腹に刺さった矢を掴む。女の子から引きつった悲鳴が上がったが構っていられない。歯を食いしばり、痛みに耐えながら鏃を抜くと、傷口を鞄に入っていた清潔な布で軽く拭って、塗り薬を塗り、包帯を巻く。雑な処置だがしないよりはマシだ。
「魔法で治せないの……?」
「魔法は万能じゃないんじゃよ」
回復魔法は回復能力を高めるものであって、傷を無かったことにするものではない。魔力もそこそこ使ううえに集中力も必要なため、追いかけられた状態で気軽に使用するのはリスクが高い。しかも今は緊急事態。いつもよりも魔力の消費量が激しい。
魔女は自分に刺さっていた矢を見る。これに魔法がかかっていたのは間違いなく、おそらくは魔女の魔力を吸収するものだ。矢そのものに魔力が溜まっている気配はないので、弓矢の方に送られる仕組みになっているのだろう。
なんと厄介なものを作ってくれたのかと舌打ちがでる。それを幼い子供に試そうとしたのも反吐が出る。魔力持ちの人間は魔力がないと生きられない。人間と比べて桁違いの魔力を持っている魔女だから動けるのであって、普通の人間、しかも子供であれば刺さった瞬間にショック死しただろう。
怒りのあまり魔女は自分に刺さっていた矢を握り潰した。
「ぬしらは巻き込んだお詫びに責任持って安全な場所に送ろう」
不安そうに魔女を見つめている兄妹にそういって魔女は鞄から羊皮紙を取り出した。予め魔法陣が書かれている簡易魔導具である。埋め込まれているのは転移魔法。これがあれば魔女の隠れ家までひとっ飛びできるので、念のために持ってきていた。実際に使うとは思っていなかったうえ、連れが増えることも予想外。
運勢最悪という運命の魔女の言葉が脳裏に浮かぶ。もっと真剣に聞いていればという後悔を打ち消して魔女は羊皮紙を地面においた。
「ぬしら、この上に立て」
魔女の言葉に二人は戸惑った様子を見せた。それでも恐る恐る近づいてくる。ここまで助けてくれた魔女を信用しているのが分かる。それが嬉しくもあり、心配でもあった。良い人そうに見える悪人は沢山いる。魔力を持った女の子は特に気をつけなければいけない。
「今回は良いが、今後はホイホイ人の言うことを聞いてはならぬぞ。詐欺師は騙すために恐ろしいほど手間を掛けることもある」
女の子の方は不思議そうな顔をしたが男の子は真剣な顔でうなずいた。兄がいれば大丈夫だろうと魔女は安心し、かすかに笑みを浮かべる。
「これから、わしの隠れ家にぬしらを送る。わしの家のものは自由に使ってかまわぬ。三日でわしが戻らんかったら、その後のことはぬしらで決めるのじゃ」
女の子がなにか言おうとしたが男の子が険しい顔で女の子の手を握りしめた。男の子の緊張した様子を見て女の子は黙り込む。その様子を見て魔女は賢い子だと目を細めた。
「案ずるな。すぐに追いつくつもりじゃ。こう見えてもわしは千年生きた魔女じゃからの。そう簡単に殺されはせぬ。わしが戻るまで留守番を頼んだぞ」
そういうと魔女は二人の頭を軽く撫でる。羊皮紙に描かれた魔法陣の上に、二人の足が乗っているのを確認すると両手を魔法陣の上におき、魔力を送り込んだ。
羊皮紙に描かれた魔法陣が光り輝く。子供たちの驚く声が聞こえた。魔女はそれに構わず魔力を流しこみ続ける。
魔力を帯びた光り輝く線が羊皮紙から飛び出して地面を走る。風も無いのに魔女の白銀の髪が揺れ、それに呼応するように大地から光の粒が現れる。魔法陣の中を光は飛び回り、女の子が綺麗と歓声をあげた。
「光の祝福よ、迷い子たちを安住の地へ送れ。チェルカドルに心臓を捧げし、■■■が懇願する」
久しぶりに口にした真名。子どもたちは聞き取れない言葉に目を瞬かせた。魔族と契約したことで奪われた名前は契約した魔族以外に聞き取ることができない。
ぬくぬくと百年間引きこもっていたせいで、全てが久しぶりだ。人と話すのも魔女として追いかけられるのも、魔法を使うのも。平和ボケしすぎたなと魔女は自嘲する。その間にも魔法陣から放たれる光は強さを増していき、子どもたちがあまりの眩しさに目を閉じたのが見えた。
次の瞬間、子どもたちの姿がかき消え、まばゆい光も消える。羊皮紙と地面をはっていた魔法陣も跡形もなく消えさり、ただの森のざわめきが戻ってきた。
「失敗……しておらんよな?」
転移魔法を使ったのは百年ぶり。自分以外を飛ばしたのはさらに昔。失敗した気配はしなかったが、転移魔法は精細なコントロールを必要とするものだから満身創痍な今は不安が残る。想定した場所よりズレて、空中に投げ出されたりしていたらどうしようと魔女の中で不安が大きくなった。
しかし、その不安は聞こえてきた声でかき消える。茂みをガサガサとかき分ける音と共に、「魔法の気配だ!」と叫ぶ男の声。それも一人や二人ではない。
子どもたちよりもまずは自分が生き残ることを考えなければならない。
「あやつらを逃がせただけ上出来かのお」
魔女はそういってため息をつくと、少しでも身軽になるために鞄を投げ捨て、音を立てないようにその場を離れた。
転移魔法には入念な準備と膨大な魔力が必要である。簡易魔導具を失い、魔力を持っていかれた魔女が何度も行えるものではない。
「帰らなかったら、気に病むよなあ……」
痛む脇腹を押さえて走りながら魔女は呟いた。魔女だってこんなところで死にたくはない。けれど、今まで逃げ延び続けてきたからこそ今の状況がまずいと理解できてしまう。
死が迫ってくる感覚。長らく感じていなかった、出来れば一生感じたくなかった感覚に追い立てられて、魔女はとにかく足を動かした。
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