泣かないで、ローズマリー
芦田直人
第1話
第1話 (その1)
部屋の中に誰かが足を踏み入れる気配を感じ取って、私はふと書き物机から顔を上げた。
古びた本がずらり並ぶ書架の、埃っぽい独特の空気が、微かにではあるがゆらりと揺らいだ気がした。もちろんそれはまったくの私の気のせいで、実際は書庫の扉が押し開けられたときのちょうつがいの小さな軋み、入ってきた彼女がそっと部屋を移動する衣擦れの音などを、それとなく察知していただけの話なのだろうけれど。
「……メアリーアン?」
私は名を呼んだ。今日のこの時間に屋敷にいるのは私と彼女だけのはずだったし、兄であれば部屋に入るさいには一声かけてくれただろう。その兄は数日前に出かけたきりまだ戻ってきてはいないはずだったし、そもそもふらふらと頼りなげな足音が、兄のものではなかった。
「メアリーアン? ここに入ってきては駄目だといったでしょう」
私の声が、聞こえているのかいないのか。
私は部屋のどこかにいるであろう彼女に声をかけつつ、書き物机に視線を戻した。スペルの途中でペンを止めてしまったので、紙の上には不用意な染みが浮かび上がっていた。
どうせこれは下書きだからと、書きかけの単語の上にさっと斜線を引いて、そのまま続きの文を綴ろうとする。けれど向こうの方でどさりと何かが――多分本の山が崩れる音が聞こえたので、私はやれやれ、と呟いてペンを置いた。
本当に、手のかかる子だ。
普段はとても大人しく、物静かで聞き分けもいい彼女なのに、何故か私がこの書庫にいると、決まって邪魔をしに入ってくるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます