泣かないで、ローズマリー

芦田直人

第1話

第1話 (その1)



 部屋の中に誰かが足を踏み入れる気配を感じ取って、私はふと書き物机から顔を上げた。

 古びた本がずらり並ぶ書架の、埃っぽい独特の空気が、微かにではあるがゆらりと揺らいだ気がした。もちろんそれはまったくの私の気のせいで、実際は書庫の扉が押し開けられたときのちょうつがいの小さな軋み、入ってきた彼女がそっと部屋を移動する衣擦れの音などを、それとなく察知していただけの話なのだろうけれど。

「……メアリーアン?」

 私は名を呼んだ。今日のこの時間に屋敷にいるのは私と彼女だけのはずだったし、兄であれば部屋に入るさいには一声かけてくれただろう。その兄は数日前に出かけたきりまだ戻ってきてはいないはずだったし、そもそもふらふらと頼りなげな足音が、兄のものではなかった。

「メアリーアン? ここに入ってきては駄目だといったでしょう」

 私の声が、聞こえているのかいないのか。

 私は部屋のどこかにいるであろう彼女に声をかけつつ、書き物机に視線を戻した。スペルの途中でペンを止めてしまったので、紙の上には不用意な染みが浮かび上がっていた。

 どうせこれは下書きだからと、書きかけの単語の上にさっと斜線を引いて、そのまま続きの文を綴ろうとする。けれど向こうの方でどさりと何かが――多分本の山が崩れる音が聞こえたので、私はやれやれ、と呟いてペンを置いた。

 本当に、手のかかる子だ。

 普段はとても大人しく、物静かで聞き分けもいい彼女なのに、何故か私がこの書庫にいると、決まって邪魔をしに入ってくるのだ。

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