第23話 男の話

 男の名はフィルボッツ、彼は『黒い日』にこの都へ行商の為に来ていた。あの日、突然の黒い突風に覆われ、目を覚ました時には都から人々が忽然こつぜんと消え失せていた。


 何が起こったのかわからず、街中を走り回った。けれど行けども行けども人はおらず、残された衣服があちこちに転がり、衝突した車から煙が立ちこめているばかりだった。

 あの『黒い風』が何であるかと思考を巡らせた時、以前からささやかれているこの国の悪い噂が頭をかすめ、それが原因ではないかと考えた。

 フィルボッツはこの国の北に猊座げいざする皇居へと向かった。



 この国の象徴、縹渺ひょうびょう(※)と広がる敷地にきらびやかにそびえる金色の宮殿は圧倒的な存在感をかもしていた。

 ※縹渺=果てしなく広いさま。


 しかしフィルボッツの予想に反してその地は静寂に包まれていた。『黒い風』がここから放たれたのであるならば、何かしらの不審な動向がうかがえると思っていたが、まるで何も無かったかのように静まり返っている。警備隊も守衛も居ない。

 フィルボッツは意を決して皇居の中へ足を踏み入れた。



 ひとつひとつの部屋を調べるにはあまりにも広大で、宮殿内を探索するのに数時間を要した。


 結果として、禁中並びに後宮、宮殿共々もぬけの殻で、皇族、貴族、高官、女中、近衛このえ兵、門番に至るまでことごとく消えていたのである。


 これが何を意味するか。陰謀を企て、すでに逃亡した後ととるにはあまりにも不自然である。何故なぜなら天子や皇后の冕服べんぷく(※)が玉座に残されていたからであった。

 つまり彼らもまた『黒い風』によって消滅したことを意味する。

 彼らが何かしらの陰謀を指揮していたなら、都の民と同様の消え方をしているはずがない。日常の公務のさなかに突如巻き込まれたように、彼らも彼らを輔弼ほひつ(※)する者達も犠牲となったのである。

 ※冕服=冠と礼服。

 ※輔弼=天子の行政を助けること。



 そしてかねてから噂されていた軍事的施設も皇居内に一切見受けられなかった。武器も重機も秘密の地下通路のようなものも存在せず、それらを示唆するような怪しい空間などもない。

 真っ白だった。

 つまり噂は単なる噂でしかなかったのである。



 フィルボッツはその事実に正直失望した。都市伝説は噂の範疇はんちゅうでのみ輝き、蓋を開けてしまえば、つまらない鍍金めっきのような真実が鈍くくすぶっているだけであった。

 伽藍堂がらんどうと化した皇居はつまり、皇居以上の何物でもなかった。



 落胆の中で皇居を後にしたフィルボッツは、肝心な『黒い風』の正体を見失っていた。何が原因で何処から吹くのか、それを知る術が見当たらない。皇居からでないとするならば、自然現象によるものなのか、工場の爆発事故なのか。それにしても出所が分からなければ調べようがない。


 あてもなく覚束おぼつかない足取りで歩いていると、それは突然に現れた。

『黒い風』の第二陣である。それは皇居の左側、つまり西方から現れ、再び街中を覆ったのだ。


 フィルボッツは目を閉じ、しゃがみこんで祈りを捧げた。風はフィルボッツの縮こまった体を呑み込んで吐き出すように通り過ぎていった。

 自分の体に何の支障もないことに気付き、フィルボッツは震えた体で安堵あんどの溜め息をついた。


 あの風はいったい何なんだ。


 皇居内から吹いていないことはもう揺るがざる事実だ。

 フィルボッツは風が吹いてきたその方向へ足を進めていった。



 そこは皇居から更に北西にある集落地、海に程近い古民家が密集する地区であった。

 フィルボッツが驚いたのはそこに人影があったことである。しかもそれはひとりふたりではなく群れを成していた。自分以外に生存者が居たという事実がどれほどフィルボッツを励まし喜ばせたことだろうか。


 フィルボッツは駆け寄って人々と生きている僥倖ぎょうこうを分かち合いたかった。けれど人々はフィルボッツに気付いてもまるで喜びを表さなかった。この集団が『黒い風』を巻き起こしているのかとも思ったが、どうやら違うようだ。


 皆が何やら怪訝けげんな顔を寄せている。それはここに人が蝟集いしゅう(※)している理由と直接繋がっている。彼らもまたフィルボッツと同じ目的でここに来たのだ。

 ※蝟集=一ヶ所に群がり集まること。


 フィルボッツはゆっくりと彼らに近づいた。ある者がフィルボッツにつぶやいた。フィルボッツはその言葉を耳にし、歩みを止めた。そして人だかりをき分けて、その中心へと再び歩き出した。



 人々は輪になって下方を見ていた。フィルボッツもその視線の向かう先へ瞳を動かした。

 それは朽ちかけた豚小屋だった。民家の間に設けた、柵とわらを敷いただけの小さな豚小屋であった。


 数匹の豚が鼻を鳴らす干し草の上で、生まれたての人間の赤ん坊が、すやすやと眠っていた。






「これが何を意味するかわかるか?」

 ガレージの椅子に座ったフィルボッツは葉巻の煙を勢いよく吐いた。


「つまり『黒い風』は、この生まれたての赤ん坊が放っていた、ということだ」


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