第11話 人類の希望

 アガサとエラリーは三人の子を連れて出発の準備を整えた。住み慣れた場所を離れることに三人の子は難色を示すかと思ったが、意外にもあっさりと了承してくれた。三人で居ることがよっぽど心細かったのだろう。


 テントの中には消えてしまった仲間達の服や形見が残っている。全部は持っていけないけれど、ひとりひとりの思い出の品をひとつふたつバッグへしまって旅立つことにした。


 アガサはキックボードに乗り込み、馴染みの河川敷を眺めた。

「ごめんね、ルルー。そしてありがとう」

 アガサは祈るように静かにつぶやいた。


 ここへ辿り着いた日を思う。

『黒い風』が人々を消し去り、アガサは一人になった。その絶望の中を蹣跚まんさんと歩いていた時に見つけた一条ひとすじの煙。まさに希望の狼煙のろしだった。そうしてこの河川敷に招かれ、ルルーと出会った。


『コーンスープ、君も飲むかい?』


 ルルーが差し出したマグカップを受け取ったあの時の温かい安らぎが昨日のことのように浮かんでくる。

 アガサはそんな思い出を胸にキックボードを漕いだ。

「行ってきます」



 五人で土手をキックボードで走っていると、目の前にネコが寝そべっていた。

「あれ、あのネコ」

 キックボードを止めて、近づいてみる。

「やっぱりヴァンの。エドガーだっけ?」

 ヴァンが確かそう呼んでいた。


 ネコのエドガーは五人を眺め、大きく欠伸あくびをした。

「さすがにもうなついたんじゃない?」

 エラリーはアガサに言われてエドガーの前にしゃがみ込んだ。

「なぁ、エドガー。もう僕らのこと顔見知り……」

 エドガーはエラリーの顔を引っき、そして街のほうへと走っていった。

「イタタタ……」

 四人はエラリーの姿を見て笑った。

「やっぱり駄目じゃないか」


 エラリーが口を尖らせると、アガサはエドガーの走る方向を見てひらめいた。

「待って、あの子、前と同じ道に向かってる」

 土手の景色を確認すると、確かに前と同じ位置でエドガーはしゃがみ込んでいた。

「あの子、本当にわたしたちを導いてくれたんじゃ……」


 五人はエドガーを追い掛けた。するとエドガーは交差点にたたずみ、五人を確認すると、脇道へ向かい、ショッピングモールへと向かっていた。

「ホントに同じ道だ」

 エドガーはそのままショッピングモールを通り過ぎ、二股に分かれた道を北に進んでゆく。アガサはその進路で気付いた。


「そうか、わたしたちがもし土手に沿って西へ向かっていたら村には辿たどり着けなかった。だからあの土手で待っていたんだよ」

 エラリーは驚く。

「あのエドガーが?」

「きっとそうよ。ショッピングモールへ導いたのもヴァンに会わせるためだったのよ」

 エラリーはヒリヒリする顔をでた。

「ふーん、あの憎たらしいエドガーがねぇ」




 チェスタトンの村に着くと、ヴァンが待っていた。エドガーはヴァンにじゃれる。

「偉いな、お前は」

 ヴァンに頭を撫でられてエドガーは目を細めて喉を鳴らした。

「本当に懐いてるね」

 アガサが微笑ましくその光景を眺めた。エドガーは仰向けになり、腹を撫でるよう要求している。

「まぁな」


 ヴァンはエドガーの腹をシャカシャカといてやった。エドガーは至福の表情を浮かべている。

「僕には懐かないけど!」

 エラリーは不満げに口を尖らせた。ヴァンはエドガーとじゃれ合って顎下あごしたを撫でる。

「こいつは人を見る」

 ヴァンは立ち上がった。

「お前から何かを感じてるからかもな」



 ヴァンは五人にトロフェンの服を授けた。これはこの村の民族衣装のようなもので、与えられたということは歓迎を意味する。晴れて五人はこの村の一員として迎え入れられたのである。

 ただ、このトロフェンが先日消えてしまった誰かのものかもしれないと思うと、エラリーは胸が締め付けられる思いがした。

「こうして遺志を継いでいくんだ」

 ジャンの言葉が重く突き刺さる。


 拠点の変化に始めは戸惑うだろうが、明日も分からず五人でその日暮らしに生きていくより、大勢の人が復興ににぎわっているこの地のほうがきっと子供達も救われるだろう。小さい子もここには多い。きっとすぐに友達になれて、寂しさも和らぐに違いない。



「おかえり、待ちわびたよ」

 小屋へ戻るとクレイグが喜び勇んで迎え入れた。アガサはいまだにクレイグの発言を警戒しているようで、少しエラリーに体を寄せた。


 クレイグはパンッとひとつ大きく手を叩いた。

「さて、エラリー、あなたの体について知りたいの」

 アガサはエラリーの前に立ちはだかった。

「ちょっとストレートすぎでしょ!」

 クレイグはアガサの剣幕には意に介さず、後ろのエラリーに尋ねた。

「先日ヴァーユが吹いた時、あなたはアガサに覆い被さってたよね」

 エラリーは静かにうなずいた。


 すかさずアガサは口を挟む。

「それが何か? いつものことですけど?」

 語気の荒いアガサをクレイグはまるで視界に入れなかった。

「ずっとそうしてきた?」

 エラリーは首肯した。

「だからそう言ってますけど?」とアガサの横槍。


 クレイグはメガネを上げ、鋭くエラリーを見据えた。アガサは鼻持ちならない。

「なに、嫉妬? お門違いよ。わたしたちはずっとそうしてきたの。ぽっと出のあんたなんて……」

 アガサがまくし立てる言葉をさえぎってクレイグはエラリーに鋭く問いただした。

「エラリー、あなた、何者?」



 エラリーもアガサも急な質問に唖然あぜんとして黙った。けれどすぐにアガサは腹が立って言い返した。

「あんたこそ何なのよ! 呼び出して急に訳の分からないこと言って!」

 クレイグはようやくアガサに目を向けた。

「アガサ、あなたはエラリーに覆い被されてた時、どうしてるの?」

「はぁ? 何よ、いきなり」

「ヴァーユが吹いてる時、どうしてる?」

「あんたに何か関係あるわけ?」

「目を閉じてる?」

「だから何なのよ!」

「閉じてる?」


 執拗しつよういてくるのでアガサは渋々答えた。

「そりゃ閉じてるわよ、怖いんだから。口と鼻をつまんでじっとしてるわよ」

「じゃあ、いつも目を閉じてるわけね」

「だったら何なのよ!」


 クレイグはエラリーにまた目を戻した。

「エラリーはどう? 目を閉じてる?」

 エラリーは首をかしげた。

「閉じる時もあるけど、大体開けてるかな」

「その時どこを見てる?」

「うーん、アガサのことだよ」

 アガサは言われて勝ち誇ったように笑った。


 クレイグはそんなことはお構い無しにエラリーを見つめていた。

「この間、ここでヴァーユが吹いた時、私、近くに居たでしょ? ヴァーユが収まりかけてて私、目を開けたの」

 エラリーとアガサはクレイグが何を言いたいのか分からなかった。

「目を開けたらエラリーがアガサに覆い被さってて、ヴァーユがそこを通り過ぎるのが少し見えたの」


 クレイグはメガネを再び上げ、エラリーを見つめた。

「あなたの体、ヴァーユを吸い込んでたのよ」





 チェスタトンの研究報告書をひもといていくと、『黒い風』は気圧変化による気流、つまり風ではなく、むしろ粒子に近いものの波動ではないかという仮説があった。


『ヴァーユはどんな物質にも遮断されず、建造物や車内を通過している。それはどちらかと言えば光に近い性質である。


 光は物体の境界面に当たると、一部は反射し、残りは物体に吸収される。またガラスの表面で光は反射し、一方でガラス内へ透過する。ヴァーユが建物や車のガラスから内部へ侵入することはこれで説明できる。つまり気流ではなく、光のような性質を持っていることに相違ない。


 しかし、テントや窓の無い密閉された部屋をもヴァーユは透過する。つまりX線のような波長の短い性質なのだろうか。


 またヴァーユの通過時には木々がざわめき、砂塵が舞い上がり、小屋はきしむ音を立てる。つまり何らかの接触や抵抗を大気や物質に及ぼしているはずである。これもまた光の性質として説明がつく。


 実は光は物体に圧力を及ぼしている。普段ではそれを感じないが、真空中では物体に衝突し、運動エネルギーを与えてその物体を動かすのだ。大気のある地上で光は物体を動かすことは目測出来ないが、光よりも強い電磁波をヴァーユがたずさえていて、物体を揺らしていると考えられる。


 加えて人間の目には黒く映る理由を考えるに、雨雲と同様に光をさえぎるほど層が重なっているためと当初は考えたが、黒い微粒子の集合体と考えるほうが妥当に思う。



 これらは現在、この荒廃した世界の人間では観測することが叶わず、残念ながら推論の域を越えない。

 そして、なぜ人間だけが消えるのか。それもいまわからずじまいである。他の動物も植物も無機物も破壊などの影響を受けていないとされている。

 建造物の倒壊や火災は、突如人間が消えたことによって制御不能となった電気機器の爆発や自動車の衝突によるものである。

 どうして人間だけに影響するのか。それこそが最大の謎だ。

 その根幹を解明し克服しない限り人間に未来はない。


 そこでここにもうひとつの仮説を立てる。

 暴論かもしれないが、他の動物に影響を及ぼさないのでなく、人間に影響を及ぼすためのもの、ということではなかろうか。

 そんな言い方をしたら、まるで、ヴァーユは人間を消すためだけに存在しているようである』



 チェスタトンの研究の関鍵かんけんはそこであった。『黒い風』は人間の体にだけ作用し、影響を及ぼす、人間を消すために作られた兵器のようなものではないだろうか、と結論づけている。

 つまり『黒い風』は自然現象ではなく、人工的な化学兵器による脅威である、と。



「エラリー、あなたの姿を見てチェスタトンの研究書を思い出したの。ヴァーユが光に近い存在だとするなら、あなたは植物が光を取り込むように、ヴァーユを吸収する体質を持っているんじゃないかって」


 エラリーは驚倒し、自らの両のてのひらを眺めた。

「僕が……?」

 戸惑っているエラリーと違ってアガサは意外にも冷静であった。クレイグに言い返しそうなものたが、あっさりと事態を受け入れようとしている。反論しようとしても思い当たる節がアガサにはあったのである。

「アガサは知っていたのね、エラリーが特別だってこと」


 アガサはうなずくことはせず、しかし否定もしない。かたわらに立つエラリーは何の変哲もないただの少年であった。しかしクレイグの話を聞かされると、その姿が異能な存在であると認めざるを得ない。


「ルルーの地に辿たどり着いた後、食糧探しに出掛けた時、赤ん坊を抱えた女性に出会ったの」

 アガサはその日の事を鮮明に思い出し、つぶさに語り出した。


「その女性は生まれたばかりの赤子を抱いていた。『この子を宿してから私、おかしなことばかりなの。視界も何だかおかしくて。

 この子はやはり特別な力を持っている』と彼女は言った。


 そして『食糧と粉ミルクを調達してくるからこの子を少しの間見ていてくれない?』と言ってスーパーへ入っていった。


 その時に運悪く『黒い風』が再び吹いて、わたしはその赤ん坊を抱きながらしゃがみこんだ。すると『黒い風』が赤ん坊の体に触れると水をはじくように反射して、一部が体に吸い込まれるような軌道も見えた」

 エラリーは困惑してアガサを不安そうに見つめた。

「それが……僕?」

 アガサはうなずいた。


「その女性は待てども帰って来なかった。スーパーへ迎えに行くと、さっきまで女性の着ていた服がフロアに落ちていた。エラリーと離れてしまった途端、風を防ぐ手立てを失ったのね」

 アガサは壁に手をもたれさせ、当時を振り返った。


「そしてルルーのいる河川敷でエラリーは育った。『エラリー』という名もルルーが付けたの」



 エラリーは生い立ちや産んだ人のことを聞かされ、幾つもの感情が入り交じり手を震わせた。

 何がなんだか分からない。自分のことなのに自分が分からない。


「エラリー、きっとあなたはヴァーユに対抗できる人類の希望なのよ」

 クレイグにそう言われてもエラリーは何も答えなかった。急に言われても納得しうるものではなかった。

「きっと人類を救える」



 クレイグは自分の言葉に励まされるように徐々に感情をたかぶらせた。

「チェスタトンの願いと、それを叶える器」

 クレイグはエラリーの手を強く握った。

「あなたにはヴァーユをより知る権利がある」



 クレイグはくたくたにれた一冊の書物を差し出した。

「チェスタトンののこしたヴァーユの記録、彼の回顧録よ」


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