第9話 風の研究
風の 二人を連れてきたヴァンはクレイグに褒められてはにかんでいた。ぶっきらぼうな印象だったが和やかな顔も出来るんだ、とエラリーは少しだけヴァンにあどけなさを感じた。
少し緊張が和らいだのか、エラリーの腹がゴロロと鳴った。朝軽く食べただけでそれから何も口にしていなかった。
「えっ、食糧何も持ってないの?」
クレイグに驚かれ、エラリーは無意識にジャンを横目で見た。ジャンはバツが悪そうに目を泳がせた。
「ああ、俺が何か持ってきてやるよ」
クレイグの前でジャンは調子良く声を張った。
「あら、気が
クレイグに頼まれ、ヴァンは険しさの取れた顔つきでそそくさと出ていった。
クレイグはマグカップを手に取り「コーヒー飲む?」と二人に勧めた。
アガサはクレイグと打ち解けた様子だが、エラリーは
「ま、ヴァンのことは許してやって」
何も言っていないが、ヴァンの性格を知るクレイグは何があったかお見通しのようだ。
「ぶっきらぼうだけど、別に悪い子じゃないの。ちょっと
クレイグは二人にコーヒーを差し出し、二人も椅子に腰掛けた。一口飲んで、エラリーにも少し安心が込み上げてきた。
「ここは随分と人が居るのね」
アガサはクレイグに話し掛けた。こんな大きな集落に巡り会うとは思ってみなかった。
「そうね、だいぶ人は減っちゃったけど、
テントは五十ほど建てられているが、今は三十人弱がここで生活しているという。
「みんな生き生きしてた。『黒い風』に怯えてないの?」
クレイグは足を組んでコーヒーを
「ヴァーユのことね。
「何があって変わったの?」
クレイグは湯気で曇ったメガネを取って白衣で
「みんな黒い服を着ていたでしょ?」
ヴァンも含め、確かに村の人々は皆同じような格好をしていた。
「ちょっと奇妙に見えた」とアガサは素直に言った。クレイグも納得して
「あの黒い服、あれは喪服みたいなものなんだ」
「喪服?」
「そう、チェスタトンの」
その夜、村では中央に火が
人々は黒い服を
人々は火の周りを囲んで踊りながら歌っている。皆が苦しみや悲しみを持たず、あっけらかんと笑い合っている。
クレイグがアガサとエラリーに寄って座った。彼女も皆と同じ黒い服を着ている。
「盛り上がってるでしょ」
アガサは「最高!」と瞳を輝かせた。
歩き続けて
「今日はね、月に一度のお祭りなの」
「こんな催しを毎月やってるの?」
「そう、チェスタトンの月命日の日に」
アガサはクレイグに尋ねた。
「チェスタトンって、どんな人だったの?」
クレイグは天に昇ってゆく炎の先を見上げた。
「彼はね……」
『黒い風』が最初に吹いたその日、チェスタトンは街中の歩道で目覚めた。
しかしそこには
それは人間の死体が無かったからだ。火災や倒壊によってカラスや犬の死骸はあったものの、人間の死体は一切無かった。自分以外の人間が服を残して
チェスタトンは街中を
そこで
クレイグはチェスタトンの話をエラリーとアガサに聞かせた。二人は静かにその話に耳を傾けた。
「 チェスタトンが目覚めた時、彼はトロフェンを身に付けていた。この黒い服のことね。
これはある登山服メーカーが作ったオリジナル合成繊維の服なの。防水、防塵、防寒に優れた素材で、登山好きのチェスタトンはその時それを着ていた。彼はそれを着ていたから自分は助かったのだと思った。自分だけ消えなかったのは、この服のおかげなのだと。
そして彼は生存者を探す
自分以外に生存者が居ることにチェスタトンは大いに喜び、孤独から解放されたことを天に感謝した。何せ世界で自分一人しか生き残っていないと思っていたからね。
けれどここの人々は生気を失っていた。嘆き悲しみ、ある者は川に身を投げた。ここは生きる望みを失くした人々の吹き溜まりだったの。
そんな彼らをチェスタトンはひとりずつ親身に励ました。
『黒い風に怯えて日々身を
負けてはいけない。屈してはならない。
元々人類はそうして発展してきたではないか。それは以前の人類と何ら変わらない欲望だと思わないか』
そう言って彼らに掻き集めたトロフェンを配ったの。
『これを着ていればきっと大丈夫。僕はそうして生き残った。さぁ、これを着て復興に努めよう』
けれど、実際は、トロフェンは何の効果もなかった。それはそうよね。だってここの人達はトロフェンを着ていなくても助かった人達なんだもん。トロフェンを着ていて助かったのはチェスタトンだけ、単なる偶然だったのだから。
それでもチェスタトンはひとり希望を持って、この地で畑を
けれど
『じっと座っていても暇だから』
その人はチェスタトンの持つ
『そんなへっぴり腰じゃいかん。もっと丸太に垂直に当てんか』
そう言ってチェスタトンを手伝い出したの」
クレイグは炎を見つめ目を細めた。
「 チェスタトンはその時のことを本当に嬉しそうに喋ってた」
懐かしみながらクレイグもまた微笑んだ。
「そこからは段々と手伝う人々が増えていった。怯えながらただ無気力に日々を過ごすより、体を動かしているほうが前向きに生きられると人々は気付いたのね。それをチェスタトンが悟らせてくれた。
いつしかチェスタトンを手伝う人々は作業服のようにトロフェンを着出した。組合のシンボルみたいなものかな。チェスタトンを賛同する者達の
そうしてこの地は少しずつ生活基盤が形成されていった」
けれど、そこに再び『黒い風』が無情にも吹きすさんだ。この地を襲い、数十人が
トロフェンの力を信じていたチェスタトンは絶望と共に泣きながら人々に謝罪した。
けれど彼らは誰もチェスタトンを責めなかった。それどころか、ただ『黒い風』に怯えるだけの毎日を送り、廃人のようになっていた彼らに活力を
『ありがとう、チェスタトン』
チェスタトンは彼らに
チェスタトンはそこから寝食も忘れ、『黒い風』を懸命に調べ始めた。
これ以上人が悲しむ姿を見たくない。
彼らを救いたい。
何が原因で、
『風の神』を意味する『ヴァーユ』と名付け、その真相を探ろうとした。人々も彼が研究しやすい環境を作るために街から機材や資料を集め、チェスタトンを後押しした。
クレイグは炎の前で、抱えていた両膝にギュッと力を込めた。
「チェスタトンは消えるその日まで研究をし続けた。チェスタトンが消えても人々はこうしてトロフェンを着て、彼の功績を讃えている。チェスタトンはこの地の英雄なのよ。こうして今も皆が希望を持って振興に励むのは、チェスタトンの遺志なのよ」
エラリーとアガサは村の人々が笑い合って歌う姿を眺めた。連れてこられた際にいかがわしく感じた
アガサはルルーのことを思い出した。彼もまた人に希望を与え、明るさを取り戻させた。
こんな世の中にあっても、人間がいる限り光
アガサの胸に希望が再び湧き上がってきた。
「ヴァーユってそういう意味だったのか」
エラリーは
「風の神か。確かに『黒い風』よりしっくりくる気がする」
エラリーはしんみりと
「そうね、確かに猛威をふるっている感じが。昔の人も人智を越えたものには『神』と名付けたものよ」
アガサは同意したが、エラリーは首を傾げた。
「うーん、それもあるけど、いや、ほら、色的にさ」
「色? 色なら『黒い風』でいいじゃない。実際黒いんだから」
「うん、まぁ、そうなんだけど……」
アガサはエラリーの言うことが理解出来なかった。
「それでチェスタトンはそのヴァーユの真相に
アガサはクレイグに尋ねた。
クレイグは悲しそうに
「志
「そう……」
何か手掛かりを
それでも自分以外にも『黒い風』の克服に奮起していた人が居たことは嬉しかった。
そんなアガサを慰めるようにクレイグは高らかに声を上げた。
「そのチェスタトンの遺志を今は私が継いでるの」
クレイグはメガネを上げて胸を張った。
「そっか……」
「まだ分からないことだらけだけどね」
エラリーとアガサは互いに沈んだ顔を見合わせた。仕方ないことだけれど、外の世界に出れば解明出来ると思っていた。しかしそう簡単ではないものであると痛感させられた。今は生存者に出会えたことに最大の価値があって、『黒い風』の真相究明はまだまだ始まったばかりである。
クレイグは二人の肩を強く叩いた。
「そんなしんみりしなさんな。分かったこともあるんだよ」
クレイグが二人を励ますために付け足すと、アガサとエラリーは顔を上げた。
「かなり重要な事実よ」
クレイグは得意気に鼻を膨らませた。
「ヴァーユは、ここから北西にある都市ルブランから吹いていることが判明しているの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます