運命のダイヤモンド 

はなまる

来世でわたしを見つけなさい


 ープロローグー


 遥か昔…7世紀ごろインドの南部地方デカン高原にあるコーラルと言う街に流れる川から信じれないほど大きな美しいブルーダイアモンドが見つかった。

 最初にそれを見つけた農民は土地の領主にそのダイアモンドを奪われ命を奪われた。それから次々に新しい持ち主がそのダイアモンドに魅了されて醜い争いの歴史が始まった。


 それから時は流れ…17世紀インド。そのブルーダイアモンドは指輪にされていた。

 東インド会社を設立したイギリスの商人を守るためにイギリスからインド支配の為に軍隊が派遣された。総督の部下にエリオット・ボーガンという男がいた。彼は捕らえた密輸商人から取引を持ち掛けられる。この指輪を渡す代わりに見逃してほしいという申し出だった。エリオットはその時ブルーダイアモンドを手に入れた。イギリスに残している愛す津婚約者ドロレスの為にその指輪を本国に持ち帰りドロレスと再会した。だがその指輪の事を聞きつけた総督が彼に指輪を渡すように求める。エリオットが断ると総督は彼を銃で撃ち殺した。そしてドロレスの指から指輪を取り上げようとした。ドロレスはとっさにその指輪にエリオットの魂を閉じ込めた。来世で必ず探し出してと願いを込めて…ドロレスもそこで命尽きてしまう。

 かくしてそのブルーダイアモンドは、持ち主に災いをもたらし、次々と人から人へ渡っていった。そしていつしか呪いのダイアモンドと言われるようになった。



 

 バイオレットは、ニューヨークにある新聞社ニューヨークデイリーで働く新聞記者だった。彼女は週一回、日曜日の園芸コラムを担当している。

 今日はその取材で、ニューヨークにあるユニオンスクエアで開かれるグリーンマーケットに行く。ココにはたくさんの花や観葉植物などが出店している。バイオレットは読者にお得な情報を届けるために、張り切っていた。


 同行する人もなく彼女はひとりでグリーンマーケットに出かけた。

 デジタルカメラを片手に、お目当ての園芸ショップを見つけた。その時だったいきなり大きな男性がぶつかって来た。

 「もう!痛いじゃない。どこ見てるのよ!」バイオレットは落としたバッグの中身をぐしゃぐしゃとバッグに入れデジタルカメラを拾った。

 壊れてないかしら?カメラのスイッチを押してみる。よかったちゃんと動いてるわ。

 だが、買ったばかりの新しいスニーカーはその男に踏みつけられて汚れてしまった。仕方ないわ。汚れたくらいで良かったじゃない。彼女は自分を慰めた。



 バイオレットは深呼吸すると気持ちを切り替えた。そしてにこやかに園芸ショップの女性に挨拶をした。

 「おはようございます。ニューヨークデイリーから来たバイオレット・ハーパーです。とても綺麗な花や観葉植物がたくさんありますね。良ければお勧めなど教えていただけますか?」

 「ええ、そうね。この時期なら薔薇にマム(菊)なんかもいいしマリーゴールドも育てやすいわ」

 「そうですよね。薔薇は国花でもありますしね。それにマムも小さな花がかわいいですね」

 「ええ、スプレーマムなんかも人気があるし、長持ちするところもいいわね」

 「そうなんですか」などとあちこちで取材を終えるとちょうど雨が降り出した。

 まったくついてないわ。すぶぬれになって新聞社に帰って来ると、すぐにそれを記事に仕上げる。今日は金曜日明日休みたければ今日中に記事を仕上げておかなければならなかった。

 そして取って来た写真を選ぶころには、もうすっかり退社時間を過ぎていた。


 「バイオレット今日はもうこの辺りで後は明日にしよう」同僚のビルが声をかけて来た。彼も同じように小さな記事をいくつも抱えている。彼は独身だしまだ28歳だが、とても彼女が付き合いたい部類の男ではなかった。

 「ええ、後もう少しで終わるから…」15分ほどで仕上げると保存してデータを担当者に送信した。


 顔を上げるとビルが嬉しそうにこちらを見た。

 「どう?バイオレット今日は金曜日だし食事でも行かないか?」

 冗談でしょうビル?もう帰ったんじゃなかったの?

 先日ビルとエレベーターで一緒になった時、彼女はバランスを崩して彼に抱きつく格好になってしまった。まさか、わたしがあたなに気があるとでも?

 「いいえ。悪いけどビル、今日はデートなの。もう急がなきゃ。ごめん、じゃあまた来週…」

 バイオレットは、自分のバッグの携帯電話を取り出した。

 その時何かがバッグから転がり落ちた。

 彼女は床に転がったそれを手に取った。指輪?何これ?すごく綺麗。サファイアかしら?その石は直径2センチ以上あった。

 どうせガラスに決まってる。一体だれがこんなものを?バイオレットには小さな女の子の知り合いなどいない。おもちゃにしてはしっかりしている。土台も指輪もシルバーだったが、もちろんメッキだろう。彼女は急いでいたのでその指輪をそのままバッグに放り込むと事務所を後にした。



 バイオレットは会社を出ると急いでタクシーを拾おうとしていた。

 金曜日の夜、タクシーをつかまえるのはなかなかではないと知っていたのに…ところが会社を出てすぐにタクシーが見えた。彼女は反射的に手を上げた。

 するとラッキーなことにタクシーが止まった。

 「ブルックリンブリッジを渡ってブルックリンハイツに向かって」

 「お客さん、ラッキーだね。あと1時間もすればブルックリンブリッジは通行止めになるところだったよ」

 「ああ、そうだったわね。忘れてたわ。ラッキーだったわ、あなたがちょうどつかまって」

 「たった今お客を下ろしたところだったんですよ」

 「ほんと、運が良かったわ」バイオレットは珍しく自分が付いていることに驚いた。

 車の窓からはフルムーンが輝いていた。今夜は満月なのね…バイオレットは、久しぶりに美しい月を見た。



 彼女は本当に運のない人で、ハイスクールの頃からいつも、くじ運やついていないことが多い。

 そもそもニューヨークデイリーで働くことになった時も、事故で渋滞してニューヨークポストの面接に間に合わなかったからだった。それに園芸コラムを書くことになったのももう一人の女性キャシーとのくじで決まった。キャシーは有名人のインタビューの記事の担当になって、そのインタビューで知り合った映画俳優と付き合っているらしい。


 バイオレットは、アパートメントに帰ると、ばたばたと服を着替えて、電子レンジでマカロニチーズを温め始めた。

 彼女はタリーという2歳年下の友人とシェアして暮らしていた。大した給料もなく生活はいつもぎりぎりで切り詰めた生活で家賃を半分で済ませることが出来るのはラッキーだった。


 電子レンジをぼーっと見つめながら思った。もう!どうしてタクシーでなんか帰ったのよ!地下鉄で帰ればよかったのに…ビルにまた声をかけられるのがいやでつい手を上げた。そしたらタクシーがつかまったのも不運だったわ。


 バイオレットはついさっきまでついていたと思っていたことに腹が立った。

 明日は、ブリッジパークで開かれるマーケットに出かけるのがいつもの日課だ。そこで気にいった服や靴も安く買う。食材もまとめて買って週末に作って冷凍しておくのだ。


 今晩タリーは彼氏のところに泊まると電話があった。

 バイオレットは早々にベッドに入るとすぐに眠りに落ちた。

 

 それからどれくらいたっただろう。

 ”バイオレット…バイオレット目を覚ましなさい。”

 彼女は夢を見ていると思った。

 ”困ったときにはこの指輪をこすりなさい。きっとあなたを助けてくれますよ”

 ”ええそうするわ”

 バイオレットは夢の中でそう言った。



 指輪の中のエリオットの魂は、指輪が新しい持ち主に変わるたびそうやってドロレスを求めて囁いた。そしてドロレスでないと分かると持ち主が指輪を手放すように不幸をもたらしたのだ。今回もまた同じように彼女がドロレスの生まれ変わりの女性を見つけるため魂を呼び出させようとしていた。



 翌朝目覚めたバイオレットは、シャワーを浴びてブリッジパークで開かれるマーケットに急ごうとしてお金をおろさなければけないと気づいた。

 ATⅯで財布からデビットカードを出してお金を引き出すとき、昨日の指輪に気づいた。

 ガラスでもいいわ。ファッションとして付けてもいいかも…バイオレットは昨日の指輪を指にはめた。ホント。綺麗だわ。人工ダイアモンドかも知れないわね。そうなると持ち主は昨日のあの男の人かしら?

 まさか、まあいいか。バイオレットは深く考えずに買い物に出かけた。


 散々値切って、黒い革製のブーツを買った。そして大好きなブルーベリージャムと鉢植えのマムも買った。

 それから近くのスーパーマーケットに食料を買い出しに行った。しまった…買いすぎたかも…どうやって持って帰ろう?バイオレットは頬をこすった。



 「お困りですか?」ハンサムな男性が声をかけて来た。

 うわっ!すごくハンサム。もしかしてわたしに声をかけてるの?

 「ええ、ちょっと買いすぎたみたいで…」バイオレットは赤くなった。

 「僕が持ちましょう。さあ…」

 「大丈夫ですから…」彼の腕はたくましく重い荷物の軽々と持ち上げた。そして透き通るようなトパーズ色の瞳、眩しすぎる笑顔。ああ…もうわたし…バイオレットはくらくらした。

 「気分でも悪いのですか?」彼が慌てて荷物を置いて彼女を支える。その手が彼女の腰を支えるとバイオレットの体中に電流が流れた。まるで落雷が体を突き抜けたみたいに…

 

 「だ、大丈夫ですから…」いったい今のはなに?感じたことのない感覚に彼女は恐くなった。

 「でも震えてるじゃないですか」

 「いえ、大丈夫ですから…」

 「大丈夫じゃありません?いいから、女性は男の言うことを聞くものです」彼はバイオレットを抱きかかえるようにして歩き始めた。まるでバイオレットの家を知っているかのように彼女のアパートメントの方角に…


 この人ってすごく紳士的。でも余計なお世話よ!

 「あの、あなた。まさかわたしを知ってるの?」

 「とんでもありません、あなたが困っていたから…そうだあなたの名前は?」

 「まあ、失礼な人。人に名前を聞くときは自分から名乗るものですよ」バイオレットはそう言って慌てた。いつも亡くなった母がそう言っていたから、つい彼の言い方をまねたみたいに…

 彼は吹き出した。そして大笑いした。こんな言葉を聞いたのはいつの事だろう?

 「これは失礼。僕としたことがレディに名前を聞くなんて、僕はエリオットです。エリオット・ボーガン。これであなたの名前を教えてもらえますか?」

 「ええ、Mr.ボーガン。わたしはバイオレット・ハーパーよ。よろしく」

 「ではバイオレット、僕の事はエリオットと。じゃあ、バイオレット荷物を運びましょう」

 「それじゃ、お言葉に甘えてエリオット」バイオレットは自分も荷物を持つと、彼には一番重い荷物を持ってもらった。



 アパートメントに着くとエリオットは当たり前のように部屋まで荷物を運んでくれた。

 「じゃあ、僕はこれで失礼します」そう言うと彼は慌ててドアを閉めた。バイオレットはお茶でもとドアを開けた時にはもう彼はいなかった。まるで煙のように消えていた。



 エリオットは300年の間愛するドロレスを探し続けて来た。だが、今までに彼女に似た人と出会ったことはなかった。人は生まれ変わっても顔はあまり変わらないと言われている。

 だが今回出会ったバイオレットはドロレスによく似ていた。

 何よりあのブルーダイアモンドのような藍色の瞳、高くてほっそりとした鼻、ふっくらとしたあのばら色の唇…彼女に似ている。

 彼はあまりの驚きに、衝動的にあんな態度を取ってしまった。


 ああ…ついに見つけた。後は体のどこかにあるはずの彼女のしるしを見つければ…ドロレスには∞の形をしたあざがあった。ドロレスには首の後ろに会ったけどバイオレットにはなかった。でも体のどこかにあるに違いない。

 エリオットは今度彼女に呼び出されたら必ずそれを突き止めたいと思った。



 バイオレットはしばらくエリオットのことが頭から離れなかった。小さなキッチンの椅子に腰かけて彼の事を考えた。

 もういい加減にしなさい。あんな素敵な人がわたしに気があるわけないじゃない!それに自分から男を誘うなんてそんなばかなことは出来るはずもない。


 バイオレットは、生まれた時から親はいなかった。教会の前に捨てられていた。彼女はその教会の養護施設で育ってきた。そこでは厳しく生活習慣や男女交際について教えられたバイオレットは今でもその教えを守っていた。そのおかげでほとんど男性と付き合ったこともない堅物だった。好きな人は何人もいたが、いつも片想いに終わって、それ以上の関係に発展することはなかったのだ。



 バイオレットはため息をつくと、買ってきた食材を冷蔵庫に詰め込み、掃除や洗濯を始めた。そして昼食を作りながら1週間分の料理の仕込みを始めた。そしてやっとそれらが片付くころにはもう暗くなっていた。

 タリーはいつ頃帰って来るかしら?今晩は明日も食べれるように多めにチキンの煮込み料理を作った。彼女はウォルマートで働いている。


 バイオレットは、一息つくとシャワーを浴びようとバスルームに行って服を脱ぎ始めた。その頃には指輪のことなどすっかり忘れていた。

 そしてうっかり指輪をジーンズでこすってしまった。


 「失礼!」エリオットが現れた。

 「キャー!」目の前に男が立っている。彼女は胸に手を当てて床にしゃがみ込んだ。

 「痴漢!早く出て行ってよ!あなたは誰?どうしてここにいるのよ?」バイオレットはパニックになった。

 「どうしてって?君が呼んだから…」

 「そんな事するはずないわ。待って?あなたって…」よく見ると彼は陽炎のように揺れている。それにエリオットと思ったが、さっきの彼とは違う気がする。


 「僕はそのダイアモンドの指輪に閉じ込められているんだ。さっき出会った時は、ちょうど近くにいた男性に入ることが出来たけど、ここには誰もいなかったので失礼した」

 「待って!それって?あなたアラジンなの?願いをかなえてくれるって言うあれ?」

 「いや…願いはかなえることは出来ない。実はある女性を探してるんだ。その人に巡り合えないと僕はずっとこの指輪の中にいなければならないのだ」

 「ああ…人探し…ね」まさか…こんな事本当にあるの?バイオレットは心の中でつぶやいた。

 「お願いがあるんだ。君の裸を見せてもらえないだろうか?」

 「いきなり何言ってるのよ!わたしをちょっと助けたからってあんまりいい気にならないでよ」これって…きっと夢だわ。こんな事現実なわけがないもの…

 「これは僕としたことが…バイオレット心配ない。僕は肉体がないんだ。だから何も恐れることはない。君に触れる事さえ出来ないんだから…」エリオットは笑いながら続けた。「探している女性には印があるはずなんだ。もし君にそれがなければもう二度とこんな失礼なことは言わない。約束する」


 バイオレットは恐る恐る彼の脚に触れた。手は空をつかんで彼の脚をすり抜けた。本当だわ。彼って幻だわ。そうよ。きっとどこかに彼を映し出している何かがあるんじゃ?


 彼女はいきなり立ち上がった。辺りをぐるぐる見回す。だが、そこにはドアとバスルームが広がっているだけだった。


 エリオットと目が合った。彼の瞳は茶色ではなくグレーか淡いブルー、それに顔はさっきの男性よりもっとセクシーだ。彫刻の様な骨格は、まるでギリシャ彫刻のダビデ像のような男らしい顔立ちだった。

 バイオレットの胸に当てていたバスタオルがはらりと落ちた。


 エリオットの視線が彼女の胸にくぎ付けになった。

 「バイオレット…そのあざは…」エリオットの声がつまる。彼女の左胸の下にあの∞の形のあざがあった。

 「もう!どこ見てるのよ!」バイオレットは腕で胸を隠した。

 「お願いだ。もう一度見せてくれないか!そのあざは僕が探しているドロレスと同じ形なんだ。だからもう一度見せてくれればはっきりする」

 彼女はエリオットに殴りかかったが、平手は彼の顔をすり抜けただけだった。


 「もう見たじゃない。あざ?これは生まれた時からあるみたいだけど、それがどうしたのよ?」同じあざの女性?もしかしてわたしのママなのかしら?

 「それにドロレスって?あなたの何なの?」

 「彼女は僕の婚約者だった。僕たちは…」これ以上の事は今は話せない。だが、もし彼女がドロレスの生まれ変わりなら僕の事を思い出してもらわなければ、そして僕の生まれ変わった人間を探し出してもらわなければ僕たちは結ばれることは出来ない。


 「もしかして、あなたのその婚約者のドロレスって人の為にわたしが協力しなきゃならないって事なの?そんなのお断りよ!」どうしてわたしが見ず知らずの男の…いくらセクシーだからって…それも肉体のない男の為に…



 彼の手がバイオレットのこめかみに触れた。

 その瞬間見たこともない景色が広がった。これはきっと17世紀か18世紀ごろかしら?まるで映画に出てくる世界だわ。大きな蒸気船が見える。そこからおりてくる男性。これってパイレーツオブカリビアンの?いいえ…まるでナポレオンか貴族?でも顔はエリオットにそっくりだわ。

 エリオットが出迎えた女性と抱擁する。彼女の手の甲にキスをして紳士的だわ。その女性はブロンドでその髪を高く結っている。頭には小さな帽子を付け、舞踏会にでも行くようなウエストギュッと締め付けた瞳と同じ藍色のドレスを着ている。

 雰囲気はまるで別人でだけど、顔はわたしによく似ているみたい…

 そこで映像がぷっつり切れた。エリオットが手を離したからだ。


 「今のはなに?まるでわたしにそっくりだったわ…」バイオレットは手をたらりと下げた。

 「これでわかっただろう?君はドロレスの生まれ変わりだ。間違いない。ああ…やっと巡り合えた。どんなに君に会いたかったかドロレス…」

 エリオットはそう言いながら、彼女の胸の下にある∞の形に手を這わせた。触れることなどできないはずなのに…

 彼の指先はまるで羽のようにその肌を撫ぜた。

 思わず喘ぎ声がもれ、バイオレットは唇を噛んだ。わたしきっとおかしくなったんだわ。


 「これからシャワーを浴びるんだろう?僕は外で待っている」エリオットはそう言うとドアをすり抜けた。

 バイオレットは何とか正気を取り戻そうと、シャワーの栓をひねった。冷たい水を顔に浴びせると、それから体にも冷たい水をかけた。

 「きゃー冷たい!」思わず声を上げた。

 「大丈夫か?」外から声がした。

 「ええ、大丈夫よ」バイオレットは口をふさいだ。エリオットがいるんだった。これは夢じゃないのね。彼女は急いでシャワーを終えると体を拭いて戸棚にあったスウェットの上下を着た。


 バスルームを出るとリビングのソファーに彼が座っていた。

 「いい匂いがするとさっきから思っていたんだが…」

 「まったくあなたっていやらしいのね!」

 「待ってくれバイオレット。そうじゃないんだ。料理の事だよ。300年で空腹を覚えたのはこれが初めてだ。きっと安心したからだろう」エリオットは自分がどんなに眩しい笑顔を振りまいているのか気づいていない。

 バイオレットは、くらくらしそうになりながら言った。

 「そう?じゃあ一緒に食べる?」つい料理を褒められて彼女もいい気になった。

 そしてふたりはキッチンで夕食を食べた。エリオットはお替りもした。



 そこにタリーが帰って来た。

 「ただいまバイオレット。うーん。いい匂い」タリーは黒髪のイタリア人だ。彼女も幼いときから同じ養護施設で育った。ふたりは姉妹のように仲が良かった。

 「お帰りタリーどうだったロザリンドは?」

 「ええ、彼また悪い仲間に誘われたみたいで、昨日何か良くないことがあったみたいで、すごく機嫌が悪かった。わたし帰ろうかと思ったけどやっぱり彼を放っとけなくて…」

 「タリーもしかして殴られたりしてない?」

 「もちろんよ。彼は女に暴力なんか振るわないわ」

 「でも悪いことは言わない。もう彼とは別れた方がいいわ」ロザリンドはマフィアの下っ端の仕事を手伝っていて、タリーには何度も彼と別れるように言っていた。


 「ねえタリー誰か見える?」

 「えっ?何が?バイオレットもしかして誰かいるの?」タリーは部屋中を見回した。だが誰もいるようにはない。

 「いえ、いいの」そうか…エリオットは見えないんだわ。

 「誰かお客さんだったの?お皿がふたつあるけど?」

 「あっ、ううん。お昼に洗ってなかったの。それでさっき夕食を食べたから」バイオレットはそんな噓をつくつもりはなかったが、こんなこと誰も信じないわと思った。



 エリオットの方はおいしい夕食を食べて久しぶりにゆったりした気分になっていた。ソファーでくつろぎ後は紅茶でも頂ければと思っていた。だがせっかくのお楽しみもこれでなくなった。彼は今、天井からふたりを見下ろしていた。


 そこにロザリンドがやって来た。

 「タリー開けてくれないか」

 「どうしたのロザリンド?さっき別れたばかりじゃない」ロザリンドは元気がなかった。

 ロザリンドが入って来るとバイオレットはふたりに夕食を進めた。

 「さあ、とにかく食べて、そうすれば少しは気分が良くなるかもしれないわ」バイオレットにそう言われてふたりはチキンの煮込みを食べた。


 そして食べ終わるとソファーに座ってコーヒーを飲み始めるころには、ロザリンドは少しずつ落ち込んでいる理由を話始めた。

 「実は俺の友達にカルロスって言うやつがいるんだけど、そいつうちの組織で金を借りててもう、すぐにでも金を返さないとやばいんだ。だからあいつ盗みをして大きなブルーダイアモンドの指輪を盗んだんだ。昨日俺はそれを預かって指輪を買い取ってくれる店に行った。だがあまりに高価でその指輪って言うのがいわくつきらしくってそこでは扱えないって言われたんだ…俺は仕方なく店を出るとまた別の店に行ってみた。そこでも同じことを言われて、そうやって何軒かの店を回った。そして気づいたら指輪がなくなってたんだ。すぐに戻って何度も探した。でもどうしても見つからなくて…カルロスはしつこくどうなったかって聞いて来るけど、まさかなくしたなんて言えなくて、でも金を作らないとおいつは殺されるかもしれない。だからもうどうしようかと…」

 「ロドリゲスあなたって優しいから…」タリーは彼の手を取ってさすった。


 

 バイオレットは驚いた。ブルーのダイヤモンド?あれってやっぱりダイアモンドなの?エリオットは何て言ったかしら?あの時ダイアモンドの指輪って言った気が…

 その時ロドリゲスの視線がバイオレットの指に止まった。彼女はまだあの指輪をつけたままだった。

 「バイオレット!その指輪…それをどこで、それって俺の探している指輪だ…」ロドリゲスがバイオレットの手を握って指輪をはずそうとした。その時だったエリオットがロドリゲスの体に入り込んだ。


 「もう大丈夫だバイオレット。僕だ。エリオットだ」今この指輪を渡すわけにはいかない。

 「エリオットなの?良かった。わたしどうしようかと…でもそのカルロスって人はどうすればいいかしら?」良かったわ。もうエリオットに会えないかと思った。

 「心配ない。僕がうまく話をつけるから」



 「ロザリンド大丈夫なの?エリオットって誰なの」タリーは何が何だかわからない。

 「タリー落ち着いて聞いて」バイオレットは今までのいきさつを話した。だがタリーは信じれなかった。

 「いいからロザリンドを元に戻して」

 「タリー安心してくれ。でも今はだめだ。これから彼のボスの所に行ってカルロスの件を片付けて来ようと思う。ロザリンドもこれで安心だろうしカルロスだって助かる。これでどうだろうかタリー?」

 「タリーわたしなら信じれるでしょう?彼を信じてあげて、それにロザリンドのためにこうするのよ」

 「ええ、そうね。彼すごく悩んでたから、そう言うことなら任せるわ」タリーはようやく納得した。



 「バイオレット僕が出かけている間に、僕の肉体がどこにあるか探してほしいんだが」

 「ちょっと待ってエリオット。そんなこと出来るわけないわ。わたしは魔法使いじゃないのよ!」

 「いや、君なら出来るはずだ。僕を指輪に閉じ込めた。君の中にはドロレスと同じ薔薇十字団の血が流れているはずだ。彼女と同じように魔術が使えるはずだ。君が知らないだけだよ」

 「そんな事言ったって…どうすればいいのかもわからないわ」


 「バイオレットわたしたち子供の頃良くしてたじゃない。あの儀式の真似をして…」

 そう言えば、育った養護施設のあった教会は、薔薇十字団のマークがあった。カトリック教会は表向きで本当は薔薇十字団の…

 バイオレットは今頃そんなことに気づいて自分がばかみたいだった。そう言えばクリスマスには、大人たちがミサをすると言っておまじないみたいなことをしていた。燭台に大きな窯、魔法陣が描かれた中でまじないを唱えていた。


 「タリー協力してくれる?わたしはっきりとは覚えてないわ」

 「ええ、わたしも、でもふたりなら何とかなるんじゃない?」

 「そうかも知れないわ」バイオレットは必要なものを集め始めた。


 大きな窯はないから、マグカップでいいかしら?塩がいるわ。それにほうき、これは養護施設を出るときもらったウィロウで出来たほうきだから大丈夫ね。香油はローズマリーのアロマで、それに白い紙。セージがあったから…

 ソファーを端に寄せると床の真ん中を広く開けた。


 ふたりは体を清めるため沐浴をした。

 そして窓を開けて、床の上をほうきで清める。そこに綺麗な布を敷くと、その上にマグカップを置く。マグカップの中には塩を半分ほど入れてキッチンにあったセージを入れる。それを香かわりに火をつけて香りを部屋に立ち込めさせる。

 そしてその周りに塩をまき清める。ローズマリーと白い紙を目の前に置く。


 準備が出来るとバイオレットとタリーは向かい合わせにすわり、呼吸を整え瞑想に入った。

 目を閉じて、集中して呪文を唱えながら両手を合わせて手のひらをこすり合わせる。

 「母なる神よ。父なる神よ。このパワーの前にわたしは心を開きわたしはあなた方に身を捧げます。そしてあなた方のパワーをわが身にお与えください」そう呪文を唱えながらパワーを集めていく。

 そして手の中にエネルギーが満ちていく。そのエネルギーを球体にしながら時計回りに回す。そしてそのパワーを白い紙の上に注ぐ。


 白い紙に文字が現れ始めた。アルバート・マッケナという文字が浮かび上がった。

 ふたりは力尽きその場にうずくまって、しばらく動けなかった。やっと体が自由に動くようになると、アロマを額と胸元につけてまた呪文を唱える。


 「母なる神よ。父なる神よ。あなた方のパワーをお与えいただきありがとうございました。このパワーの前にわたしはあなた方に感謝します」

 そしてまた呼吸を整え瞑想に入りお辞儀をして儀式は終わった。


 ふたりは疲れてしばらくじっとしていた。

 「見てバイオレット、紙に文字があるわ。わたしたちやったわ」タリーが笑った。

 「こんなの信じれないわ。でも確かにアルバート・マッケナって名前があるわ」バイオレットも信じれないって顔をして、そして笑った。


 「さあ、きちんと片付けをしないとね」ふたりはそう言いながらほうきやカップに頭を下げて心からお礼を言った。



 その頃エリオットはロドリゲスのボスであるマフィアのジョセフ・マッケナの家に出向いていた。

 実はエリオットはもともとお金持ちだった。あの東インド会社の貿易で自分もかなりのお金を稼いだ。それを彼は今のように人に乗り移った時にスイス銀行の口座に移していた。彼はカルロスに連絡をして彼の借りた金額を聞いた。カルロスは5万ドルの支払いをせまられていると言った。カルロスには指輪は売れてお金を返すと話した。そしてそのお金を10万ドルほど引き出すと、それをもってふたりを自由にする約束を取り付けた。それを確かなものにするために誓約書も書いてもらった。




 エリオットはすべてを終わらせるとバイオレットのアパートメントに帰って来た。

 「安心しなさいバイオレット。すべてうまくいった。カルロスの金も支払った。ロドリゲスもマフィアとは関係ない。これでまじめに仕事をすればタリーと結婚も出来るだろう」エリオットは言った。

 「エリオット凄いわ。でもお金はどうしたの?」バイオレットは聞いた。

 「僕はもともとお金持ちなんです。お金は持っているから心配いらない」


 「エリオットだったかしら?ありがとう。ロドリゲスは?」タリーが心配そうに聞いた。

 「ああ、タリー心配ない。彼は無事だ。バイオレット指輪をどこかに隠して、それからタリー。彼にはカルロスのお金も払ってマフィアとも縁を切ったって言うんだ」そう言うとエリオットはロドリゲスの体から抜け出た。


 ロドリゲスは少しよろめいた。そして頭を振って息を深く吸った。

 「ロドリゲス大丈夫?」

 「ああ、少し頭が痛いだけだ。えっとどこまで話した?そうだ。指輪だ!バイオレットは?」

 「もう大丈夫よロドリゲス。バイオレットのお友達がすべて話をつけてくれたの。あなたもマフィアと縁が切れたのよ」

 「そんなばかな…」ロドリゲスはカルロスに電話をした。お金を払ってくれてありがとうと言われた。

 今度はマフィアの仲間に電話した。お前もう帰って来るんじゃないぞ。ボスからお前の事はもうほっとくように言われたんだ。

 ロドリゲスは信じれなかった。だが、どうも本当らしい。

 「タリー俺これからはまじめに働く。だから俺と…一緒にいてくれ」

 「もちろんよ。ロドリゲス大好きよ」タリーは熱い口づけをした。



 「バイオレットどうやら僕たちはお邪魔のようだね」エリオットがバイオレットの耳元にささやいた。

 「そうみたいね」バイオレットはベッドルームに入ると、さっきわかった名前をエリオットに言った。

 「タリーとふたりでやってみたの。そしたらこの名前が…アルバート・マッケナって言う名前。エリオット知ってる?」

 「アルバートはジョセフの息子だ。彼はマフィアのドンの息子だ」

 「そんな…どうするつもり?」それにエリオットの体が戻ってもわたしとは関係ないのよ。いくら彼があんなことを言ったからって、それは昔の事で生まれ変わってまた同じ相手と愛し合うなんて無理に決まってるわ。


 「彼の体に入ったらエリオットの時の記憶は消滅してしまうだろう。だから頼むバイオレット。僕に君を思い出させてほしい。そして300年間のこの思いを遂げさせて欲しい」

 「エリオットそんな事言ったって‥あなたが自分の記憶を失えばもう終わりじゃない。だってわたしはあなた達の事を何も知らないもの。どんなに愛し合っていたっていずれは死が訪れるのよ。終わりが来るのよ。エリオット目を覚ましてもう終わりにしなきゃいけないのよ」バイオレットは、この時彼を愛し始めていることに気づいた。こんなのって…彼はもう生きてもいないのに…

 

 その時彼がバイオレットのこめかみに手をそえた。


 その瞬間、ふたりの幸せな姿が飛び込んできた。テラスで一緒にお茶を飲んでいる。楽しそうに話す彼女は本当に幸せそうで…

 そしてあの蒸気船が見えた。そのあとふたりは車で人気のない大きな建物の中に連れていかれた。ナポレオンのような立派な軍服を着た男が、何か言っている。そしてエリオットは銃で撃たれて倒れた。ドロレスは叫んで彼にすがり付いている。指にはめた指輪を男が引き抜こうと彼女を殴った。彼女は何かつぶやきながら必死で抵抗している。そしてドロレスもまた銃で撃たれ倒れた。

 エリオットは息も耐えそうで、それでもドロレスの名前を呼んだ。

 「ドロレス愛してる。僕たちはきっと生まれ変わって結ばれる。それが運命だ。またきっと必ず君と巡り合う」エリオットはそこで息絶えた。

 「エリオット、指輪にあなたの魂を込めるわ。そしてわたしを探し出して、ずっとずっとあなたを待ってるから…」そう言うと呪文を唱えた。そして彼の魂が指輪に吸い込まれていくのが見えた気がした。


 エリオットが手を離すと、一瞬でその景色は消えた。

 「これでもまだ君は信じてくれないのか?僕たちは巡り合う運命なんだ。僕の記憶がなくなってもきっと君を見つける。それが運命だから…」

 「そう、あなたがそこまで言うならいいわよ。付き合うわ。そのアルバートの所に行きましょう」

 「ああ、そうしよう。今日はもう疲れただろう。明日アルバートに会いに行こう。そして僕は彼に生まれ変わる」

 「ええ、そうでしょうね。でも、もしわたしも彼も何も感じなかったらもう知らないわよ」バイオレットは諦めた。彼の言う通りにしよう。そしてこの話は終わりよ。もうばかみたい。生きてもない男に恋するなんて…きっとどうかしてるんだわ。明日になったら何もかも夢だったって目が覚めるかもしれない。


 「ああ、でもそんなことにはならない。これは運命なんだから」エリオットは自信たっぷりに言った。

 「そうかもね。じゅあおやすみエリオット」

 「ああ、おやすみバイオレット。僕は指輪の中に戻るよ」そう声が聞こえるともう何も聞こえなくなった。美しいブルーダイアモンドの指輪だけがバイオレットの指で光り輝いているだけだった。



 翌朝、バイオレットは目覚めるとすぐに指輪をこすった。エリオットが現れて彼女は昨日のことが夢でなかったと改めて思った。

 「おはようエリオット」

 「おはようバイオレット。よく眠れたかい?」

 「ええ、ぐっすり」そんなはずないわよ。あなたの事が気になって何度も指輪をこすってみようかと思っていたのよ。

 「朝食は何かな?」

 「あらすっかり、人間になってない?」

 「ああ、どういうわけか君といると本当に生き返ったような気になるから不思議だよ」

 「ワッフルとか食べる?」

 「それはまた興味深い食べ物だ。是非ご一緒させてくれ」エリオットといるとイギリス紳士と話してるみたいだわ。

 「じゃあちょっと待ってて」バイオレットはキッチンで朝食の支度をしていると、タリーとロドリゲスが起きて来た。



 「バイオレット、彼がアルバートのこと知ってるんだって」タリーは興奮気味に言った。

 「ああ、アルバートの事を知っている。彼はボスの息子だ」ロドリゲスが言った。

 「ボスって?まさか…マフィアのボスって事?嘘でしょ?」バイオレットは知らないふりをした。

 「いや、嘘じゃない。でもアルバートは父親の事をすごく嫌ってて、家を出た。そして今ではボクシングの選手なんだ」

 「まさか…」バイオレットは声を失った。マフィアのボスの子供より悪いんじゃないの?そんな人がエリオットの生まれ変わりなんて、エリオットが知ったら…いいえ、彼はそんな事お構いなしに体に入るわね。



 「タリーワッフルがあるわよ」バイオレットはなんとかいつものようにタリーに声をかけた。

 「ありがとう。でも彼と一緒に食べてから仕事に行くから、じゃあ行ってくる」

 「バイオレット色々ありがとう。その人にお礼が言いたいんだ。今度会わせてくれよ」ロドリゲスが言った。

 「ええ…そのうちにね。じゃあ行ってらっしゃい」

 バイオレットはふたりを見送ると、エリオットを呼んだ。


 「朝食かい?」

 「ああ、そうだったわね。ワッフルが出来たわ。エリオットは紅茶でしょう?」バイオレットはキッチンのカウンターにワッフルを置くとカップに紅茶を注いだ。

 「ああ、よくわかったね。さすが僕の愛しい人だ」エリオットはそのカップを持ち上げるとすぐに紅茶を飲んだ。

 「ああ…生き返るようだ」エリオットが眩しい笑顔でそう言った。

 ああ…くらくらしそう。バイオレットはその笑顔に釘付けになった。彼が好き。好きでたまらない。もう…どうすればいいのよ!

 

 「エリオット、アルバートの事なんだけど…彼、ボクシングの選手らしいわよ。どうするつもり?」何とか彼を思いとどまらせたい一心で言った。

 「関係ない。それにこれからは心を入れ替えるに決まっている。君という宝物を手に入れるんだから…」エリオットは自信満々だ。

 「そんなことどうしてわかるのよ。ねえ、もうやめましょう。今のままでいいじゃない。あなたはここで暮らせばいいじゃない」

 「そんなこと出来るわけがない。僕は体がないんだ。それにもう嫌なんだ。指輪の中にいるのは…どうしてわかってくれないんだ。ドロレス君がそれを望んだんだろう?」エリオットは珍しく興奮していた。

 「わたしはドロレスじゃないわ」バイオレットは悲しかった。わたしは彼に取ってドロレスの代わりでしかない。彼はドロレスを永遠に愛してるんだわ。


 「いいわ。もうわかったから、アルバートに会いに行けばいいんでしょう」

 「わかってくれてありがとうバイオレット。感謝するよ」ふたりは黙って朝食を食べた。

 アルバートは今日の練習試合に出るらしいとわかり、ふたりは試合のあるジムに向かった。



 そこはセントラルパーク近くに会った。

 「行け!アルバート。そうだそこだ!」ジムに入ると大きな声が耳に飛び込んできた。

 真正面にリングがありそこにふたりの男が火花を散らしていた。

 盛り上がった上腕三頭筋。美しい流線型の太腿の大腿四頭筋。腹筋はシックスパットに割れている。そしてアルベルトは…バイオレットにはすぐにアルバートが分かった。彼の顔はエリオットそのものだった。

 アルバートこそギリシャ彫刻がそのまま動いているという感じだ。男らしいシャープな顔立ちをしているが、今は戦いの最中で彼の顔は緊張で強張っている。

 アルバートはエリオットの生まれ変わりだ。そう思った瞬間。

 「もうわかっただろう?バイオレット彼こそ僕の生まれ変わりだ。もう疑いようがない。じゃあ僕は行くよ。後は頼んだ」

 「待って、もう少し後にしたほうがいいんじゃ…」だって今は試合の最中なんだから…

 だが振り返った時もうエリオットの姿はなかった。

 もうどうすればいいのよ。もし…もし…わたしがわからなかったら?知らないから…本当に知らないんだから!バイオレットはそんな事を想いながら、彼の試合を見入った。


 アルバートは、最初は一方的に相手を攻撃していたが、マックス(相手の名前)も強烈なパンチを繰り出し、互角の勝負になった。次第にアルバートはリングのコーナーに追い詰められていく。マックスがパンチを出した時アルバートの体が回った。ああ…もうだめ…バイオレットは目を閉じた。

 だが、アルバートはマックスの後ろに回り込んで、みぞおちに強烈な一撃が決まった。マックスの体が宙を舞い、彼の鼻血がバイオレットの顔や服に飛び散った。マックスはそのまま倒れ込んでそのまま起き上がることはなかった。


 バイオレットはそこに立ち尽くしたままだった。

 彼女の視線の片隅に、黒い物体が近づいてくる。視線は足元に落ちて、それから上へと上がった。並外れた筋肉。そこに流れる汗と赤い血液の筋がいくつも見えた。そして殴られてあざの出来た、いかつい顔。でもその奥からのぞいた瞳からは温かいものが見えた。バイオレットは頭がくらくらした。


 アルバートの瞳がバイオレットをとらえた。

 彼が手を差しだして、きゃしゃな腕をつかんだ。

 「大丈夫か?」

 「ええ…あの…あなたの名前は?」エリオット聞こえたら答えてよ。バイオレットは祈るような気持ちだった。

 「人に名前を尋ねるときは自分から名乗るのが礼儀だと思うが…まあいい。アルバート・マッケナだ。君は?」

 「ええ、そうね…わたしはバイオレット・ハーパー」これってエリオットじゃないの?

 「僕の名前を知らないって事は僕のファンじゃないって事?」

 「ごめんなさい。初めて来たの」

 「バイオレット君ひとりで来たのか?」アルバートは驚いたように聞いた。

 「ええ、知り合いに聞いて…ちょうど近くに来たから…」指輪の精と来たとでも?それともあなたの全世の男性とでも言えばいいのかしら?バイオレットはおかしくなった。にっこり笑うと彼をまじまじと見た。

 それにしてもそっくりだわ。エリオットをたくましくしたって感じ。でもこれってちょっと男臭すぎ?



 「悪いことしたな…」

 「何か?」

 「それ。ほら君の服…」バイオレットは自分の服を見てやっと血が飛び散ったことを理解した。

 「いいのよ。わたしが近くにいたからで、気にしないで」

 「今日はもう上がりなんだ。ちょっと待っててくれないか。お詫びに君の服を買いに行こう」

 「いいのよ。どうせ安物だから、気にしなくても」でもエリオットと約束したじゃない。運命の人だって気づかせてくれって…わたしとこの人が?

 無理。無理。無理に決まってる。


 「用でもあるのか?」

 「いえ、特には…」ああ、もう用があるって言えばいいのに!

 「じゃあ、待ってて」アルバートはそう言うと、近くにいたジムの男の子にわたしに飲み物でも出すように言った。

 彼は言われた通りわたしを椅子に座るように言うと、奥に入ってコーラをもって来た。

 「アルバートってもてるんでしょう?」その男の子に聞いてみた。

 「そりゃあの体にあの顔ですから…でも彼って意外と硬いんですよ。それに群がってくる子なんか相手にしません。ミーハーな女の子ばかりですから、彼そんなの嫌いなんですよ」男の子は笑いながらそう言って奥に引っ込んだ。

 そう言えばマフィアのお父さんを嫌っているって言ってたわね。

 意外といい人なのかもね。バイオレットは少し安心した。



 アルバートはシャワーを浴びたらしく髪がぬれていた。彼は黒いTシャツとは着古したジーンズで出てくると、わたしの腕を軽々と取って立ち上がらせた。

 「お待たせバイオレット。行こうか」

 「あの…わたし困るんです」

 「何が困る?」

 「服を弁償してもらうなんて困るわ」

 「でも、それじゃあ食事にも行けないだろう?いいから僕に任せて」

 アルバートはジムを出るとすぐ近くの古着屋に行った。

 「僕はいつもこの店で服を買うんだ。ここなら君も気を使わなくていいんじゃない?」

 「ええ、じゃあ自分で買うから」

 アルバートが笑い出した。

 「バイオレット君はおかしな子だな。普通は喜んで買ってもらうのに」

 「ええ、おあいにく様、わたしはおかしいんです」いいから放っといてよ!バイオレットは綺麗なブルーのTシャツを買った。店で着替えると汚れた服をバッグに詰め込んだ。



 「お詫びに食事くらいはおごらせてくれるんだろう?」

 「ええ、ハンバーガーくらいなら」

 「参ったな…俺は腹が減ってるんだ。ハンバーガーくらいじゃ足りないんだ」アルバートはうなるように言うと彼の車に乗るように助手席のドアを開けた。彼の車は真っ赤なポルシェ911…

 なんて車なの。これじゃあ腰が悪くなりそう…バイオレットはそんな事を思いながら車に乗った。

 「何か言いたそうだな。バイオレット」

 「いえ、何でもない…この車って道路に張り付いてるみたいね」ああ…もうわたしったら余計なことを…

 「だからいいんだ。スピードが出せる。ほら」アルバートがいきなりスピードを上げた。

 「わかったから…あなたの言う通りよ」バイオレットがそう言った時、反対側の車線から車が突っ込んできた。車はあっという間に弾き飛ばされた。

 バイオレットの意識はそこで遠のいていった。




 次にバイオレットが気づいたのは、病院だった。

 「バイオレットしっかりしろ!」誰かの声が聞こえる。


 お前のせいだ。クッソ!アルバートどうしてあんなスピードを出したんだ。お前なんか彼女を愛する資格はない!もういい。僕がバイオレットを守る。

 「エリオット?」バイオレットはやっと目を開けた。

 「ああ、気が付いたのかバイオレット。良かった」

 「えっ?アルバートなの?」


 「いや、僕だ。エリオットだ。君は事故に遭って、でも心配ない。ほんの数か所の骨折で頭には異常はないから」

 「エリオット?待ってアルバートはどうしたの?だって言ったじゃない。彼の体に入ったら記憶は消滅するって、エリオットがいるなんておかしいじゃない」痛い…一体何があったの?アルバートはどこにいったの?


 「アルバートはいわゆる僕だ。もちろん今生きているのはアルバートで僕はもう死んだ人間だ。だけど魂は輪廻でまた次の体に宿る。普通は全世の記憶は消えて新しい人間として生きていく。だが時には例外もある。魂の記憶が残って次の体に宿って新しい人生を生きていくって事だ。僕はエリオットでもありアルバートでもあるって事なんだ」

 

 「じゃあ、エリオットあなた彼の中にいるって事?」

 「ああ、そうだよ。考えてみれば最初からそうすればよかった。そうすれば君をこんな目に合わせたりしなかったのに…」

 「でもいいの。そのおかげでまたわたしの前に現れてくれたんでしょう?」

 「ああ、バイオレット君をどうしようもなく愛してる。もう君なしじゃ生きていけない。君を助けるためなら僕はどんなことだってするよ」

 「でも、あなたが愛してるのはドロレスなんでしょう?」


 「違う!ドロレスはこんな女性じゃなかった。僕はバイオレット君を愛してしまった。生まれ変わりでもなんでもいいんだ。バイオレット君自身を愛してる」

 「ああ…エリオットわたしもあなたを愛してる。愛してるの」

 エリオットがバイオレットをそっと抱きしめた。彼女は彼の腕に背中に手を這わせた。肉体がある。彼の温もりが手のひらに伝わって来た。

 「もっとよく顔を見せて…」バイオレットはエリオットの顔に手を伸ばした。


 エリオットの顔がバイオレットに近づいてくる。彼の瞳ってグレーなのね。彼の唇から漏れる息がかかると、次の瞬間彼の唇が重なった。優しいキスから、だんだんキスは深くなり、彼の舌がそっと入って来た。互いの感触を確かめ合い、互いの味を求めた。


 「どんなに君が欲しいか。この体に抱き寄せてすべてを奪いたい。でも今は我慢するしかなさそうだ」

 「ええ、そうみたい。脚が痛くて仕方がないわ。それにいつまで入院するのかしら?」

 「しばらくかかるだろうな…まあ300年も待ったんだ。あと数ヶ月くらい我慢できる」

 「エリオットあなたはそうでも、わたしには耐えれないかも…」

 「そんな事言うな。バイオレット…僕がずっとそばにいるから」

 「ええ、もう二度と離れないで」

 「約束する。じゃあ先に結婚しよう。もちろん依存はないだろう?」

 「ええ、もちろんよ。でもあなたの事なんて呼べばいいかしら?エリオット?それともアルバート?」

 「バイオレット君はどっちがいいんだ?」

 「そうね…エリオットの方がいいかも…」

 「じゃあ改名しよう。アルバートからエリオットに。他には?」

 「ボクシングはどうするの?あんなに殴られるなんて見てられない」

 「ボクシングはやめる。言っただろう、僕はお金はあるんだ。何も心配ない」

 「エリオットあなたって完璧だわ」

 「ああ、さすがに僕も300年も生きていると少しは賢くなったんだ」


 ふたりは病院で式を挙げた。付添人はタリーとロドリゲスがしてくれた。もちろんあのブルーダイアモンドはバイオレットの指にはめられた。

 エリオットがバイオレットにもたらしたのは愛と幸せだけだった。

 そしてふたりは末永く幸せに暮らした。


                               ーENDー

 

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運命のダイヤモンド  はなまる @harukuukinako

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