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 一旦落ち着いたとはいえ、自殺未遂をした七瀬を一人にするわけにはいかなかったので、速水と槇原は七瀬を連れて近隣署である杉並警察署まで戻ることになった。

 念のため家族に保護してもらう必要があるため、彼女の親に連絡したらすぐ駆けつけるとのことだった。神奈川から来るようなので、到着までまだ時間はある。それまでに須賀殺害に関する聴取を進めることにした。

「すみません。こんな仰々しい聴取になってしまって」

 聴取の最初に、速水は対面に座る七瀬に謝罪した。警察署内ということで、聴取する場所というとどうしても取調室になってしまう。速水の斜め後ろの席には、記録係として強面の槇原がプレッシャーをかける形になっている。

 だが、七瀬はむしろこの状況を楽しんでいるようで、きょろきょろと取調室の中を眺め回していた。

「そんなの気にしないでよ。これはこれで、なんか貴重な体験だし」

「そう言ってもらえると助かります」

 速水は頭を下げてから、聴取を始める。

「まずは、須賀和馬さんと関係について、最初からお話いただけますか?」

「うん。和馬と会ったのは五年前で、よくある売れない芸能人同士の飲み会の席だったの。彼、あの顔にあのスタイルだからとんでもなくモテて、私も彼に夢中になった一人だったってわけ。この人と結婚すれば、蓑田さんから解放されるかも、みたいな希望もあったしね。そのまま一年ぐらい付き合いがあったんだけど、段々彼が何股もしてて、女の子からお金を借りまくってることに気づいたの。その時には私も彼に五十万円くらいお金を貸してたんだけど、返ってくる見込みもないし、彼にお金を貢ぎ続ける余裕もなかったから、すっぱり切ることにしたの」

「その時、須賀は特に何も言ってこなかったんですか?」

「あいつは他にも何人も女の子を囲ってたから、いちいち一人に執着したりしなかったみたい。その気になれば、女なんていくらでも落とせると思ってた節があったし」

 そのあたりの人物像は他の二人の証言とも一致する。速水は更に踏み込んだ質問を投げかける。

「先日、須賀さんから連絡が来ていたようですが……」

「蓑田さんとのことをリークするぞ、ってやつね。あの時は私、掴みかけた結婚が台無しになることと、スキャンダルで仕事が干されるかもってことで頭がぐちゃぐちゃになっちゃって、自暴自棄になってたのよね。刑事さんにも迷惑かけちゃったし」

「いえ。元はと言えば、我々のせいで結婚が破談になったようなものですし」

「いいのいいの。今は全然気にしてないし。むしろあんなやつと結婚しなくてよかったわ。さっきマンションに来た時も、自殺寸前までやつれた私を見ても『生理?』とか『メイクくらいちゃんとしなよ』とか言ってくる始末だし。私のことなんか心配する気ゼロって感じ。ホント最悪」

 七瀬がすっきりした様子で笑顔を見せるのに、速水は安堵した。彼女の顔から、死の影はすっかりなくなっている。

「そんなわけで、私は和馬のメッセージを見た途端、どうでもよくなって自殺を考えてたわけで……和馬を殺そうって気力は全然湧いてこなかったな。だいたい、付き合いがあったのも四年前までだから、あいつの今の住所も知らないし、殺そうと思っても殺しようがないって感じ」

「七瀬さんと須賀さんの関係を知っていた人物はいますか?」

「たぶんいないと思うけど……私たちタレントって、いつもスキャンダルを意識してるから、彼氏ができてもあんまりタレント仲間とかに言わないんだよね。教えた子たちが雑誌にリークしちゃう可能性だってあるし、マネージャーに言ったら絶対反対されてめんどくさいだけだし。少なくとも自分から誰かに話したことはないかな」

「須賀さんを恨んでいるような人物に心当たりは?」

「あいつのやってたことを考えたら、恨みを買ってることくらいは想像つくけど……具体的に誰がってのはわかんないな。あいつ、本当に数え切れないくらいの女の子を相手にしてたから」

「蓑田さんと須賀さんを繋ぐ接点などはご存じないですか?」

「それもないなぁ。あの二人、同じ芸能界にいても別世界の人間って感じで、お互いの領域に興味もなさそうだったし。私も、蓑田さんにバレなさそうだから役者と付き合おうとした、っていうのもあるしね」

「念のため確認なのですが、今日の二時から三時の間、どこで何をされてましたか?」

「その時間帯は家にいたかな。将来の不安で全然寝られなかったから、布団に入ってぼーっとしてただけだけど」

 大体聞くべきことは聞いたはずだ。そう思っていると、背後から槇原が追加の質問を投げてきた。

「七瀬さん。あなた、高樋という男をご存知ありませんか?」

「高樋、ですか? いや、聞いたことないですね」

「では、中肉中背の雑誌記者かストーカーに心当たりはありませんか? こういった特徴の顔なんですが」

 槇原が高樋の顔の特徴を告げるが、七瀬は首を傾げていた。

「ごめんなさい。全然ぴんとこないです。たぶん知らない人だと思いますね」

「そうですか」

 槇原が残念そうに応じると同時に、取調室のドアがノックされた。ドアが開くと、杉並警察署の署員が入ってきた。

「七瀬さんの親御さんがお着きです」

「ありがとう」

 礼を言って署員を見送ると、速水は椅子から腰を上げた。

「聴取は以上になります。もしかしたらまた質問することが出てくるかもしれないので、お手数ですがその際はまたご協力ください。それから……くれぐれもご自愛ください」

「うん。ありがとうね、刑事さん」

 晴れやかな笑顔でうなずいてから、七瀬は取調室を出ていった。

 取調室のドアの影から廊下を見ると、ちょうど七瀬が母親と対面して抱き締められているところだった。七瀬はどこか照れくさそうに笑って、母親の小さい背中にそっと腕を回していた。

 あの様子なら、もう七瀬は自殺を考えたりはしないだろう。少し雑音から離れて、自分の今後の人生と向き合ってくれたら嬉しい。

 七瀬親子の背中を見送ってから、速水と槙原は車に戻ってきた。

 蓑田と須賀を繋ぐ三人の参考人の聴取を終えたが、結局犯人を断定できる材料は何も見つからなかった。光石は嫌疑が濃いが、状況証拠だけで物証は何もない。秋森は蓑田と須賀の双方の殺害にアリバイがある。七瀬は蓑田殺害時にアリバイがあり、須賀殺害時にはアリバイがない。三者三様ではあったが、いずれも犯人と断定するには情報が足りていない。ここから更に捜査を進展させるには、発想か視点の変更が必要だった。

「それにしても、須賀は現代のドン・ファンみたいな男ですね」

「ドン・ファンか。なら、犯人はさしづめ〈騎士長〉ってところか」

「〈騎士長〉?」

「ドン・ファンは知ってるのに、ドン・ファンの元ネタは知らないのか。〈騎士長〉ってのは、ドン・ファンがたぶらかした女の父親で、物語の最後にドン・ファンを地獄に叩き落とす男さ」

「父親……もしかして、槙原さんはあの三人の関係者を疑っているんですか?」

「光石、秋森、七瀬はタレントだけあって、全員美人でファンもいるんだろう? そいつらの中で蓑田と須賀の件を知ってるやつがいたとしたら、怒りのあまり殺害を考えてもおかしくはない」

「だとしたら、怪しいのは――」

 速水が言い終える前に、槇原の携帯電話が鳴った。彼はすぐに電話に出ると、電話の相手と話し始める。

「はい、槇原です。……。なんですって? ……。了解です。今すぐ本部に戻ります。……。失礼します」

「何の電話だったんですか?」

「……蓑田茂の殺害現場で、俺たちに話しかけてきた記者を覚えてるか?」

「はい。確か、長濱とかいう男ですよね。彼がどうかしたんですか?」

 速水の疑問に、槇原は静かな緊張感を秘めた声で言った。

「そいつが警視庁本部に出頭してきた。やつが言うには『都内の連続撲殺事件の次の標的は自分だ』そうだ」

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