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次に向かったのは、秋森しずくの自宅だった。
秋森しずくは蓑田殺害時刻にマネージャーと同席しており、その証言の裏付けも取れていた。完全にアリバイがある状態な上、利き手も左腕で犯人像と異なっている。殺害犯である可能性は低いため家宅捜索はできないが、重要参考人であることは間違いないため、彼女から引き出す情報も非常に重要になる。
街の景色が展望できるタワーマンションのリビングに通され、テーブルを挟んで向かい合う。
聴取を主導する槇原の横で、速水は秋森の様子を観察する。以前と比べて、秋森の化粧は少し濃いように見える。蓑田、須賀と立て続けに知人が亡くなってショックを受け、顔色が悪いのかもしれない。シンプルな長袖のシャツとスラックス姿だったが、元の容姿がいいため妙に決まって見える。槇原を見据える瞳には、不安や怒りより挑むような鋭さが宿っていた。先日とは違い、彼女の友人の峰村は同席しておらず、前回と比べるといくらかスムーズに聴取が進められそうだ。
秋森の視線を真っ向から受け止め、槇原は聴取を開始した。
「度々おうかがいして申し訳ございません。須賀和馬さんが殺害された事件は、もうご存知ですか?」
「はい。蓑田さん殺害と同じ犯人ではないかと報道されてますね」
「その可能性が高いと見てますが、予断を排して捜査を進めております」
「そうですか。それで、両方と接点がある私のところに聴取に来られたというわけですね」
「疑われているようでご不快なのはわかりますが、犯人確保のためご協力をお願いいたします」
秋森は特に気分を害した風もなくうなずいた。
「殺人犯が街をうろついてるなんて嫌ですから、協力はさせていただきます。まずは、私と和馬との付き合いの始まりから話すのがいいでしょうか?」
「お願いします」
「和馬と出会ったのは、四年前の飲み会の席でした。芸能界って人間関係が大事なので、飲み会って言ってもほとんど営業活動みたいなもので、ほとんど仕事みたいなものなんです。テレビ局のスタッフさんや先輩タレントに名前を覚えてもらったり、同期や後輩との繋がりを作ったりして、仕事への糸口をなんとか掴む。若手の頃はみんな、そうやってなんとか自分の名前を売っているんです。和馬と出会ったのは、そういう飲み会の席のひとつでした。私は女優業にも興味があったので、役者同士の繋がりを持つために役者の飲み会に参加したんです。そこで出会ったのが和馬でした」
そこまでしゃべってから、秋森は過去を懐かしむように目を細めた。
「陳腐な言い方になりますが、和馬と初めて出会った女の子は、みんな彼に対して同じ印象を抱くんです。『イケメンで、背が高くて、お金もある。まるで王子様みたいだ』って。今となっては夢見がちでくだらない妄想だとわかりますが、あのくらいの年頃には、自分の妄想が真実かのように錯覚してしまうものです。私もそんな一人で、彼と出会ったあとすっかり舞い上がってしまって、一ヶ月と経たずに彼と肉体関係を持つようになりました。それから数ヶ月の内に、彼からお金を無心されるようになって……彼に他の女がいて、お金目当てで漁色を繰り返していると気づいた時には、彼に貸したお金は二百万円にまで達していました」
「二百万ですか。当時の収入から考えると、かなり大きな額だったのでは?」
「そうですね。あの頃は本当に大変でした。当時は蓑田さんとの関係もあって、和馬を心の拠り所にしていた部分もあったので、彼の裏切りを知った時は本当に絶望的な思いでした。結局和馬とは二年ほど付き合いがありましたが、彼が借金を返す気がないとわかると、私は彼と借金が返ってくることへの未練を断ち切って、仕事に打ち込むようになりました。そのおかげで仕事も軌道に乗り出して、二百万円くらい惜しくもなんともなくなりましたが」
秋森は苦笑して、自分の栄華を示すように両手を広げた。確かに、こんな広いタワーマンションに住めるくらいになったのなら、二百万円くらい惜しくはないのかもしれない。
だが槇原は用心深く相手の本心を探り続ける。
「そのことがきっかけで、須賀さんに恨みを抱くようなことはなかったんですか?」
「当時はそういう気持ちがなかったわけじゃないですが、今にしてみると、あの時に痛手を負っておいてよかったと思いますよ。下手すればもっとひどい男に捕まっていた可能性もありましたし、あの失敗を経験したおかげで、仕事に百パーセント集中できましたから」
「秋森さんの中では、須賀さんはそれほどひどい男ではなかったという印象なんですね。女性をたぶらかしてスキャンダルを握り、後々になってそれをネタに恐喝するような男ですよ?」
「もちろん、タチの悪い男であることは否定しませんよ。でも、下には下がいるということです。それこそ、反社や前科がある人なんかと付き合っていたら、もっとひどい目にあっていたでしょうから」
「達観していますね。蓑田さんとのことをリークすると言われた時、腹は立たなかったと?」
「ああいう男ですから、いつかこうなることはわかっていました。知らない間に膨れ上がった負債を取り立てにこられた、というだけのことです。蓑田さんの時も言いましたが、今ならスキャンダルで仕事が減っても深手にはならないので、むしろスキャンダルが出るタイミングとしては都合がよかったかもしれません」
秋森の顔には確かな自信が滲んでいて、速水には彼女の言葉に嘘があるようには思えなかった。
槇原は一挙手一投足も見逃さないという眼光で秋森を見据え、質問を続ける。
「蓑田茂と須賀和馬に接点はありましたか?」
「いえ。畑がまったく違いますから、面識もなかったと思います」
「須賀和馬に恨みを抱いている人物に心当たりはありますか?」
「さあ。具体的な名前はわかりませんが、彼が私にしたようなことを繰り返していたとすれば、大勢の人に恨まれたでしょうね。でも、彼と付き合う子はみんな芸能人になりたての子だったので、彼氏がいることがファンにバレると困りますから、恨んでいてもそれを表に出すようなことはしなかったでしょうね」
「あなたと須賀さんとの関係をご存知の方は?」
「良子……って覚えてますか? この間の聴取に同席していた、私の友人の峰村良子です。彼女には話したかもしれません」
「かもしれません、というのは?」
「男のことを愚痴る時なんて、たいていお酒が入っていますから。どこまで詳しく話したかなんて正確に覚えていないんです」
「これは形式的な質問ですが、今日の二時から三時の間、どこでなにをされてましたか?」
「近所のバーで一人で飲んでました。『レノックス』っていう名前のバーで、マスターとも雑談をしていたので、もしかしたら覚えててくれてるかもしれません」
「ありがとうございます」
槇原は聴取を終え、こちらに視線を寄越してきた。補足することがあるか確認している目だ。速水は少しだけ考えてから、質問を口にした。
「あの、峰村さんから高樋というストーカーの話をうかがったのですが」
「……良子のやつ、そんなことまで話してたんですね」
今日はじめて、秋森は動揺したように目を泳がせた。だがすぐにこちらに視線を戻すと、淀みなく答える。
「高樋光男は、高校時代に付き合っていた男です。高校生の内に別れて、その後音沙汰もなかったんですが……私が芸能活動を始めたと知ると、私の周りをうろつき始めたんです。別に何をするわけでもなく、普通にファンとしてイベントに来たり、時折自宅や事務所周辺で見かけるというだけで、警察に立件してもらえるほどのことをしてきたわけでもありません。ただ……なんだか気味が悪くて、時々不安になって良子に愚痴ってしまうことがあっただけです」
「彼と別れた経緯をおうかがいしても?」
「別に、なんてことない話ですよ。私と高樋は小中高って同じ学校で、割りとよく話すほうだったんです。当時はストーカーなんてするような人じゃなくて、気弱で優しい感じの普通の人でした。彼から告白されて付き合うようになったんですけど 付き合い始めても彼はどこか卑屈な感じで……そんな彼がだんだん魅力的に見えなくなって、一ヶ月も経たない内に別れました。思えば、彼とは恋人らしいことは何ひとつしないままでしたね」
つまり、性交は愚かキスさえもしなかったのだろう。そういった未練が高じてストーカー化するケースは聞いた事がある。
「高樋が今回の殺人事件に絡んでる可能性はあると思いますか?」
「どうでしょう……彼がどこまで私を付け回してたかはわかりませんが、もし彼が私に一方的な愛情を抱いていて、私が蓑田さんや和馬に利用されていたと知ったら、彼らを殺してしまってもおかしくはないかもしれません」
「念のため、彼の人相をうかがってもいいでしょうか?」
「構いませんが……あまり特徴がない顔立ちなので、口で伝えるのは難しいかもしれません。体つきは中肉中背で、顔つきがしゃきっとしないっていうか、中身が大人になり切れないまま大人になっちゃった人みたいな感じで……」
秋森の供述を元に、高樋の人相を簡単にまとめる。横で聞いていた槇原が目を見開くのが見えたが、速水は供述の記録に集中することにした。
捜査協力に対する感謝を述べ、タワーマンションを出る。車に戻るなり、我慢しきれなかったように槇原が疑問を口にする。
「おい。これはどういうことだ? 光石が供述した雑誌記者と、秋森が供述したストーカー、特徴が完全に一致してるぞ。お前、このことに勘付いてて高樋のことを聞いたのか?」
「いえ、正直予想外でした」
速水自身、あまりの衝撃で頭が混乱してしまっている。だが、速水が混乱している内に、槇原は事実を論理的に再構築しようと試みる。
「まさか、秋森の元カレがゴシップ記者になってた、ってだけの話なのか? 秋森につきまとっていたのも、ストーカー目的ではなくゴシップをスクープするためだった。そう考えると、ストーカー行為がエスカレートしなかったのもうなずける」
「理屈は通りますね」
だが、なんとなく釈然としない。こちらの考えを読んだらしく、槇原は眉毛を持ち上げた。
「なんか気になることでもあるのか?」
「いえ……高樋がただのゴシップ記者だとすると、なんで彼は秋森のファンとしてイベントに参加していたんでしょう? メディアの取材なら、ファンのフリをしなくても会場に入れるのでは?」
「どうだろうな。事務所のタレントのイベントに、ゴシップ記者を喜んで迎えるとも思えんが……確かに、光石はイベントに例の記者が来ていたとは言ってなかったな」
その事実に何か意味があるのだろうか。
釈然としないものが胸にわだかまるのを感じながら、速水はハンドルを握りしめた。
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