第四話「ハノイ」

 暗闇の中、一行はカンテラの明かりを頼りに、石造りの一本道を歩き続けていた。

 天井は高過ぎるでもなく、低過ぎるでもなく。道幅も三人が余裕で横並びになれるほどの余裕はあったのだが、光源がただ一つ、アルドの持つカンテラということもあり、アルド、アデル、アリッサという順番で、一列になって歩くようになっていた。

 その道すがら、アルドは前方に注意を払いながら、後方の二人に声をかけていたのだが、アデルは黙り込んでいたので、自然、アリッサと言葉を交わすことになった。


「鞄のダンジョンねぇ。入ってすぐに宝箱を見つけて、こいつは幸先がいいと思っていたら、あんた達が出てくるんだから、驚いたぜ」


「宝箱とゲートは、形状や性質は異なりますが、本質的には同じものですからね!」


「へぇ……なんか小難しいこと知ってるなぁ。さすが、鑑定師!」


「いやいや、まだ見習いですから!」


 そうは言いながらも、まんざらでもなさそうだなと、アデルは思う。

 ──冒険者に鑑定師。ダンジョンには慣れているのだろうが、このような状況で雑談ができる二人のことを、アデルは理解しがたいと感じていた。


「それにしても、もっと明るくならないもんかな。これじゃ、いざ敵が出てきた時、戦いづらくってしょうがないぜ」


「敵?」


 アデルの問いに、「ダンジョンにはつきものだろ?」とアルドは応じる。


「このまま何も出てこないってんじゃ、つまらねぇしな」


「……理解できない」


「本当、この暗さは厄介ですね……ディーちゃん、明かりをつけて!」


 アリッサがおねだりすると、ダンジョンはパッと明るくなった。


「……嘘」


 目を細めながら、アリッサは周囲を窺う。通路の石畳、石壁、天井に至るまで、まるでヒカリゴケをまぶしたかのように、それ自体が発光し、闇を払っていた。

 この劇的な変化をもたらした張本人は、高らかにVサイン。


「良かったぁ! 構造的に新しそうだったんで、汎用的な制御ワードが効くかなーと思って試してみたんですよ! ああ、あれと同じです! アデルさんの開け──」


「それはいいから!」


「鑑定師すげぇ! もう、こいつもいらねぇな!」

 

 アルドはカンテラの明かりを消し、ベルトのフックにぶら下げる。

 見晴らしがよくなっても、一本道であることに変わりはなく、それはどこまでも続いていた。一方で、その先に待ち受けている存在もまた、明らかとなった。


「おっと、ようやくお出ましか!」


 アルドは雑嚢を捨て置き、腰の剣を鞘から抜き放つと、正眼に構える。

 現れたのは二匹。狼のような姿をした、四つ足の魔獣。全身の毛は逆立ち、歯を剥き出しにした口からは、涎が滴り落ちていた。グルルルゥ……低い唸り声。

 むっと立ちこめる悪臭……アデルは堪らず、取り出したハンカチを口元に当てた。

 

「あーっ!」


 アリッサが唐突に大声を上げる。


「ど、どうしよう、丸腰できちゃった……!」


「あなた、戦えるの?」


 狼狽するアリッサだったが、アデルの問いには元気に応じる。


「戦闘は、鑑定師の嗜みですから! でも、素手じゃ──」


「なーに、こいつらぐらい、俺一人で十分さ! 下がって見てな!」


 ──魔獣の一匹が、アルドに向かって飛びかかった。

 アルドは足を踏み出し、落ち着いて剣を振るい、魔獣を一刀両断。

 真っ二つになった魔獣の胴から血がドバドバと溢れ、赤黒い臓物がビチャッと転び出る。悪臭が一気に強まり、アルドは「うっ」と顔をしかめる。返り血の臭いも、酷いものだった。

 残る一匹は、アルドではなく、倒れた骸の腹に口先を突っ込み、貪り食い始める。


「うえっ……お前、ちょっと空気を読めよな!」

 

 アルドは駆け出し、剣を振り下ろす。

 頭を失った胴体は、しばらくビクビクと暴れていたが、やがて、動かなくなった。

 あとは物言わぬ遺骸が二つ、その場に残された。

 

「なんだよ、こいつら、倒しても消えやがらねぇ……剣も血と油でべっとりだぜ」

 

 アルドは雑嚢を拾い上げ、布きれを取り出すと、丹念に剣の刃を拭った。


「……生き物を殺したらこうなるのは、当たり前でしょう?」


 アデルは込み上げる吐き気を堪えつつ、言葉を漏らす。


「いや、いつもはこうじゃないんだよ……なぁ、アリッサ?」


「……ですね。ダンジョンの敵、モンスターは、クリエイターの設定によって、倒した後にどうするかも設定できますから。倒した後に死体が残るのはリアルですし、素材として利用できるという利点はありますが、ある程度は省略、デフォルメされることが常ですし、構造上、換気が難しいダンジョンで採用しているというのは、極めて珍しいと思います」


「だよなぁ。この先、ずっとこんな感じだったら嫌だけど……」


「残念ながら、同じだと思いますよ。恐らく、ハノイのダンジョンですから」


「はのい?」


 アルドが聞き返すと、アリッサは神妙に頷いた。


「ハノイ・ローランド。ダンジョンクリエイターです。リアル派といわれる作り手で、ダンジョンよりもモンスターのリアルさで名を残したクリエイターになります。一部ではカルト的な人気があるんですよ。このダンジョンは造りもシンプルですし、恐らくはハノイの練習用、あるいは初期の作品……そうしたものだと思います」


「へぇ、鑑定師ってのは、そんなこともわかるんだなぁ」


「あくまで推測ですけどね。お師匠様なら、年代まで含めて、ビシッと言い当ててくれるんですけど……私は、まだまだです」


「いいから、先を急ぎましょう。いつまでも、こんなところにいられないわ」


 歩き出すアデル。極力、死骸は見ないように、壁際を歩く。赤黒い血溜まりは、飛び越えて避けた。……アデルは思う。私は確かに、ダンジョンが嫌いになった、と。


 ──それからも、ダンジョンは単調な造りだった。

 基本は一本道で、時折、モンスターが行く手を阻む。

 その都度、アルドが剣を振るい、その都度、死体はその場に残るのだった。

 現れるモンスターは、このダンジョンの定番なのか、四つ足の狼のような魔獣から、牛の頭に屈強な人の体を持つミノタウロス、堅い鱗のトカゲ人間リザードマンなど多岐にわたったが、いずれも、死してその身を残すことに違いはなかった。

 そんな中、唯一の救いだったのは、アルドの雑嚢に消臭剤が忍ばせてあったこと。そして、必然的にそれを散布して回るのは、アデルの役目となった。

 シュッシュ、シュッシュと、「それ、高いんだぞ!」というアルドの言葉に耳を貸すことなく、散布しまくる。シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ。

 やがて、アデルの指が疲れ果てた頃、「ラッキー!」と、アルドが声を上げた。

 珍しく横道があり、ちょっと見てくると先行したアルド。引き返してきたアルドの手招きに応じてアリッサが駆け出し、アデルも死骸よりはマシだろうと、後に続く。

 そこで一行を待っていたのは、小さな木製の宝箱だった。 


「本日二つ目か。ハノイってのは、気前がいいじゃないか!」


 意気揚々と宝箱に手を伸ばすアルドに、「待って」とアデルが声をかける。


「なんで止めるんだよ、アリス!」


「……アリスじゃない」


「あ、ごめん、いや、本当に似てるからさ……」


「不用意に開けていいの?」


「宝箱があったらさ、開けるだろ、普通?」


「私達が出てきたみたいに、何か出てくるとは思わないの?」


「あ……そうか、何かやべぇのが出てる可能性もあるのか。アリッサ、どう思う?」


 すっかりアリッサを頼りにしているアルドを見て、アデルは無理もないなと思う。見習いとはいえ、そのダンジョンに対する知識は、アデルも認めるところであった。

 ただ……理由はわからないものの、何だか、癪に障るアデルであった。

 そういえば、こうして誰かと行動を共にするのは──護衛や、執事を除いて──いつ振りのことだろう。いや、そんな機会、これまで一度もなかった気もする。

 ……だからといって、どうということでもないんだけどね。

 

「そうですね、ちょっと見てみましょうか!」


 アリッサは腰を屈め、宝箱を両手で触り始めた。旅行鞄を、そうしたように。

 アデルはアリッサと握手を交わした時の感触を思い返す。黒い革手袋。

 あの手には、特別な力が秘められているのだろうか? それは鑑定師に必要な力なのだろうか。あるいは──


「多分、大丈夫だと思います。気配はしますが、ゲートではなさそうです」


 アデルの思考は、アリッサの手が宝箱から離れたことで中断された。


「……わかるの?」


 アデルの問いに、「何となくですけどね」と、立ち上がりながらアリッサ。


「おし、じゃあ開けちまおう! 鍵がかかっていない宝箱って、最高だよな!」


 パカッ……宝箱は大口を開ける。中には革袋。アルドは紐をくるくると解き、逆さにして、中身を手の平へ。数枚の銀貨。いわゆる一つの、小銭というものだった。


「……夕飯代ぐらいにはなるかな。ま、何もないよりはマシってね」


「どうして、お金が出てくるのかしら?」


 アルドがぎょっとした表情をしたので、アデルは眉をひそめる。


「……何? 私、そんな変なこと言った?」


「いや、考えたこともなかったからさ。でも、何か問題があるのか?」


 アルドは銀貨を親指で弾き上げ、落下するそれをパッと握ってみせる。


「その銀貨、貸して」


「えー……」


「ちゃんと返すわよ」

 

 アデルはアルドの手から銀貨を奪い取ると、それをじっくりと眺めた。

 彫り込まれた女神の横顔といい、発行年数の刻印といい、紛れもなかった。


「……やっぱり、本物ね」


 アデルは銀貨を放り投げる。アルドはそれを片手で受け取り、首を傾げる。


「当たり前だろ。偽金だったら、泣くぞ」


「だから、どうしてダンジョンで正規に流通してるお金が手に入るのかってこと」


「それはあれだ、ダンジョンクリエイターが入れたんだろ?」


「だとしたら、金持ちの道楽もいいところね。ただ、説明がつかないこともある」


「……なんだよ?」


「ダンジョンの宝箱は、一定の期間が過ぎると、中身が補充されるんでしょ?」


「ああ、そういうのもあるらしいな。だから、ダンジョンを私物化して、一儲けしようっていう奴もいるらしいけど……何だ、アデルも詳しいじゃないか」


「……当事者だからね」


「何?」


「こっちの話。……あなたなら、この理由もわかるんじゃない?」


 アデルは挑むように、アリッサに話を向けた。


「そうですね……クリエイター自らが、お金、その他の報酬を用意することもあります。スポンサー付きのクリエイターは裕福ですから。近年の、競技用ダンジョンなどはそうしたものも多いですが、ハノイの時代のダンジョンだと、他の方法が主流になりますね」


「どういう方法なの?」


「それは、宝箱のみの問題ではなくて、ダンジョン全体のありよう、設計、難易度も影響するものなので、一概には言えないのですが、お師匠様の言葉をお借りすると、帳尻合わせって感じです!」


「……よくわからない」


「ですよね! 私もちゃんと理解できている訳ではないのですが、たとえば、誰もがお金を落としたり、なくしちゃったりすることってあるじゃないですか? 他にも、本棚の裏に隠していたへそくりとか、大人になったら渡すからと親に没収されたお年玉とか……」


「……まぁ、あるとは思うけど、それとどんな関係があるの?」


「そういうお金って、なくなってはいますけど、本当になくなったわけじゃないですよね? そういうお金を集めて、利用することができれば、それは本物のお金ですから、世に出たお金の総数には影響を与えることもなく、問題も起こらないわけです」


「じゃあ、このお金は、誰かがなくしてしまったものだっていうの?」


「これがそうだというよりは、そういうこともある……みたいな」

 

「まぁまぁ、これは本物のお金で、今は俺のものってことでいいじゃねぇか!」


 アルドはそう言うと、銀貨入りの革袋を、雑嚢の中にいそいそとしまった。

 アデルにしても、銀貨の出所なんて話は、実のところ、どうだってよかった。

 ……ただ。ダンジョンの話をする二人が、少し楽しそうだと思った、ただ、それだけのことだったのだ。でも、なんてこともなかったわねと、アデルは肩をすくめる。


「それにしても、アデルは面白いところに目を付けるな!」


 アルドが感心したように頷くと、アリッサもそれに続いた。


「ですね! その着眼点……鑑定師に向いてるかもしれませんよ!」


「……煽てたって、何も出ないわよ」


 アデルはそっぽを向いて、ずんずんと歩き出す。

 ……別に、嬉しくなんてない。ただ、ちょっと頬が緩んでしまうだけだ。


「あ、そっちは──」


 アリッサの言葉は、ビチャッという音で中断された。

 アデルは足下を見る。血の池。悪臭。……やっぱり、ダンジョンって最悪だわ。

 シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ、シュッシュ。

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