神を殺す天使

黒い猫

第一章 月明かりの天使

第1話


 人間というのは、たとえ捨てたつもりでいても捨てきれない未練がましいところがあると思う。


 現に彼は漠然と「俺、死ぬのかな」という考えが過ぎってしまった。


「――」


 そして次に。


「嫌だ、死にたくない」


 彼の口からそんな言葉が漏れた。


 瀕死の重傷。体も動かない。そんな彼から漏れ出た言葉は……彼の偽りのないモノだろう。


「……」


 そして、そんな彼の目の前を流れたのは今までの記憶……走馬灯か。


 こんな時になって思い出されるのは「今にして思えば」という昔の記憶で。彼の人生のピークは小学校に入るまでだった。


 それ以降は天と地……いや、天国と地獄ほどの差があった。


 そして今の彼は文字通りの「絶体絶命」という名の大ピンチ。しかも場所が場所なだけに人もそう多く通らない。


「――」


 もう既についさっきまで出ていた言葉も紡げなくなり、視界がかすみ始めている。


 そもそも今の時間はド深夜な上にフルタイム&残業で深夜まで働いての十日連続勤務。人によっては「その程度で……」という人もいるだろうが、休みどころか休憩すらほとんどなくほぼ一日中働いて寝る時間すら惜しくてアルバイト先で寝泊まりをして家にすら帰る事が出来ていない。


 そんな疲れ切っている状態ではあったものの、何とか今日は家に帰る事が出来て帰ったら厳ついお兄さんたちのお出迎えがあって今に至っている。


 正直、学校なんてギリギリ義務教育まで通わせてもらえたくらいで、義務教育でなければ学校にすら行けなかったのではないかと彼は思っている。


 だから、アルバイト先で偶然見かけたドラマやアニメの様な『青い春』なんて経験する余裕もなく、学校では修学旅行に出られないのは当たり前で、下手をすれば日々の給食すら食べられない事もあった。


 ただ、何事もなくここまでの来られたのは心優しいクラスメイトたちに分けてもらえたというだけの話である。


「……」


 そんな彼を連れ出し、散々痛めつけた厳ついお兄さんたちは今ここにいない。彼が動かなくなったのを確認だけして立ち去ってしまった。


 いつもの彼であれば「なんで?」とか色々と考えていたところだろうが、如何せん頭が働かない。


 それどころか「あー、俺も可愛い彼女とか青春とかしたかったなぁ」と思う始末だ。


 いや、それこそ「我が人生一片の悔い無し! とか言ってみてぇなぁ」とかだんだん思考がおかしな方向に進んでいる様に感じる。


「……」


 本当にそんな事を言える人生を送れているヤツなんて今のご時世いるかどうかは……知らないが。


 ただ「ああ、せめて……一度くらい可愛い彼女。作りたかったなぁ」なんて後悔を感じるくらいには時間の経過と共に死を覚悟していた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「ヤッホー」


 そして「ああ、そろそろ本格的にやばい」そう思っていた矢先。陽気な言葉とは裏腹に全く抑揚のない声と共に大きな目が覗き込んでいた。


「……ぇ?」


 彼としては「誰だ」と聞きたいところだが、声が出ない。ただ、声の雰囲気からして女性だろう。コレで男だったら泣く。


「大変な目に合ったね。大丈夫?」


 抑揚はないものの、彼を気遣うような言葉が聞こえるのだが、彼自身。正直全然台上ではない。


「このままだとあなた。死んじゃうね」


 本当は死にたくなんてない。でも、どうしようもない。


「……」


 ただ泣きたくても泣く事自体にも体力がいるらしく全然泣けない。


「いいよ、助けてあげる。その代わり――」


 この時、彼女が何を言ったのか彼は覚えていない。ただ覚えているのは……彼女が立ち上がった時に月明かりに照らされたキレイな金の髪。


 それはまるで、天使の様だった――。

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