愛染秋葉の歪んだ青春


 それから秋葉の日常は音を立てて変わりだした。

 クラスの、いな学年中の女子から始まった嫌がらせは、どれも犯罪まがいの行為であり、通常の女子生徒であればとっくのとうに引き籠るか自殺でもしていたのだろう。


 しかしそれでも。

 ありもしない噂を流されても、下着を盗まれても、心無い男子から『ゲロ女』や『ビッチ』などと揶揄されようとも、それでも愛染秋葉はめげずに、折れずに祖母の教え一つを守り続けた。


 それを後ろで傍観する無胴とも、出来るだけ話しかけた。

 常に一人で飄々としている無胴は、まるでそこにいないかのように扱われることの多い彼に話しかけるのは秋葉くらいなもので、いつしか彼といることが秋葉の日常になっていた。


「無胴くん無胴くん、次は音楽室だよ。そんなところで寝てないで一緒に行こうよ」


「秋葉ちゃんは変わらないねえ。ボクはいま眠いんだ。このまま寝かしておくれよ……」


「ダメだよ! もうすぐ授業始まっちゃうよ」


「まったく、秋葉ちゃんは強情だなぁ。ボクには不思議に思うよ。そんなこと言ったって、君の席があるかどうかも分からないのに。なんで君は相も変わらずここにいるのさ」


 現に、彼女の席は二回ほど無かったりする。


「うん。だけどそれでも私は折れないよ。だって私は悪くないもん。だからここで逃げたりしない。ちゃんと学校に通って、ちゃんと卒業してやる」


「なるほどね……それが君の思惑か。せいぜい頑張ってくれ。ボクはそこらへんで、眠っているからさ」


「だーかーらー! 寝ちゃダメだってば! 無胴くーん!」


 再度夢の世界へと突入する無胴の背中を擦る秋葉。

 このままでは本当に授業に遅れてしまう。

 だけどこのまま彼をほっておく訳にもいかないし――。


「む、そこで騒いでいるのは誰だ?」


「あ、輝利哉きりや生徒会長……」


 どうやら騒ぎに気づいた輝利哉が気になって来たらしい。秋葉はすみませんと謝って、無胴を起こそうと更に激しく揺する。


「うん? 秋葉君、君は一体一人でなにをしているんだい?」


「え? 一人でって……」


 慌てて無胴のほうに視線を向けると、そこには虚空だけがあり、とてもではないが一人の少年などどこにも見当たらなかった。


「うそ……なんで? さっきまでいたのに……」


 愕然とする秋葉、しかし意外にも早く彼は現れた。


「全く、輝利哉生徒会長。ボクをいない者として扱うなんて酷いですよ。これは立派なイジメだ」


「!?」


「まあけど、君は悪くない。悪いのは輝利哉会長でも、あの全校生徒の名前すら覚えていると言う輝利哉会長でも知覚出来なかったボクの存在感のなさだ」


 自らの胸に手を置き、輝利哉の僅か後方にある教室の出入り口の狭間に、無胴は立っていた。


「き、君は一体……本当にこの学園の生徒かい?」


「嫌だなぁ。ボクだよボク。君の隣人沖宮無胴おきみやむどうだよ」


「沖宮……無胴」


 輝利哉と無胴の視線が交差する。

 ニヤニヤと嗤う無胴とそれとは対照的に、何か考え事をしているような輝利哉の瞳。

 両者の間には激しい火花のような、何かしらのものが通っているように思えた。


「あ、もう時間だ! すみません輝利哉生徒会長! 私たちはこれで!」


 時計の針はもうすぐで授業開始時刻に届きそうだった。

 秋葉は自身の抱える教科書を揺らして、輝利哉にお辞儀をして彼の前を通ろうとする。


「ちょっと待ってくれ。授業というが、その教科書でかい?」


 秋葉の抱える教科書──そこには無数の刺し傷や油性マジックで書かれた暴言があった。秋葉はええ、と苦笑いを浮かべながらその場を立ち去ろうとする。


「あまり生徒間同士のトラブルは深入りはしないが、辛かったらいつでも私の名前を呼んでくれ! 絶対に助けるから」


 輝利哉のその黄色い双眸を見て、秋葉は大丈夫ですよと言う。


「誰かの助けなんていりません。私は、私一人でなんとかしてみせます」


 自分の正しさを証明するために。

 秋葉は一人でやらねばいけないのだ。


「……そうか。まあもしもの話だからね……その時がくれば私の名前を呼んでくれ」


 輝利哉のその言葉に秋葉は取り敢えず頷いておく。

 すると、いつの間にか荷物を持った無胴が、秋葉へと向かって「早くしないと遅れるよ」と急かした。


「全く怠け者なんだから秋葉ちゃんは」


「ま、待って〜!」


 慌ただしく過ぎ去っていく二人の後ろ姿を見ながら、輝利哉は一人考え事をする。


「沖宮無胴……か」


 ◆


 秋葉への常軌を逸した犯罪まがいのイジメは、学校側も気づかないわけがない。

 しかしながら、それでも学校側はどういうわけか見逃している……というよりも無視しているといってもいいくらいに秋葉を心配するものは誰一人としていなかった。


 もうすぐ一学期の終わりまで数日というこの時期。

 無胴はこの状況を面白おかしそうに見守ることにした。

 さながらいつもの如く。傍観することにした。


「ちょっと秋葉さん。あとで教室に来てもらえないかしら」


 一学期も終わり、成績表が返され帰りのHRが終わり、皆がそれぞれ登下校へとつこうとする頃だった。秋葉を取り囲うように、あの時のグループが口元に笑みを浮かべながら秋葉に言った。


「私たち、今まであなたに酷いことをしてきたわ。本当にごめんなさい。許してくれなくて当然だけれど、それでももし貴女さえ良ければ、このあとここの教室に残ってくれないかしら?」


 嘘だ──まやかしだ、誑かしている、虚言だ、戯言に過ぎない。

 だけど秋葉は、彼女たちの顔をよく見た上で、息を吐いてこう言った。


「分かった。でも話しておきたい人がいるから、その後でも良いのなら」


 それでも彼女は信じることにした。

 ここで逃げては、それこそ思惑に乗ってしまったと同じことだ。

 自分は悪くない。悪くないのだから、これ以上最悪なことにはならないはずだ。


「んな訳ねーじゃん。秋葉ちゃん、ついに頭が狂って自殺願望でも芽生えちゃったわけ?」


 誰もいない屋上。設置されているベンチに腰掛けながら、無胴はお昼がわりのサンドウィッチを食べていた。

 気持ち悪い食べ方だった。先に中身の方を食してから、何もない食パンの方を食べる。しかし立ち振る舞いは意外にも礼儀正しく、気品ある感じだった。


「別に、そんなことないよ。だからそういう訳だから、今日は無胴くんと一緒に帰れません」


「うーんその発言だとまるでボクが秋葉ちゃんと一緒に帰りたい、年頃の男子中学生見たくなっちゃうけど……まあいいや。君は悪くない。でも秋葉ちゃん、ボクが言うまでもないけど──?」


 丁寧にハンカチで口元を拭いてから、無胴は立ち上がる。


「主人公っぽい選択しとけりゃ死なないとでも思ったか? 自分の信念を守り続ければいつか報われる日が来るとでも思っているのか? ぬるすぎるぜ、その考え。ったく何にも成長してねーな


「無胴くん……?」


 突如として豹変した無胴の態度に、秋葉は目を丸くする。

 無胴はそんな秋葉には一瞥もくべずに、鞄を持って彼女に背を向いた。


「帰るよ。なにも得れはしなかった一学期だったぜ。期待外れもいい所だ。結局は君も愚者モブの一人だった」


 離れていく無胴の後ろ姿。

 その後ろ姿に向かって秋葉は叫んだ。


「それでも──私は楽しかったよ! 無胴くんとの一学期間は! ありがとう!」


 元々それだけを伝えに秋葉はここに来たのだ。

 感謝の言葉は直ぐに伝えなさい──それもまた、祖母に習ったことだから。

 確かに最初こそは嫌いな人種だと思っていたが、それでもこの一学期を乗り越えたのは彼の存在がいてからこそだ。一緒に行動して、たまの休日には会って、映画でも見たりして、一人の時間が圧倒的に長く、ましてや男の子と遊ぶ機会だなんて無かった秋葉にとって、その日常は楽しかった。


「……そりゃ良かったね」


 そんな感謝の、少しばかり複雑な思いが籠った感謝の台詞に、無胴は顔も振り向かないまま屋上から出て行ってしまった。


「別に……いいもん。無胴くんはいつだってそうだったし」


 だからこれと言ってダメージはない……訳ではないが。

 しかし秋葉にはやらねばならないことがある。


「震えてるな……体」


 怖い。すごく、怖い。

 当たり前だ。どれだけ言葉を連ねても、信念を守ろうと、それでもまだ秋葉は十三歳の少女なのだ。理不尽な暴力に恐れ、言葉もない誹謗中傷に怯えても何らおかしくはない。


 そんな彼女の身を察してなのか、だからこそ無胴は彼女のそばにいた。

 否定することなく、逃げることなく、その弱気な彼女を受け入れた。

 なんだかんだ言いながら優しいところもあるのだ。

 まあ勿論、彼に言わせてみれば顔に惚れたから、で済ませるのだろうけれども。


「良かったな。私、この顔で生まれてきて」


 ならば自分は、初めてこの顔で生まれてきたことに感謝しよう。

 大丈夫、彼なりに言わせるなら──自分は持っている側の人間だ。

 だから怖がることはない。なにも恐怖することはないんだ──。



「んだからさー、今後私らの日常生活に支障がきたさないようにさ、またイジメないようにさ──アンタの顔、壊しとくね」



 間違っていた。

 すでに秋葉の考えは間違っていた。

 一瞬でも改心してくれたと思っていた自分が憎たらしい。


「あああああああああああああ……あああああああぁぁぁぁぃぃぃぃぐうっ、ああああああああああああああっっっっっっ!!!!」


 痛い。いたいいたいいたいいたいたいいたい。

 溶ける! なにを掛けられた? なにをされた?


「いぎぃぃぃいいいっ!!! ……んぐぐぅぃぃぃ……!!!!」


 激痛と何かが溶けるような音に、秋葉は悲鳴を押し殺しながらそれらを

 こんなの全然痛くない。私は悪くないから折れない。悪くないから痛くない。悪くないから、こんくらいのことだって──!!


「じゃじゃーん。どう? 秋葉ちゃん。今の秋葉ちゃんならアタシ達も劣等感を抱かずに過ごせそうだよ!」


 痛みに悶え、鼻水と涙に塗れた秋葉の髪を引っ張り上げ、無理やり手鏡の中に映る現実最悪を秋葉に見せる。


 その現実を見た秋葉は──今度こそ『絶望』した。


「あ、ああああああ……!!!」


「しかし最近の科学の力はやべーな。こんなに簡単に。実験大成功ってやつ? キャハ!」


「ついでに髪も切っちまお〜ぜ!」


 そこに映っていたのは──見るも無惨なものとなった、秋葉らしき少女の顔だった。

 顔の皮膚が溶け、ケロイドのように爛れている。

 ジョギジョギと乱暴にハサミで髪が切られていく。あれだけ祖母が気に入ってくれた、紫の髪が──あれだけ無胴が褒めてくれた、秋葉が細やかに気に入っている髪が。


「ああ、ああああ……ああああああああ………っっ」


 呆然とする。このまま意識を手放せればどんなにいい事だろうか。

 なにも考えられない。考えたくもない。

 自身の髪を切る音と、どこからともなく聞こえてくる笑い声。


 数人のものではない。数十人のものだ。


 そう──このクラスの中には、

 あれだけ仲良くしていた男子生徒も、関わってこなかった人たちも含めて。

 全員が全員秋葉を指差して笑い、誰一人として助ける人はいない。


「助けて………」


 それでも秋葉は助けを乞う。

 頭のなかに、あの時のセリフが蘇った。


『辛かったらいつでも私の名前を呼んでくれ』。


 強くて優しくてかっこいい輝利哉生徒会長。

 きっと彼ならばこの現状をなんとかしてくれるに違いない。

 それにあの人は約束を守る人だ──まだ学校に居残っているはずだ。それならば自分の声に応じて助けに来てくれるのだろう。


 ──だけど、それでも。


 秋葉は輝利哉よりも──の名前を呟いていた。



「助けて…………無胴くん」




「良いよ」




その瞬間、クラスの中にいた全ての生徒が一堂に倒れ伏していた。

グシャリと、まるで何かに押し付けられたかのように。


「なに……これ」


「体が……重い!」


「動かない……! なんなのこれ!?」


「どういうことだ……誰だこんなことをしたのは?」


全員が立ちあがろうとするも、しかしそれでも一向に動けない。

ただ一人──秋葉を除いては。


「全く秋葉ちゃんってば、また泣いているんだね。君は可愛いなあ」


教室の出入り口に、その少年は立っていた。

可愛らしさと格好良さを両立させたような、そんな良い具合の顔をしているその少年は、秋葉の変わり果てた顔を真正面に受け止めてなお、可愛いと言い放った。


「でもボクは知っているぜ──君は泣き顔より、本当は笑顔の方がもっと可愛い子だってことをね」


そこには──いつものような薄ら笑いを浮かべている沖宮無胴がいた。




最後といったな。あれは嘘だ(すみません尺の都合上あともう一話だけ続きます──次回・真最終回 愛染秋葉と沖宮無胴のまがった青春)





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