人として軸がブレてんだ

江戸川台ルーペ

何故野球の話題でサッカー部の友達を思い出してしまったのだろう

 コシュコシュとしょうもない俺の蛇口をスコると、ようやく本日何度目かの射精を済ます事ができた。快感は既にない。習慣だ。単なる。


 そのまま布団の中で雑にティッシュでマイ・ポークビッツの先端を拭うと、それを俺の頭上のゴミ箱に直行させた。今、何億、何兆という精子がこのゴミ箱に捨てられているのだろう。俺は冷静を通り過ぎた無の極致で考えた。元からゴミみたいな百均のゴミ箱に捨てられた俺の精子分身。悪くない組み合わせだ。初めからそうと決まっていた物語みたいだ。先端から汁が滲む感触。不快だが、面倒くさい。何もかも面倒くさい。そのまま無理やり目を閉じ続けると、眠りすぎた脳の中心から痺れに似た信号が「起きろ、行動しろ」と俺に命令しやがる。冗談じゃない、ふざけるな。俺はただ、何もしたくないんだ。。ジーンズのまま眠るのは寝心地が悪い。だが着替えるのが面倒だ。この部屋のどこかに埋まっている寝巻きを発掘すれば、少しは快適に過ごせるだろう。行動と結果の因果関係。不快→快適なりたい→寝巻きを探す→見つける→着替える→ほら快適。世界はそうして回っている。人間はそうして生きている。だから俺はそれ因果律を破る事で俺が俺でいることを証明している。俺は今、不快な状況にある。だから俺は生きている。


 次に目覚めたのは真夜中だった。VHSデッキとDENONのミニコンポから発せられる蛍光が部屋をボンヤリと浮かばせる。少し瞬いているのは時間設定をしていない2台目のVHSデッキのせいだ。ケツの穴に力を入れる。さすがにもう勃たない。諦めてノロノロと布団から這い出す事にする。小便がしたい。先端がヌルリとした蛇口ポークビッツを取り出し、和式便所で長い小便をする。臭い。三日は風呂に入っていない。足の裏が冷たい。十月の昭和風タイルが容赦なく俺を冷やす。タンクの下にはパチスロ雑誌とファミ通が何冊か放置されている。ここは1DK、家賃4万3000円、水道代込み。親の仕送りで生活をしている俺、クボ。アダ名クボッキー、大学二年。


 リモコンでHITACHIのブラウン管テレビをつける。水風船を地面に叩きつけたような音をたて、映像と音声がゆっくりと大きくなる。暗い部屋が束の間もったりと明かりを取り戻す。


 ハハハ

『……ったそれだけで2000万!』

『それだけって何やねん!』

 ワハハハハ

『かき混ぜてんねん! めっちゃかき混ぜてんねん!』

『ただのコーヒーやろ!』

 ワハハハハ

『カタカナちゃうねん難しい方のコーヒーやねん!』

『アホか!』

 ワハハ

『ほんならお前、漢字書けてらんまっしゃら!』

『言えてへんやないか!』

 ハハハ

(客の笑ってる顔の大写し)


 万年床にあぐらをかき、煙草を吸いつつ眺めながら、ふひ、と笑う。こいつらは本当に面白い。視点の切り口が良い。ツッコミの間も完璧だ。俺のお笑いをみる目は。こいつらの面白さを本当の意味で分かっているのが、あのスタジオに何人いるのだろう。お笑いは身近な所と意外性が全てなのだ。TOYOTAのコマーシャルが入ったので、チャンネルを変える。ギラギラに化粧をした派手な顔立ちのアナウンサーがニュースを読んでいる。口紅が妙に気になる。少し赤みを強調し過ぎではないか。そのせいか、フェラチオについて俺はぼんやり思考を巡らせる事になる。思考という程のものじゃない。単なる妄想だ。急に煙草の煙が目に沁みて、手首のあたりで目を擦る。煙は俺の角膜から深く脳に達し、一生目が開けられないんじゃないかと思うほど痛い。擦るほど目の周辺の自分の油脂が目に入ってしまい、痛みが痛みを呼ぶ。いつまでも目を擦っている。その間、否が応でもニュースが耳に入ってくる。格安PHSの急速な拡大によるトラブル。外国の登山列車で火事。富士山に巨大な傘雲。どうでも良い。おかげで頭からフェラチオが消える。助かる。俺はもう勃たない。目も治った。そして腹が減ったので、テレビを消してコンビニへ向かう事にする。


 都心から電車で三十分程離れた田舎の深夜は焚き火と草木の匂いと混ざって、思わず深呼吸をする。夜のコンクリートは冷たい匂いがする。肌寒い。

 おにぎり、カルボナーラ、カップラーメン、それとマルボロ・メンソール。小銭で支払う。ポケベルのCMで有名になったアイドルが表紙のTV雑誌を立ち読みして、深夜に放映される映画のタイトルを入念にチェックする。


 同じ道を引き返してアパートへ戻るとすっかり元気になっている。夜になると俺は元気になる。新鮮な空気を吸ったお陰で力が漲っている。今の俺に不可能はない。明日から心を入れ替えて大学の講義に出席しようと反省する。俺は毎日同じ時間帯に、毎日同じ反省を繰り返している。昨日もおとといも、多分そのずっと前から反省している。しかし、太陽が昇るとそんな反省は祈りのようにたちまち蒸発してしまう。


 まずは掃除だ。酒瓶、山盛りの灰皿、パチスロ雑誌、読まない新聞で足の踏み場もなくなった部屋を見てうんざりする。これも大体毎日計画だけはする。まずは掃除だ。綺麗にすれば快適に過ごせる筈だ。行動と結果。。そう思うとやる気が失せてしまう。快適になるのは分かっている。だがゴミの日はいつだ? 不燃ゴミと可燃ゴミ? 瓶はどうする? 何時までに捨てれば良い? そもそも今日は何曜日だ? 快適に過ごす為には支払う注意が多過ぎる。俺は煙草が吸いたくなって、テレビの前のちゃぶ台に買ってきた食い物を載せた。近くに置いてあった1.5リットル午後の紅茶ミルクティーをペットボトルに口を付けて飲む。飲み口が大きくて想像よりも多く流れてきて、鼻に少し入る。袖で拭ってから煙草に火を点ける。掃除の事は忘れる事にする。別に死ぬ訳じゃない。テレビに目を向ける。付けっ放しで買い出しへ行ってしまった。


「本日、通算五度目のノーヒットノーランを達成した●●選手のインタビューです」

 唇が妙に赤いアナウンサーが選手と向き合う画面に切り替わる。何だっけ、そうだ、フェラチオだ。勃つか? ──勃たない。

「本日はおめでとうございます」

「ありがとうございます」

 ガタイの良い野球選手が会釈する。アナウンサーが左でガタイが右。振り返りVを挟みながらインタビューが進んでいく。野球か、と俺は思う。 ──その瞬間、あいつらは今、何をやっているのだろう、と突然、俺はサッカーボールを蹴る音と、暖かそうなたっぷりとしたマフラーを巻いて、俺に背を向けてツカツカと歩き去る、女子高校生の後ろ姿を思い出す。高校の友人ゴウヅカはサッカー部で、その彼女は陸上部だった。大昔にも思えるが、たった三年前の話だ。何故野球の話題であいつの事を思い出してしまったのだろう。サッカーと野球なんて関係ないのに。


「最後に●●選手のようなピッチャーになりたい野球少年達にメッセージをお願いします」

「夢を、決して諦めない!」

 ●●選手は両拳をボクサーみたいに合わせ、カメラ目線で言った。パッと画面がスタジオに戻る。


「どうでしたか、今をときめく●●選手のインタビュー」

 いやらしい顔をした男性アナウンサーが台本通りに問いかける。フランス語で「今晩、ホテルの部屋、取ってあるから」と言っているようにも聞こえたが、もちろん気のせいだ。俺の専攻はドイツ語だ。

「いやもう、本当に素敵で、格好良かったです」

 瞳をウルウルさせながら、嬉しそうに鳴いた。もしかしたら、ちょっと感じてしまっているのかも知れない。

「軸がブレない人、という印象でした。信じた自分のスタイルをひたすら追い求め、情熱的に打ち込むという、プロとしての姿勢を教わったような気がします。●●選手、本当にありがとうございました」

 ジングルが鳴って、画面はPanasonicのCMに変わった。


 ご立派だよ、と俺は思って煙草の煙を吐いた。軸、と俺は午後ティーミルク味でガボガバと口を濯ぎ、ゴクンと飲み下して思った。。何だそれ、馬鹿じゃねえの。コンビニ袋に入っていた少し湿っている新しいマルメンのフィルムを剥き、新しく火を点けた。それから、何とはなしに画面を見ながら回想に浸った。


 以下、回想→

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