第47話 七月二十三日、午後十時二十八分。+一周。
ふと思い立ってしまった訳だが、今日の一日の行為は俗にいうところの『デート』なのではなかろうか。
脳内で玉突き事故のように想起してしまった気色の悪い単語をハッとして胸中の奥底へと沈める。そんなわけがないのだから。デートってのは、ほら、清らかなせせらぎのように澄んでいなくちゃならないし、それでいてドキドキせねばならんはずだ。しかし今日のはどうだ。ドキドキなんぞしてないじゃないか。
女の子と夜の街中を歩くって行為に意味を孕ませすぎだ。
同じアスファルトを踏む音に、違いなんぞないのだから。
「……そ、それにしてもさ、コインゲーム、アレはなかなかになかなかだったね」
胸中の要らんざわめきを抑え込まんと、僕は半ば無理矢理に話題を捻り出す。
『ビギナーズラック。あまり好ましい言葉ではありませんが、まさしく、でしたね。』
曰く、『一種の恐怖体験のようでした。』とのこと。確かに透明ケースを店中から運ぶ羽目になろうとは。その惨憺たる実情は語るに尽くし難いのだが、途中までやいのやいのと横からの茶々を入れていた岸辺さんも堪らず絶句し、客どころか店員にまで訝しげな視線を送られることになるほどには酷かった。
「……僕も実はアレ、超怖かった。なんか、怖かった。……ところで、何で嫌いなん、そのワード」
『ビギナーズラック、ですか?』
「……そうそう。ラック、幸運。ええワードやないの?」
『個人的に思う所があるだけで嫌いな訳ではないです。』
「……と、いうと?」
『大した話ではないですよ。ただ、運も実力の内だと思っているので。』
「……あぁ、なるほど。逆を返せば実力を運呼ばわりされたくないと?」
『多少荒い物言いですが、遠くはありませんね。馬鹿のくせに察しがいい。』
「……なんの、なんの。ただ運が良かっただけや」
……意識的に、だろうか。それとも無意識的に、なのだろうか。そんなことも理解できない小さな心の機微のせいか、歩幅は狭く、歩く速度も気持ちゆったりとしたものだった。こんな時の心情、小っ恥ずかしくって言語化できたもんじゃないが、きっと、故あって時間を食うように歩きたい気分だったのだろう。
そんな女々しい自分が、心底キモいと思った。
「……聞かせてーや。なんで、そんな心情になったんか。エピソードとかあるやろ?」
『別に面白い話には繋がりませんよ。それに、納得しづらい話にもなるでしょうし。』
「……ええよ。ちょっと知りたいと思っただけやから」
――――――――――――
『愚痴っぽくなりますが、それでもよければ。』『物事を幸運か不幸かで語りたくないのですよ。自分の行為の結果を、そんなあやふやな概念に預けたくないのです。自分の行いには常に責任がついてまわり、そして功も務も私に還元されなければなりません。もっとも、私自身功績にそれほど興味はありませんが。しかし私の罪と罰を背負った責務に関しては話が変わります。正しくなければなしません。正しく罰せられなければりません。』
『それらが等しく原因と結果の因果にあり、』
『私という原因が、誰かの被害という結果になるのであれば、』
『たとえ原因が不幸な事故であれども償わなければならない。』
『そうでなければ道理に合わないじゃないですか。』『結果、人が不幸になるのだから。』
――――――――――――
「……抽象的や。だから、僕にはよくわからん話や」
……そのくせ、クソほど実感が籠っている。まるで、過去の懺悔でも告白されている気分だ。
「……それってさ、いつか、岸辺さんが自信を『気持ち悪い人間』と評価したことに繋がるん?」
『思い出したのですか?』『前回の、二十三日の夜での出来事を?』
「……え、なにが?……いや、普通に散歩していただけちゃうの?」
前回の今日、つまり一周目の七月二十三日の夜のことを言っているのだろうか。あれは確か文化祭から帰宅した後、眠れるままに夜の街道を散策したのだったか。そうだ、ちょうど今日のように。前回のように琵琶湖沿いではないけれども、あれも今日のような夏の雨臭い夜だったのは濃く憶えている。
その時にふとボヤくように岸辺さんは書き起こしていたのがこれだ。
『いえ、思い出していないのであれば、それでいいです。』
「……なんか言葉を濁しているような。……まぁ、ええんか」
……それでいいのであれば、それでいいのだ。考えすぎないことが肝要である。
『そうですね。繋がるか否かと問われれば、嫌というほど深い繋がりがあります。』
「……………………っ」
綴られていく文字、文字、文字。電灯の灯りで辛くも見える文字列に、僕は返す言葉を戸惑う。なぜだろう。なぜ、これほどまでにあーでもないこーでもないと返事に悩む必要があるのだろう。……あぁ、いや、薄々はわかっているのだ。いい加減、安っぽいツンデレでもないのだから自覚ぐらいしてやろう。
……そうだな。僕は岸辺さんと『友達』にでもなりたいのだろう。
きっと、友達ってのは、苦楽を分かち合うものだ。
きっと、友達ってのは、お互いに解決するものだ。
きっと、友達ってのは、共に笑ってあげたりするものだ。
僕は面倒臭いのだ。それくらいしないと岸辺さんを友達とは呼べないし、そんな友達になりたいとも思っている。
……けれども、これは詭弁でもある。ここに完成する友人関係はひどく歪なものとなる。
……僕は一度、いや今も、聞き出すことを拒絶しているのだ。僕には岸辺さんの本性を探る為のネタがある。でも、あのなんでも知っている仮面の女の子の 言葉の真偽を、岸辺さんに問いかけられていないのである。返ってくる言葉は嘘でもいい。そこに嘘があるのであれば、それは嘘を吐くだけの苦しみがあることと同義だ。その嘘の正体こそわからないだろうが、苦しみぐらいは共有してやれる。これは聞かないってこととは天と地の差があると思う。
……聞かない理由。聞けない理由。必要なのは僕の意思だが、その意思が決起しない理由。
……そりゃ、簡単だ。シンプルだ。透明な彼女の、透明な内心を引き出せないでいる理由。
……それは、この後に及んで、僕は誰にも嫌われたくない人種だからである。
……ほんと、嫌になる。まったく変わっていないのだ。あの時、あの教室、あの苦くて仕方のない屈辱の味を舐めたままなのだ。これが僕で、ありのままの僕なのだ。僕は嫌われたくない。僕は人畜無害でありたい。僕は忘れられたくない。結局、僕、僕、僕。……あぁ、嫌になる。嫌になる。嫌になる。
こんな僕と岸辺さんとの関係性の維持を、友達関係であるとは思いたくない。
なーんにも変わってない自己保身の権化たる僕が、友達を語る資格などない。
「…………あー、もう、畜生ッ!!」
『どうかしましたか?』
……いい加減にしろや。
……浸ってんじゃねぇ。
……僕は、僕が嫌われるのが嫌だ。嫌われて、唾棄される存在となるのが嫌だ。波風立てたくないし、平行線のような平和を享受したい。どこにでもいる凡夫で、凡庸で、凡人な僕として扱って欲しい。でも、誰かに忘れられるような存在にはなりたくない。たまにでいいから、誰でもいいから、僕だけを中心に考えていて欲しい。それで、ちょっとでいいから僕に特別な言葉を贈って欲しい。そんな女々しくて、底抜けに気色悪くって、救えない感情の持ち主が僕だ。
……馬鹿で、愚鈍で、どうしようもない僕なんだ。
……だから、だから、さ、、、
「……な、なんで、……なにの繋がりがあるんか、聞いてもええ?」
だから、聞き出すことにした。みっともなく、タドタドしい言葉で。
これは彼女にとっての地雷なのだろう。聞き出されたくない事実だろう。下手をすれば嫌われるだろう。
けれども、しかし、このままでは一生を費やしたって彼女の友達になんてなれやしない。クッソみたいな馴れ合いの関係で、一歩引いて、踏み込まないで、慮った気になって。それはきっと嫌われないための唯一の道なのだろう。僕たちの関係がずっとそれだったならば、欺瞞に満ちながらも『平和』には縋れる。
思えば、出会って数日の仲だ。それが妥当だったりするのだろう。
それでも、僕は岸辺織葉から心の在処を聞き出したい。
それが例え嫌われる結果になろうとも。
一度は逃げた『化け物』と対峙する羽目になろうとも。
……僕は、岸辺織葉の『友達』になりたい。
本当の意味で寄り添える『友達』になりたい。
『ごめんなさい。今は、話す気にはなれません。』
「……なんで話す気になれんかとか、聞いても?」
『ごめんなさい。』『それも、今は言えません。』
……らしくなかった、なんて、それは彼女のことを知った気になりすぎなのだろうか。
だから、彼女が彼女自身を悪く言う性格ではないとする偏見も一種の傲慢に近いのだろう。だが、事実として、彼女は頑なに僕への返答を拒んだ。今は話す気はないと明確に言葉を阻んだのだ。その上で、彼女は僕に謝罪の弁まで述べた。僕の知っていたはずの岸辺さんが、僕に二度も『ごめんなさい。』と。
臓器が締め付けられるような感覚に陥る。なんだ、これ。気分が悪い。
……徐にくしゃりと丸められた紙には、黒いインクで潰された文字列があった。
……それをみて、あぁ、そうか、同じなのか、と目を見張った。
……僕たちは、ずっと、こんな関係だったのか、とそう思った。
……『ごめんなさい。貴方にだけは、嫌われたくな――――――』
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