第24話 七月二十二日、午前十一時二十八分。

 めでたく改装された琵琶湖沿いのショッピングモールともなれば琵琶湖大好きっ子滋賀県民にとって短く見積もっても三ヶ月は話題のトレンド上位を奪取できることは確約されている滋賀県界隈ではあるものの、近場にWAONっと吠えるワンちゃんがトレードマークのショッピングモールには到底勝てそうにもなく早速ながら過疎り気味の話題性だけ抜群ショッピングモールの外玄関口にて、僕はある人を待っていた。

 ……いや、擁護しておくと平日なのが悪いんですよ。

 ……決して、滋賀県民が薄情とかではなく。滋賀県民はワンチーム、ワンレイクなんで。

 なんてくだらない戯言を口に出さずに思いながら、肩ほどまである髪の毛先をいじってみる。わざと、こほん、と咳払いをしながら、まるでやましいことでもあるかのように時計台を覗き込み、もう一度咳払いをしながらゆったりとした時間の経過を確認する。

 さっきから、ずっと、この繰り返し。

 我ながら気持ち悪いってのは自覚しているが、ソワソワが治らない。

「……お茶でも買っておこっかな」

 もっとも、手持ちは潤沢とは程遠いが。お茶ぐらいなら買えるはず。

 それに、ひたすらに待っているってのは間が持たないのだ。自分一人だってのに間が持たないとはなかなかに馬鹿げているのだが、僕は言い訳がましく猛威を振るう夏の猛暑のせいにして、自販機にラインナップされていた苦味控えめな日本茶を二本購入した。

 いやですね、二本買ったことに他意なんてありませんし、日本茶に因んだわけでもないんですよ。

「……でも、お茶で良かったんかな。……もっと気を利かせられれば、、、」

「――――――なーにーがーやー???」

 ……それはもう突然に、ピトッと、よく冷えた何かが首筋に当てられたのだ。

 瞬間、今朝と同様の変な声をあげそうになってしまったのだが、そこは僕、同じ轍を踏むことなく喉元まで出かかった奇声を気合と根性で踏ん張ってみせた。誰が、何を、どうしたのか。わざわざ確認するまでもなく僕はそれを把握できたのは、僕が彼女を心待ちにでもしていたからだろうか。

「……あの、なんですか、久遠さん」

「あー、うん。お茶買ってきたからお裾分け。……お待たせ、だったみたいやね」

 僕から抗議の目線を受けている可憐な少女、久遠さんは、ニッと小悪魔的な笑みを浮かべる。

 にししっ、と。まるで悪戯を成功させた子供のように無邪気で、そのせいか遅刻をしたことを含めたって許せてしまう自分がいるのだ。

 そんなちょっとズルく、待ち惚けを喰らっていたときの感情をコロッと忘れさせてくれる久遠さんは、お茶を二本携え僕の元へ訪れた。

「……そうやね。ホンマに、まあまあ、待ったんやけど」

「そこはー、「待ってないよ(キラン⭐︎)」って言って欲しいんだなー」

「……いや、待たされたよ。それなりに待たされたんよ」

「……もー、織葉ったら、ロマンスが無いんやからー」

 ムーッと膨れる久遠さん。しかし、癇癪を起こしたいのはこっちなのだ。

 謎の理論「デートには待ち合わせが作法やから!」に基づき僕は先にこのあっつい集合場所へ行かされ、そのまま待たされた僕の身にもなって欲しいのですよ。いや、暑いのは中に入れば良かったんですけどね。早く会いたいなぁとか、場所わかるかなぁとか、そんなんじゃ無いんだからね。

 あ、そういえば、と久遠さんは自前のお茶を一本僕に差し出してくる。

 冷え冷えのお茶であったのだが、それを見てあちゃーと僕は思うのだ。

「……おー、これはこれは、織葉のと被っちゃったね」

 そう、やらかしたのだ。僕はよりにもよって同じチョイスのお茶を二本購入済みである。

 ……これは、しくじった。ただただ金銭的に損をしたっていう以上に、なんとも虚しい思いのするしくじり方だった。こんなことならお茶菓子でも用意すべきだったのだろうか。背後のショッピングモールであれば満足のいくものが買えたであろう。岸辺さんの金で。やらかした。しくじった。

 まぁ、暑いですし。猛暑ですし。熱中症対策に飲料水はいくらあっても事足りない。

 これで良かったのだ、なんて自己完結していると。

「……それじゃーさ。……私が織葉のお茶をもらうね」

「……それって、意味あるん?」

「…………はぁ、これだから織葉さんには困るよねー」

 やれやれだぜ、とでも言いたげに嘆息しながら、わっかりやすい呆れ表情とジェスチャーを添えて見せる久遠さん。わかるも何も、どっちも同じメーカーの、同じお茶の商品なんですけど。しかし久遠さん的にはかなり重要らしく、お茶を差し出し、お茶を受け取る。

 これが噂のロマンスってやつなのだろうか。

 これじゃお茶を対価にお茶を貰っただけになるのだが。

「えー、こほん。……じゃ、いったん仕切り直そっか!!」

 そんなロマンスの大権現様が何か世迷言を述べ始めた。

「……え、なに、妄言?……熱中症やったりせーへんやんな?」

「大丈夫やし!!……織葉さんはさ、なんのための待ち合わせだと思っているのかな?」

 ……待ち合わせの理由とな。そりゃ、気まぐれとか、その場の思いつきとか、あとは「俺を置いて先に行け」的な緊急的な措置とか。まぁ、十中八九は前者二つだろうけど、後者だったのならば事情を聞かねばなるまい。だいたい後者のような事情から帰ってくる輩は黒幕だったりするのだから。

「……えっと、何か思い悩んでいることがあったりするなら、相談ぐらいのったるで?」

「もー、そんなんちゃうねんって。……あー、もー仕切り直しったら仕切り直しー!!」

 おっと、機嫌を損ねさせてしまったかもしれない。

 なら、もう僕は唯々諾々と彼女を受け入れる他にない。

「……わかった。なら、ここで待ってればええん?」

「うん。……えへへ、改めてみるとちょっと照れる」

 それならしなきゃいいのに、ってのはおそらく禁句なのだろう。それぐらいはわかる。

 琵琶湖沿いであり、また逆側は国道沿いでもあることも相まって、自動車の往来が多いショッピングモール周辺。雑然とした印象よりも心地の良い賑やかさを残す風景に、湖風が夏の独特な暑い匂いを運んでくる。そんな人と人工物と自然物の合間を縫って、久遠さんがくるりと方向を翻した。

 セーラー服の裾から艶かしい肌が露見する。

 長く、雅やかな黒髪が風にふわりと浮かぶ。

 遠目から靴音が上品を語っているように思える。

 その一挙手一投足の所作が別世界から切り抜かれたかのように色めいていて、それはさながら紅一点で、久遠さんかそれ以外かとしか認識できなくなっている自分に呆れずにはいられなかった。彼女は際立っていた。際立って美人であった。きっと、これはどこまでも主観的な事実なのだろう。

 だから不意にも、僕は血迷ったことを口走ってしまう。

「……待ってみるもんやな」

 ……やめよう。こんなことを聞かれた暁には、僕は恥ずかしさのあまり死んでしまいそうだ。

 鈴の音のような声音で、「おーい、待ったー?」と、まるでこれが初めてかのような振る舞いをしながら駆け寄ってくる久遠さん。臆面もなく僕に手を振ってくる久遠さんは、それはもう太陽であった。君が消えれば僕から光が失われてしまいそうだ、なんて本気で呟いてしまいそうなほどに。

「いやいやー。お待たせしました、久遠さんですよ」

 そうして、僕の目先でたたずみ微笑む久遠さん。

 なるほど、ほんの少しばかり、ほんのちょっとばかし、ロマンスとやらがわかった気がする。

 そいつはきっとほろ苦く、されども魅惑的で、魅力的で、汗ばんだ匂いも春色に感じてしまうような代物のようだ。

「……そうやね、待ったよ」

 しかし、そんな感情、おくびにも出してやるものか。

 どこまでも待たせたことにコレっぽっちの反省の色が見られない久遠さんに、僕は片手に持っていたもう一本のお茶を首筋にあててやった。ほら、お求めのロマンスだ。ゆっくりと味わえばいい。その上で、君の持っているお茶を貰おうじゃないか。

 ともかく、お茶を押し当てて返ってきたのは、素っ頓狂な悲鳴であった。

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