第13話 七月二十一日、午前十時四十分。
諸兄よ、至急、問いたい。『ヒモ』なる概念に聞き覚えはなかろうか。
無論、ロープやベルトを雑に言ったものじゃない。超ひも理論のことでも、ヒョロヒョロ男子の俗称でもない。
ズバリ、異性ないし同性のパートナーまたは親族の金で自堕落を貪り尽くす社会の害獣の総称のことであるのだが、許しちゃならん社会悪なわけだが、もっとも昨今のヒモ事情ではビジネスに昇華させているとの例もあり、余りある供給と物好きな需要のマリアージュから奇跡の資本主義が叶っているとも聞く。許されても、いいのだろうか。怠惰で愚かで馬鹿なプー太郎が、楚々とした印象の綺麗な人からあーんをされても、いいのだろうか。
…………あ、はい、ダメですか。
「ほんま、無事みたいやし良かったー。…………急に倒れるもんやから、びっくりしたんやで?」
「……その、……すみません」
「ほーら、これも。あーん!」
口腔に放り込まれる唐揚げ弁当の唐揚げ、それを頬張る僕。
正直述べれば、唐揚げの味なんてあんまりよくわからなかった。
それどころではないのだから味なんてこの際どうでもよかった。あーん、だぞ、あーん。しかし、よくわからんけれど、味のない唐揚げは最高に美味しくも思えた。綺麗な人からの「あーん」ってのは、それだけで付加価値であり、遊園地の法外値段設定レストラン並みの納得感があるらしい。
結局、味なんてどうでもいいのです。
「……美味しい、です」
「そっかー、そりゃよかった!」
端的に現在の状況を説明すれば、僕は教室中央にて突然に気を失ったそうだ。僕のその後の記憶は当然パッタリと途切れてしまっているわけだが、どうやら僕は綺麗な人に保健室まで運んでもらったらしい。そんな調子で、この時間まで付き添ってくれているようだ。
その間、僕の腹があまりにグーグーと癇癪を起こすものだから、近くで弁当を買いに行ってくれたようなのだが。
「もー、大急ぎで買いに行ったんやからなー。……唐揚げ弁当、口に合って良かったー」
「……控えめに言って、大好きになりそうや」
「なんや、珍しいなー。織葉が冗談やなんて」
……謎の納得感がある。なら、冗談は控えよ。
だが、綺麗な人は満更でもなさそうにニマニマと笑みを浮かべている。天使だろうか。女神だってあり得る。こんな人に「鳥肉も良いですが、実は牛肉や豚肉みたいなガッツリ系食べたかったんですよね」なんて太々しくのさばろうものなら、その日はどんな記念日になるだろう。命日かな。
「……そういえば、ずっと看てくれてたんやっけ?」
「うん。いやー、心配やったから。イヤやった?」
「……いやいや、そんなことは微塵もないけど」
「なら、よかった!オールオッケー、やね!!」
親指を立てる綺麗な人。なにがオールオッケーなのだろう。こちとら、こんなに至れり尽くせりな彼女の看病に報いる銭を支払っていないことへの罪悪感がヤバいってのに。とはいえ当方、記憶もなければ見合う報酬を支払う能力もないんだけれどもね。えへへへへへへへ。
「……それにしても、弁当食って元気出るって、倒れた原因は空腹やったんかな」
「……うーん、どうやろ。織葉、成長盛りやから、よけい、なんかなー?」
身体の成長のことですかね。それならノーですね。成長していないので。
とはいえ事実、唐揚げ弁当で腹を満たせた今は、それなりに調子が出て来たように思うのだ。
考えてみれば寝起き以降、体調面も随分と悪かったが、そのせいかすっかり朝食を忘れていた。
…………いや、冷静に考えてみれば、朝食を取らないってだけで倒れるまでの事態に陥るのものなのか。気の短い大食いクイーンじゃあるまいし。それかかなりの虚弱体質っ子なのか、はたまた今朝軽んじた熱中症の症状が悪化でもしたのだろうか。
ともかく、唐揚げ弁当ありがとう。ご馳走様。元気が出てきた。
ネガティブな思考もクリーンだ。コンディションも悪くはない。
「……あのさ、その、堪忍な。迷惑かけたやろ?」
「……もー、そういうの無しやって。……その、ほら、私と織葉の仲やしな。……と、も、か、く、これ以上、塩っぽいこと言うの禁止ね!!」
……塩っぽいとは。なんっすかね、海水系の話とかダメなんですかね。
どうにか人間語に翻訳するならば、「他人行儀はやめてくれ」ってとこかな。
聞く分にはこの綺麗な人、『岸辺織葉』とかなり親密っぽい仲だけれども、一体どういう関係なのだろう。知人というには距離が近く、学友というにはややインテリジェンスが不足気味だが。あいにく、友人の定義も知れない現世だ、難しい問いだ。
「……ね、織葉?」
「……あ、うん。なに?」
「……えぇっと、な。……ここ一週間のこと、聞きたいな、とか思ってな」
伺いづらそうに、でも聞かなきゃならない、と上目遣いで僕の顔色を覗き込む綺麗な人。
至極当然の、真っ当な質問だろう。ここまで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたのだ。ただのやっかみや野次馬根性みたいな好奇心ではなく、どこにでもあるようで見つけづらい優しい心持ちから来る優しい気遣いからの問いだろう。それを、塩っぽく、彼女は聞いてくるのだ。
彼女にはこれを聞く権利があり、そして僕はこれを答える義務まである。
しかし、僕に誠意ある行動は示せない。配慮に報いることは、叶わない。
ここ一週間の『岸辺織葉』の動向。そんなもん、僕自身が知りたいってもんだ。
例の復習ノートの落丁ページの日付、それに綺麗な人からの証言。
組み合わせれば、十五日以降、『岸辺織葉』に何かあったと見ていいだろう。
しかし、いかんせん、情報不足だ。まだわからないことだらけだ。それに記憶喪失の身の上、『岸辺織葉』なんて他人よりも『僕』である僕の記憶がないのだから、満足のいく解答を用意しようってのに無理がある。ただ確かなのは、僕は君の思う『岸辺織葉』ではないことだけ。
けれども、第三者から見て、綺麗な人から見て、僕は『僕』ではなく、『岸辺織葉』なのだから。
それだから、僕が答えてやらなきゃならないのだが。
上手い方便さえ思いつかんぐらいには、何も知らない。
「……あ、あのさ。えぇっと、何と言えばええのか。…………えっと、な?」
どう弁明したものか、と、情けなく狼狽していると。
「あー、ちゃうねん。責めてるんじゃなくって。……やっぱ、聞くのやめる」
「…………え?」
「織葉さ、なんか話しにくそうやし、話したくないんかなって。……それに、ほら、私的には織葉がこうやって帰って来てくれたってだけで、それだけで、結構充分やったりするからさ。…………うん、めちゃくちゃ大丈夫やな!!」
そういうと、綺麗な人は健気にも笑って見せた。
……語彙が乏しいながらボンヤリとする気持ちを掬い上げるなら、彼女には笑顔ってのがよく似合うと思った。きっと青春彩る彼女の学生生活は、彼女自身の屈託のない笑みで出来ているのだろう。僕みたいな人種とは対角線上の、そんな人のはずだ。
……だから、なんというか、こういう笑い方の彼女は見たくない。
「……ごめんな。黙ってようって訳じゃないねん。……ただ、今は話せへんだけや」
「…………」
「……全部わかったら、その時は、ちゃんと話すよ。それで、その…………」
……許しては、貰えないだろうか。
なんて、変なことを口走りかけた。
「……ぷっ、あははははは!!…………もー、何言ってんの、織葉。だから塩っぽいの禁止やってー。ほら、笑顔、笑顔!!」
にーっと、口角を上げるジェスチャーを指と唇を使ってする綺麗な人。
そんなもので素敵な笑みが浮かべられるなら、きっと世の多くの無愛想さんは苦労なんてしていないだろう。特に齢にして高校三年生の少女の分際で眉間に皺を寄せている何処かの誰かの表情筋なんて微動だにしないはずだ。なんて呆れた視線がバレたのだろうか。
「あー、もー、えがおー!!」
綺麗な人は僕の口角を無理矢理にでも上げようと指を押し当ててくる。
……あぁ、やめてけれ、やめてけれ。そんなウザ可愛いマネをされては、僕のドキドキがムネムネしてしまうではないか。恋の味を知ってしまう。だからその、いい加減にやめてけれ。
しかし、僕の意に反し、この小規模な攻防はこの後も続くこととなる。
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