第10話 七月二十一日、午前八時二十二分。
…………えーっと、ふむふむ、生徒手帳曰く、このまま真っ直ぐ進めば、、、
「…………おっ、あれか、例の西大津高等学校。……えらく普通な外観の校舎やな」
目前に聳え立つは白亜の巨塔。
銘板には『県立西大津高等学校』と黒地の石材に黄金色の文字。
例の復習ノートよりも人間らしい文字であるのはご愛嬌だろう。
確かにココが、西大津高等学校、つまり『岸辺織葉』の通っていた学び舎だろう。その証拠だと言わんばかりに同じ制服を纏った生徒の数が近辺の通学路につれグンッとその数を増やし、皆が皆、同じ校門をくぐって登校している。
「……一般的というか、普遍的というか、特徴がないことが特徴的な風土の学校やな」
ま、別段、学び舎に何か過度の期待を押し付けようってわけじゃないのだけれども。
だが、初登校の高校生活、夢や妄想ぐらい膨らむ訳でして。横暴の限りを尽くす生徒会や、校内の変人が押し込められた謎の部活動、起源の不明な奇妙な風習、学内をザワつかせるマドンナ的生徒。あってもいいじゃないかと浪漫心が疼いてたのに。
しかし、浪漫は浪漫、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。
「……それに僕自身、普通じゃ味わえない学校生活ってんじゃ事欠かないやろうし」
なんせ、記憶喪失のまま登校しちゃっているのだから。
今更ながら、然るべき病院に診てもらうべきだったろうか。
「……いや、それで薬漬けになって『僕』の自我が消えようもんなら、ゾッとする」
敵愾心を抱かれない四面楚歌な状態だ。世間や社会は記憶喪失者に対して冷たいのだから。
だけれども、行動は起こしている。だったら、あとは僕が『僕』ってのを信じる他にない。
都会が初めての田舎っ子さながらにキョロキョロしてしまってはいるが、なるべく堂々としてやろうと思う。
「……へー、女子のスカーフの色って、あれ、たぶん学年によって色が変わってるんかな」
……などと、結局キョロっていた僕だけれども、早いものでロッカーの並ぶ玄関まで行き着いてしまった。
……さーて、ちょっくらと困った。どうしよう。
「……岸辺織葉の下駄箱は何処にあるんやろ」
個人情報から道順までお世話になった生徒手帳さんも、そんなもんは知らん、と記載がない。
しかし、まさか自力で全生徒の靴箱を一つ一つ失礼して拝見して回るわけにもいかない。とはいえ、第三者の誰かに助けを乞うにも適当な口実もツテも湧くわけがない。こんだけワラワラと同じ学び舎の生徒がいて、その誰もが僕にとっての赤の他人で。
…………なんや、これ。あぁ、そっか。
…………嫌になるくらい、孤独なんや。
「……いやいやいや、助けて貰えんからって『孤独』ってのは都合がいい妄言やな」
よし、ならば踏ん張るぞ。踏ん張って、岸辺織葉の靴箱の位置を探り当てやるぞ。
ヘコタレていたって仕方がないのだ。ひとまず同じスカーフの色の生徒の波に乗って様子を見てみる。朱色のスカーフだ。すると、大体の位置関係が把握できるようになってくる。この分だと玄関側から見て右から一年生、二年生、三年生、かな。
すると、やはり三年生エリアのどっかに岸辺織葉の靴箱があるはずなのだけれども。
三分の一に絞れたところで分母が分母だ。まだまだ、踏ん張ってかないといけない。
しかし、岸辺織葉は三年一組だったか、すると真ん中付近の列とは考えづらいのではないか。
「……すると、『一組』なんやから当然、三年生エリアの両端のどっちかやないのかな」
……そんな算段で、ウロウロと彷徨っていると。
「…………おぉ、ビンゴや、ビンゴ。みっけたぞ!」
あれ、僕、実は地頭が良かったりするのかも。
やっとの思いで発見した『一組』の下駄箱は玄関内でも奥地も奥地、そこには親切にも『三年一組』のシールが貼られていた。これが噂の多様性社会なのだろうか。記憶喪失者にも優しいと来た。グッジョブ、多様性社会。
これで最悪、素足のまま校内徘徊の手段は取らずに済みそうだ。
「……こんだけ絞れれば、あとは気合の全部確認も。…………あれ?」
そんな、我ながら怒涛の頭の弱々な脳筋戦法を一人企てていると。
『3年1組』『10番』『岸辺織葉』
「……あ、あれ。よく見ずとも全部の靴箱に個人名までわかるようにシール貼ってあるやん」
すごいラッキーもあったもんだ。まさか、学年、組、番号、名前、と全部わかるようにシールが貼ってあるとは。
「……いや、でも。…………あれ??」
他の生徒の靴箱にはこんな風にわかりやすくシールが貼ってあるようなことは無かったような、と思ったのだが。
――――――『学年』
――――――『組』
――――――『番号』
――――――『名前』
「……貼って、あるやん。…………はぁ、くたびれ損やんかー」
しかし何故、僕は貼っていないなどと思ったのだろう。一目瞭然なのに。
「…………まー、ラッキーって思っとかんと、やってけへんな」
それにしても、これで脳死作戦決行による冷たい視線を浴びずに済む。これが噂のバリアフリーってやつか。それともユニバーサルデザインか。何がどの様に異なるのかサッパリだが、記憶喪失的には大助かりなのでどっちでもいいね。
さっそく、『岸辺織葉』の靴箱から上履きを取り出す。
「……うん、うん。サイズもピッタリやな。うん」
なんだろう、この込み上げる達成感は。これが奇跡ってやつなのか。
無数に在籍する在校生の数は知れず、莫大な靴箱の群れから『岸辺織葉』の靴箱を当てられたのだ。同姓同名の他人の可能性も『組』、『番号』がわかった時点で解消済み。そう、これは運命と言っても過言ではない素晴らしい何かですらある。
よっしゃ、この調子でバンバンッと攻略していければ……。
「…………バンバン、って。……よく考えてみれば、靴箱見つけただけやん?」
あんれれ、僕の運命的な何かって、けっこうショボくないか。
なんだったら、この先、このような苦労が山脈のように連なっているわけでして。そんで、この下駄箱イベントは謂わば一合目、現状は山の中腹さえ見渡せないわけで。加えるならば僕はまだ片足ローファーのまま茫然自失としているだけだったりして。
「…………あ、あれ。僕、このままでホンマ大丈夫なんやろうか」
まだ、何も、成し得ていない。畜生、こんな場面で受験勉強を怠っていた受験生のような台詞を吐きたくなど無かった。
しかし、この先、僕はどうしたもんか。一応、『三年一組』教室までの道順は生徒手帳の校内見取り図で凌げるだろうが。
「……教室内で、突発的な出来事で、そんなもん対応できるわけ……」
……できるわけ、ないんよな。
たぶん、つまるところ、僕は『岸辺織葉』を知らなさ過ぎるのだ。
――――――キーン、コーン、カーン、コーン。
すると、おもむろに校内へ響き渡るチャイム音。
生徒の動向からして、これは予鈴の合図だろう。
「…………あー、もう。行くしかないやんけ」
小走りで教室方面へと向かう生徒たちを目端で捉えながら、僕の足取りはより重くなるばかりだった。
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