第8話 七月二十一日、午前七時五十九分。
「……なんや、なーんも集中出来んかったー」
その後の散策にて、不覚にも成果らしい成果を挙げられなかった。
何も手に付かず、頭の中で思考が空回りに空回りを重ねて重ねて。
「……そして気付けば登校時間な訳だ。わーお、やっべ」
冗談抜きで、そろそろ出発しておかなければマズい。生徒手帳から道順云々は確認済みではあるが、なんせ初の『外』、初の『道程』だ。前にも後ろにも『道』なんてないもんだから、時間的な余裕ぐらいは確保しておきたいのだが。
「……しかしなー、うーむ、今更やけどセーラー服って」
馬子にも衣装、なる諺があるくらいだ。風説に聞き及ぶところであるが曰く、セーラー服の魔力をもってすれば素性も知れぬ僕のような有象無象の輩でさえも女子高生に仕立てられる、らしいのだが、いざ自分が着るとなると強張るもんらしい。
改めて、洗面所にあった姿見鏡に映り込む。
夏らしく半袖のセーラー服、しかし質素に膝下まで十分に隠れる丈の長いスカート。
成長を見越して注文したのだろうが、三年生になってもぶかぶか感は否めない服装。
「……わぁ、わぁー。セーラー服ってすげぇ」
素直な感想であり他意はないが、すっげぇ。
ちょっとだけ語るが、機能性に優れている点はわざわざ論じないが元来セーラー服は海兵の制服であったそうだ。あの屈強で精悍なイメージの海兵は女子高生だったのだろうか。いや、海兵は女子高生ではない。現代のセーラー服は見た目もさることながら文化や叡智が編み込まれているのだ。文化や叡智が女子高生を形作るのだ。よって現代であればムッサい海兵でも瞬く間に女子高生になれてしまう時代なのだ。セーラー服、すげぇ。もはや視覚で匂いまで感じらちまう代物だぜ。奈良の正倉院に飾られる日もそう遠くないかもしれないな。ははは。
「……モデルがちんちくりんでも女子高生だ」
ごめんなさい。他意は少しだけありました。
だが、なるほど、こいつに文庫本でも持たせてやれば『文学少女』の完成だ。
昨今のデジタル化した日本社会では希少種ないし絶滅危惧種の認定をされそうな人種であるが、まさかこんな場所で出逢えるとは。
「……ごほん。ともかく、変ではないかな。なぜならばセーラー服なのだから」
玄関には履き揃えられたローファーが一足分。あとは何足か靴箱にあるが登校にはローファー、セーラー服にはローファーであろう。
さて、いよいよ『外』への初陣だ。緊張で手先が冷たいが、ともかくローファーに素足を突っ込みながら、何気なしにさっき鞄に詰め込んだ持ち物を再度チェックする。ノートに筆記用具、生徒手帳に、例の復習ノートが数冊。
例の復習ノートは時間割事情が不明であるが教科書を嵩張らすわけにもいかず、苦肉の代替策用である。
「……でも、ま、夏休み前やし。そんなにガッツリ授業もないやろ。たぶん」
それに、この復習ノートなら小難しい教科書よりも参考になる気がする。ぜったい。
数えて五、六冊拝借したのだが、その一冊『人文科目古文(三年生)復習ノート』を捲る。
「…………まー、うん、機械フォントな文字列も相まってスゴさだけがビンビン伝わりますね」
あり、をり、はべり、いまそかり、で古文の門を跨ぐ気力が削がれる程度には古文に興味のない僕が講評なんぞ烏滸がましいが過ぎるだろうが、古代人でさえ読む気が削がれそうな詰め込みっぷりだ。ここから得られる情報量は文字数に比例せず「わぁお」に集約する程度には読めぬ。ぐぬぬ。
そもそも、現代日本人っ子の僕が古文で何を会得すればいいのだ。あれか、フィーリング的な何かかね。
確かに、日本人同士でも母国言語が同じのはずなのに意思疎通が難しい人が沢山いる昨今だけれどもね。
……なんて、復習ノートの本筋に触れないぐらいには無関心だったのだが。
「…………ん、落丁かな」
もちろん、内容が飛んでいる云々であれば気付ける余地などなかったろう。
ただ落丁を疑ったのは本文内容ではなく右端上、日付の欄である。
『7/14 夕方』
七月十四日、というと、本日七月二十一日から約一週間前なのだが。
しかし、七月十四日以降に続くページは白紙のまま。サボりってのも考えたが、それは短絡的思考ってもんだろう。『僕』であればいざ知らず、『岸辺織葉』の勉強用ノートだ。会ったこともない人物を語るほど滑稽なこともないが、『岸辺織葉』がそんな真似をするモノなのだろうか。
確認すれば、やはり他の日は一日とて欠かすことなく続いている。
本当に、ここ一週間分だけがゴッソリと抜け落ちてしまっている。
「…………まー、でも、サボり、ちゃうのかなー?」
…………ちゃいますねん。
正直、変態的な努力家である『岸辺織葉』の勉強癖だが、落丁がそれほど重要だろうか。
まだ仮の仮の仮説の段階ではあるが、ストレス過多の可能性は既に考えを巡らせている。
だったら、体調面や精神面で支障をきたすだなんて人間らしい休み方ではないか。
それに、本当に今ばかりは時間が惜しい。このままだと遅刻の可能性も現実味を帯びてしまう。初めての道地に、初めての登校、なんだったら初めての『外』。ノートの落丁云々ぐらい後回しにしたってバチは当たらんはずだ。
ひとまず手元にあったノートを鞄の中に戻し、僕は玄関ドアを解錠する。
「……でも、この復習ノート、ただのサボりとも思えんのよな」
教科書類を抜いたために軽くなった鞄の底をバンバンと叩きながら僕は『外』を見る。
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