第4話 七月二十一日、午前六時二十三分。

  辞書で引くところの『真面目腐った』なんて単語の生き字引のような眼、なんて表現が妥当な眼だが、オブラートに包まずに言い表すのであれば平気で人間を二、三人呪い殺していそうな腐臭漂う眼だった。これを真面目だなんて形容するのだから、世も末だ。現代っ子の未来が危ぶまれる。

「…………ははは、でも、お可愛いですよ。はは」

 さて、ご覧のとおり、僕の現実逃避スキルもそろそろ地上スレスレで擦り切れそうな様相を呈している。刮目すべき諸問題が無限大に広がりを見せるもんだから八方塞がりも甚だしく逃げ場もないわけだが、真面目腐った目に写る現実は変わり映えのしない非情さだけであった。

 たった一つの、出来の悪い脚本家の骨子のような現実。

 それすなわち、記憶喪失で『僕』自身誰だかわからず、

 その上、まさか女の子にもなってしまった現実である。

 笑い種にしたって些か質が悪すぎる、妙ちきりんな奇天烈展開だ。

「…………はぁ。ほんま、どないしよ」

 どないしよう。どないしよう。病院に赴き診察を受けようにも上手い問答さえ思いつかない。僕、こう見えて記憶喪失な上に男の子だった気がするんです。なるほど、受診すべきは精神科か心療内科だろう。強めのお薬も必要かもしれない。

 それに、そんな事実を医者に信じて貰おうにも、なにぶん、一番僕が信じちゃいないのだ。

 どなたか、腕が良くて頭のおかしい患者相手にも親身なお医者様をご存知ならば是非紹介してほしい。

「……それにしても、この女の子、どうにもカワイサはあれどもカワイゲのないことよ」

 腐臭漂いそうな眼もさることながら、ぱっつんと揃えられた前髪、控えめな肉付き、成長見込みの痕跡だろうぶかぶかパジャマ、なんて萌え要素の宝庫のはずなのだが、何故か一向に萌える気がしない。萌え萌えキュンっとしない。

「……スンスン。なるほど。匂いは女の子っぽい」

 何故、僕は僕の体臭を嗅いだのか。そんなものは奇行ゆえに僕自身も定かではない。

 ただ感想を述べるのであれば、そうですね、街角のお花屋さんのようでしたね、丸。

「……そういえば、胸、あるのだろうか」

 いよいよ奇行の域を超えて犯罪臭がしそうなのだけれども。

 だが、定番ではないだろうか。自分の身体が自分の身体ではない、ましてや自認する性では無いのであれば、胸を少々弄くり回すなんて通過儀礼でさえあるはずではないか。ただ能動的に行為に及ぶ馬鹿野郎はちょっとばかし寡聞にして存じ上げないわけだが、一刻を争う事態にどうして胸を揉むぐらいの蛮行が許されない。いや、許されるはずだ。

 しかし、社会通念を知るところの僕は「当該行為は変態の所業」であると言って聞かない。

 これはちゃんと胸に手を当てて考えてみるべき事由なのではなかろうか。胸だけに。

「……けど真面目な話、記憶ないんやからなー。この身体の違和感が単なる思い込みや勘違いの可能性もあるわけやしー。ちゃんとチェックして、直面している事実を確認しなければならならい。それはそこまで糾弾されることなんやろうかー」

 ならば、何を恐れよう。

 ならば、何を言い訳がましく弁明しよう。

 正々堂々、何の気負いも無く、僕は僕自身の胸を揉みしだけばいいのだ。

「……よし、詭弁は弄した。では、失礼して――――――」

――――――んー。んー。んー?

「……………?」

 確かに、僕は『胸があるのかどうか』なる問題についての検証を行ったはずだった。

 この『胸があるのかどうか』なる問題として期待されるアンサーは僕の身体が本当に女の子なのかどうか。関取さん等の特異な事由でもない限り胸のある男の子は少数派だ。故に胸があれば女の子な訳だ。そのため当該問題に対する抜群の答えを得られるはずだったのだが。

「…………え、胸。胸が、あるんか、これ?」

 下手をすれば男の子以下だった。

 確認作業を行なっておいて何だが、女の子でない可能性などは考慮していなかった。

 すると、『オトコの娘』となるのだろうか。『オトコの娘』にしても無い気がする。

「……うーん、じゃあ、股ぐら探るかな」

 女の子なのか、それともオトコの娘なのか。その微細にして決定的な性差は股にある。

 だから男子以下の無乳相手に特段の躊躇することもなく下着のさらに下から直接確認してみたのだが、鎖骨を弄られるかのような不愉快さを味わう羽目となった。局所的な不快感が、全身隈なく駆け巡るような、そんな不快感であった。


 そう。つまるところ、僕は正真正銘の女の子だったらしい。

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