☆第35Q 獣の咆哮

 この休憩時間。水咲の相手である筑波凛城つくばりんじょう側のロッカーは、選手・コーチが全員いるものの誰もが喋らない空間となっていた。

 その中で、最初に口を開いたのは監督である小西であった。


「――相手の自爆が多いとはいえ、いくら何でもやられすぎだ」

「監督、そりゃ皆わーってる」


 自身の顎に生えている無精髭を何度も手のひらでなぞり、真剣な表情で話す。それを見つめる選手達の顔には、焦りは見られなかった。

 追われる側とはいえ、44対25で19点差である。バスケにおいて、セーフティーリードは20点差前後。それが第3Q終了まで保っていれば負けている側の逆転は難しいとされる。それに加え――。


竹馬ちくま、印象はどうだった」

「インサイド陣は聞いていた通りそこまでじゃなかった。けど思ったより相手のガード陣が結構厄介な印象っすね。……今んところ止めれてるけど、不安要素はそこな気がします」

「そうか」


 キャプテンである竹馬ちくまは、この試合を冷静に分析した上で会話する。

 そして他選手も同様に前半までの印象を含め、自身の意見が飛び交う。それはスタメンのみならず、ベンチに座っているベンチメンバーもであった。

 

「個人的には12番朝比奈より4番須田6番路川が怖いな、あそこの2人のコンビネーションで何回かやられてる。9番安藤からの失点もあの2人のパスからだ」

「けど点は9番安藤に取られたが2Qクォーターは抑えることができた。あの状態を見るに結構虫の息に近いだろ」

「出てくるか? あんだけやられたのに後半でてくるなら大したもんだよ」

「逆にさ、7番の海堂が出てきたときはどうする」


 休憩時間が残り10分に迫ってきた頃。竹馬ちくまが頃合いを待つことなく、手を何度も叩く。


「オーケー。もうそれぐらいでいいだろう」


 すぐさまロッカールームは静かになる。それを見計らってか、竹馬ちくまは口を開いた。


「さて君たちの意見は色々出たと思う。では問おう。――水咲の心臓を潰すなら?」


 すぐさま3年の選手が声を上げ、それに続くのはスタメンの2年の選手だ。


「ガードだな、他ポジションはそこまで脅威には見えなかった。1番、2番ポジションのPGポイントガードSGシューティングガードの役割が水咲の根幹にあるんだろう。だとしても、飛び道具のSGシューティングガード9番安藤しか今のところいなさそうだからPGポイントガードを優先的に攻略していきたい」

「だとしたらあの2人のうち、12番朝比奈じゃねぇっす。そうなると5番内山対応が急務。12番朝比奈のときより、途中から出てきた5番内山が司令塔になると周りの動きが一段と違うように見えました」

「まあ数週間前までスタメン張ってたのは5番内山らしいからな。12番朝比奈は所詮1年坊主、まだチームのルールとか諸々身につけられてねぇんだろ」


「……よし。他にも意見がある奴は言ってくれ。些細な事でも構わない!」


 これが強豪校の筑波凛城の名を背負う者達の姿。ここで負けるわけにはいかないという覚悟が見られた。

 


 ――頼もしい限りだ。


 監督として、本当にそう思う。特に、竹馬。お前のその役割は荷が重いはずなのによくやっている。

 小西の心の中で、本音が漏れる。それも相まって、小西の口元には少し笑みが見える。

 

 ――決して、この役目は簡単じゃない。それは分かっている。けれど、俺たちは県内強豪。次のステージである全国に行くには細かなミスも命取りになる。


 そう口には出さずとも語るのは、竹馬だ。


 須田と竹馬の2人は同族嫌悪に近い感情を持っているが、須田と竹馬との違いはキャプテンシーであろう。チームによってキャプテンの役割は異なってくる。

 須田であれば、水咲というチームで率先して纏める必要が無い。その役目は内山が担っているからだ。だが、竹馬は水咲の須田と内山の役割のどちらも担っている。

 結論から言えば、須田は周りの意見を聞きながら仲裁力はあるものの自分が先頭に立って纏める統率力はない。それに対し、竹馬は仲裁力が須田には劣るものの先頭に立って纏める統率力がある。それだけの話だ。


 しかし、竹馬には須田にないものがある。それは『強豪である重圧』だ。


 俺たちはこのユニフォームを着られない奴らの代表だ。そして、去年全国大会で結果を出せなかった過去を清算するために、俺たちは全国に行く。

 そのためには、この試合だけじゃない。全ての試合を落とすことはできない。


 この思いを持つのは竹馬だけではない、他3年の選手が皆その姿勢で取り組んでいる。

 これを何年も続けるからこそ、県内強豪校である所以。


「さ、意見の総括もそれぐらいにしとけ。後半の作戦を伝えるぞ。少しでも座っとけ」


 そう言いながら、小西は選手達に座らせる。


7番海堂を温存している理由は分からないが、点差を考えると相手はおそらく9番安藤が後半からまた出してくるはずだ。そんとき重要になるのはお前だ」


 監督である小西が指差した先にいたのは、頭から白いタオルを被る男。白の5番を背負う選手。大狼一生おおがみ かずきだった。

 そんな彼は、顔を上げずに一瞬鼻で笑った後。堂々とした態度で言う。


「つまり誰が来ようと、俺ぁシューターの心をへし折ればいいんだろ?」

「……頼んだぞ」

「へーへー」


 大狼おおがみはタオルを首にかけ、オールバックのように自身のアッシュカラーの前髪を掻き上げる。その際に何本かの短い前髪がひょっこりと現れるため、大狼おおがみからすれば鬱陶しいようで何度も前髪を後ろへ流す。

 その間にも小西は続けて、竹馬と久保原くぼはらに指示を伝える。竹馬は冷静な面を見せ、久保原くぼはらは髪色がクリーム色且つにこやかな表情が相まってユニフォームを着ていようと何処か欧州の王子様のような風貌。そのせいか、彼の背景には花が飛んでいるように見える。


「他は前半とシステムは変えない。竹馬、久保原くぼはらはスクリーン来た時、ファイトオーバーでいい。ただし9番安藤だけアウトサイドを打たせないようにチェックな」

「「了解」」


 竹馬、久保原両名が頷きながら返事をする。

 ファイトオーバーとは、スクリーンに対するディフェンスの対応の1つであり、自身のマークとスクリーンをかけてきたオフェンスに付いているディフェンスのマークを変えずにそのまま自身のマークへディフェンスを続けることを指す。


 続けて小西が他選手に会話していく中。久保原くぼはら大狼おおがみに声をかけた。


「何でSGシューティングガードの奴に対してだけ、そんな全人類皆敵みたいな態度なんです?」

「うっせ、俺ぁ元ポジションの奴らに負けたくねぇだけよ」

「嘘だ、本当にそれだけ?」

「ちっ、もういいだろ。あと一生いっせい言うな殺すぞ」

「おぉ、こわこわ」

「……てめぇに言われたくねぇよ糞生意気な後輩な腹黒王子」

「何か言いました?」

「チッ、なんも言ってねぇ」


 久保原くぼはらが笑顔でちょっかいをかけていると、大狼おおがみは不機嫌そうに会話を強制終了させる。

 

「先輩、良いんですか? 大狼おおがみさん、今の状態結構キテません?」

「えー、別に良いよ」

「えっ緩くないですか?」


 1年の選手が久保原くぼはらに声をかけるもニコニコとした表情で受け答えをする。


「えぇ? 別に自分の役目果たしてくれるならいいじゃん。何だかんだ筑波凛城うち心臓エースなんだし」

「えぇ……」

「さー、試合だ試合。ほら大狼あのせんぱいはどうせいつものルーティンでまだコートに行かないから、ほっといて行くよー」


 緩い空気を纏う久保原くぼはらに対し、もう1人の1年の選手が肩をトンと叩きながら言う。


「……俺達1年が心配することじゃないんじゃない? さっきも2・3年の先輩達なんも思ってなさそうだし」

「そっか」


 そうして、筑波凛城つくばりんじょうの選手やコーチがコートに戻った後。

 気が付けば、誰一人としていなくなったロッカールームにずっと佇む男が1人。

 その男は、大狼おおがみであった。


「チィッ!」


 舌打ちがロッカールームに反響する。

 残り時間も少なくなっているのは自覚しているものの、自身の地雷を踏まれそうになったからか、この怒りは収まらない。


 ――胸糞悪ぃ。思い返せば、あのミニバスの試合から俺は変えさせられたんだ。


 思い出深い、とは程遠い。怒りしかない思い出を思い出す大狼おおがみ。その額には、青筋が刻まれていた。



 俺はミニバスの頃からやってる。昔から身長はそれなりに高い方だったし、中も外もシュートは得意な部類だった。

 それもあって、SGシューティングガードとして俺ぁそれなりに強ぇ方だったはずだった。気が付けば全国にも行っていたぐらいには順調にバスケのエリートコースを歩んでいたはずだった。


 ――あいつに会うまでは。


 あいつに会って、今まで試合に負けても勝負には勝っていた経験が嘘のように、腹の虫が収まらないほど悔しい敗北を初めて知った。

 あれ以来、俺ぁムカつくがシューターの自信を無くした。だから中学に入ってからSGシューティングガードからPGポイントガードにポジションを変えてコンバートもした。ボール運びハンドラー得点屋スコアラーの役割をどちらもできるコンボガードになった。県内ではムカつくが名凰大めいおうだいの奴を除けば脅威になるほど実力を身に着けることができた。他にもシューターって生き物を殺す勢いで昔は嫌いだったディフェンスだって意識的に取り組んだ。


 全ては俺に敗北を教えさせられた奴を見返す、いや見返すだけじゃ足りねぇ。俺のように人生ぐちゃぐちゃになるほど潰してやる。

 だからこんな県内、県外のシューターを何度食い殺す勢いで止めても、この腹の虫は収まらない。

 俺が人生をかけて潰したい奴は京都にいる。潰すには全国に行くしかない。だからこそ――。

 

「俺は地獄を這いずり回ってでもてめぇを殺すためならなんでもやってやる。――要栄太かなめえいた、てめぇを潰すためにな!」


 タオルから覗かれる瞳には、猛獣のような殺気が宿っていた。

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