☆第31Q 俺らなんて眼中ないってよ
「どっちが勝つと思う」
「やっぱ筑波だろ。というか、県内でも名凰大と筑波、それ以外みたいに実力差あるじゃん」
「まあそうだけどな。つか、水咲って強かったっけ?」
「弱ぇんじゃね? だって俺らが覚えてないぐらいだし」
「そうだよな!」
2階席一番前の手すり近くで試合を見る、他チームの選手2人が喋っている。その内容が聞こえたのか、リズミカルに舌打ちをしながらメンチを切るのは白橋である。
「えっあの」
「コワッ」
白橋を見た2階席にいる2人は、ドン引きした表情でコートを見下ろす。そんな中、面倒事を察知した須田はキャプテンモードで白橋の頭を小突いた。
「おーい、白橋くぅん?」
「げっ須田さん」
「俺の心労を考えてくれ? 試合前なんだよ? ナウで」
「けど須田さん、舐められるの悔しくないっすか!」
「まずこの状況が悔しいよバカタレ! やるならひっそり親指を下に向けるとか、中指立てるぐらいにしなさいよ!」
――中指立てるのは良いんだ……。
2階の観客席にいた父兄、他チームの選手が内心呟いた事である。
「大変っすね、子持ちキャプテン」
「おい朝比奈ァ! 笑ってんの聞こえてんだぞ!」
ププッ、と口元を手で隠しながらわざとらしく笑う朝比奈。須田は朝比奈を指差しながらも白橋をヘッドロックを続ける。白橋は、「ギブっギブっす!」と須田の固く引き締まった上腕二頭筋を何度も叩いていた。
「おーいお前ら」
ジャージの長ズボンのポケットに片手を突っ込みながら近づいて来るのは、水咲高校のコーチである桝田だ。相変わらずの寝癖とは違うパーマがかかっている黒髪が特徴の彼は、ここ2年ほど前まで現役だったこともあり、桝田を知るBリーグファンはどよめいていた。
「桝田、マジでコーチしてるんだけど……」
「ほんまや……あのネットの噂本当だったんだな……」
近年、男子プロバスケのリーグであるBリーグの認知度は上がってきているが、野球やサッカーに比べると天と地ぐらいには人気の差がある。それに加え、桝田は日本代表候補まで上り詰めたことはあるが、日本代表に選ばれることなく現役を引退している。Bリーグを追っているコアなファンでない限り、認知されていないだろう。
テレビが最もバスケの話題で挙げるのはNBA挑戦している選手やアメリカへ渡った日本人、その次に日本代表の人気選手達と並ぶ。正直なところ、国内リーグには目を向けないのが実情だ。
「マジで桝田選手いるじゃん! 俺あのブリッツ東京時代のすげぇブザビ好きなんだよー!」
「分かる。練習でもいいから、スリー打ってくんないかな」
コアなファンでない限りとは言ったが、桝田は人気動画サイトでBリーグ公式に挙げられたある動画は劇的なブザービーターの人としてはそれなりに認知されていた。
そんな突然会場の雰囲気の異変に気付いた桝田だったが、原因が分からず首を傾げる。そして、用があったことを思い出し「そうだ」と手を叩く。
「
桝田の指差す先には怒りオーラを纏う桐谷がいた。ゴゴゴゴゴ、と効果音が出るぐらいには。
「遊びに来てるわけじゃないんだぞ、と説教したいところだが……まぁ緊張し過ぎじゃないだけいいだろう」
「「う、うぃっす……」」
委縮された須田と白橋を横目にはぁ、と溜め息を吐きながら眉間を揉む桐谷。
「そんじゃ、スタメンは昨日言った通りのメンバーでいく」
「はいっ!」
5人がベンチに座り、その目の前には桐谷が床に膝を突きながら作戦盤に張り付いている2色のマグネットを使って選手達へ説明していく。
残り1分となった試合前の時間。相手チームはベンチからコートへ歩いていく。だが、桐谷はスタメン5人の視線を逸らず真っすぐに見る。
「相手が全国クラスとはいえ、最初から走り負けるなよ! ディフェンス、リバウンド全員で意識しろ」
「はい!」
「今日に向けてベストメンバーを選んだつもりだ、全力で挑んで来い。行くぞ!」
「はい!」
桐谷が何度も手を叩きながら鼓舞し、選手に声をかけていく。
―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―
水咲高校 スターティングファイブ
・4番
・6番
・8番
・9番
・12番
―☆―☆―☆―☆―☆―☆―☆―
「正直言って、俺はこれからの40分間が怖いです」
「おいキャプテン」
小突く安藤に、「いてっ」と声を出す須田。
「周り見て見ろよ。他の奴らからすれば俺らなんて眼中ないってワケ」
「レッツゴー筑波!」と掛け声が2階から聞こえる。その声の主達は、深緑のTシャツを着ているベンチに入ることのできない
――これが強豪。強豪の勝たねばならないという圧。それを諸共しないスタメンとして出てきた5人の選手。
「今年も県予選優勝しろよ筑波ー!」
「今年も全国行けるぞー!」
「勝てー!」
「
2階の客席を見ていなくても、
――この会場にいる人間全員、俺らが勝つことを考えていない。
それもそうだ。相手は、県内の高校の中でも全国出場という山の頂上に近いチーム。俺がこの場で地べたを転がりながら喚いたっていいが、周りの評価は変わらない。
つか、流石にそれやったら他の奴らにどやされそうだし桐谷先生と桝田さんに怒られるの確実だしな!
そんな思考回路をしている
――そんなんで俺達が諦められるわけねぇだろ。
強豪が何だ。強豪だから、必ず勝つ? そんな通りは無い。
須田の脳裏には、色んなシーンが流れる。互いの胸倉を掴みながら怒鳴る内山と海堂。10人近い水咲高校男子バスケ部のジャージを着る男達が去る後ろ姿。
――もう誰もあんな目にはさせない。そのために俺は、慣れない主将になったんだ。
無意識に爪の跡が残るぐらいに拳を強く握っていた。
「――」
「ん? ああ悪い」
その様子を見ていた路川が、須田の手をワザと強く引っ張って握っている拳を開くように促す。その顔は普段の優し気な顔とは程遠い。怒っていると誰が見てもわかる。
少し落ち着いた須田は、他スタメンのメンバー4人の顔を1人ずつ見た後に大きく息を吐く。
「悔しいけど、周りの評価は俺らが筑波より下だ」
「試合前から随分と弱気じゃないですか、キャプテン」
キャプテンである須田に対して笑う白橋の周りには、呆れたように見る須田と白橋を除いた3人の選手。
「けど――」
須田が何かを言おうとしたのを聞いて、他メンバーは静かに待つ。
一拍、数秒だっただろうか。須田は意を決したように真剣な表情で話を再開した。
「難しいことをやるわけじゃねぇ。いつも通り走り勝つ! そんじゃまぁ、俺たちのバスケやりに行くぞ!」
「「おおっ!」」
その頃、ベンチでは。
(2年の白橋と常日頃一緒にいるイメージがあると思われている)江端と藤戸が2人でコソコソと耳打ちしていた。
「まさか内山さんが、スタメン落ちするとは思わなかったな」
「まぁ数日前の練習からパス・シュートの調子落としてたってのもあるかもな」
コーチである桝田とマネージャーである小澤と並ぶ列の次に座っている内山。
その姿は、スタメンから外されたにしては落ち着いているような表情に見える。しかし、自身の身に着ける紐のヘアバンドを何度も触ったりと忙しない。
明らかに動揺は顔には出ていないが、行動には出ていた。
――くっそ、結局スタメン落ちかよ。
座り始めている中、夜野は顎に手をやりながらコートの中央に集まる両チームのスタメンを見る。
羨ましいとは思っている。だが、実力がまだ伴っていないという事実が胸に刺さる。現実は甘くない。高校に入ったからすぐ上手くなるわけではない。
それを受け入れるしかないとはいえ、2か月前まで中坊だった夜野は理解していてもそれを呑み込むことはできずにいた。
――試合前日に桝田さんからあんなこと言われるから余計に……。
『明日の試合、余程の事が無い限り
舌打ちをしたい気持ちに駆られるが、監督やコーチである桐谷や桝田がいる手前そんなことはできない。
――コーチの権力を振り回しやがってんのかあの人!? って思うぐらいあの人、俺にきつくない??
そんな荒れた心理状況の中、神経を逆撫でをしてくる人物が近くに来た。
「やあ、スタメン落ちくん」
「てめぇ何しに戻ってきやがりましたか畜生」
「髪縛るの忘れてたから、ヘアゴム探しに。……おっと、あったあった」
朝比奈は自身のスポーツバックから黒いヘアゴムを取り出し、男にしては少し長めの髪を後ろで縛る。
「じゃ、精々ベンチ温めてなよ。僕は先にコートで活躍しに行ってるから」
「朝比奈ァ、てめぇのこと後でぶっ飛ばすからな!」
「対抗意識むき出しじゃん」
「石橋ィそう言いながら笑ってんじゃねぇよ!」
夜野は喧嘩腰で叫びながら、朝比奈に指を向ける。今までの夜野であれば、悔しい気持ちや敵意を全面的に出すことなく内心に留めてきた。しかしここ数か月水咲高校のバスケ部で過ごしていくうちに、以前より自分を出すようになった。
とはいえ、今の夜野は暴走に近い。それをおどおどしながら取り押さえるのは銀髪が特徴の前岡である。身長差もあり、前岡の腕が丁度夜野の首に入り窒息しかけている。それに気づいた石橋は前岡にそのことを伝えるが、その声は夜野の状況が面白いと言わんばかりにヒィと笑いが混じりながら喉を震わせた。
「まるで俺達倒してやる、って感じですよ向こう」
「強気っスね」
「当たり前だろ、俺たちはこの大会勝ちに来てんだ。こんなところで負けてられない」
「まぁそうっスね」
「けど、僕たちだって全国行きがかかってるんだ。負けるつもりはないよ」
「「当然」」
コートに立つ白を基調とし、深緑のラインが入っているユニフォームを着ている彼らがそんなことを呟いているとは知らずに。
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