第27Q 試練はすぐ目の前に
時間は少し遡り、反省会を選手たちが行っているときである。桐谷と桝田は体育館の壁際に寄りかかりながら、クリップボードに挟まれたある1枚の紙を見つめていた。
「いやぁ参った、どうすっかなとは思っていてもそんなに時間があるわけでもないからな」
「おっさん……」
「正直言って、まだインハイ予選じゃないだけマシなんかね」
「さぁな、そう思うかは選手次第じゃねぇの」
「まぁそれもそうだな」
ポキポキと音を鳴らし、肩を回しながら「年かな」とぼそりと呟く桐谷に桝田は「後10年ちょいでこうなるのか、嫌だなあ」なんて当たり外れな事を考えていた。
桐谷自身、年々増える白髪と顔の皺や身体の不自由さを実感していたが、ここ数年でほんのり出てきた腹を凝視する桝田に耐えかねて桐谷本人は去年から筋トレをするようになった。桐谷はそれのおかげで身体はそれなりに動くとはいえ、「白髪はどうにもならんなぁ」と自身の前髪をねじりながらひとりごちる。
「さてと、ある程度生徒たちのクールダウン終わったら
「まぁそうなんだけど、ってかおっさんこれ今言うの? この状況で?」
「別に早くても遅くても変わんないだろ」
「まあそうだけどさぁ」
「何を当たり前のこと」ときょとんと桝田を見る桐谷。昨日までなら桝田は何事もなく縦に首を振っていただろう。しかし、桝田には先程の試合最後2分間の内山の動きがどこかぎこちなく見えており、今も内山を心配そうに見つめていた。同じチームだった人間と会話している様子を見た限りまだ大丈夫だろうと認識しているとはいえ、桝田は桐谷に懸念している事を伝えた。
「てかおっさん、強豪校出身でもない子にきついんじゃないのこの状況……」
『
これは桐谷や桝田が色々な伝手から手に入れた試合のビデオを片っ端から過去の試合を見て、そう結論付けていた事だった。しかし、と桐谷は朝比奈を見ながら考え込む。
中学の頃から小柄だが同世代の中でもゲームコントロール、パスセンスは群を抜いていた。全中準優勝に導いた立役者の一人、『アシスト王子』、なんてメディアからそう華々しい実績を持ってしても尚、朝比奈の顔はどこか別の事を気にしているように見える。それに。
――本人は『アシスト王子』とか言われているの嫌ってるっぽいしな。
桐谷は入学前に一度朝比奈が所属していた中学に出向いて、スカウトに近い面談をしていた時の出来事の一部を思い出していた。
「まあ
「僕、中学のときみたいなプレーしたくないです」
「はい?」
「周りを活かすだけの試合つまらないですし」
「はぁ」
「それに、なんていうか。上手く言えないんですけど、今までのやり方って小学校の頃からやってるから癖になっているっていうか……」
こだわりがあるんだろうな。
だが、今日のあの時間何があったのか知らないが朝比奈は自らシュートを狙って決めた。朝比奈の表情から見ても何かきっかけがあったに違い無い。一歩前進した、と見ていいだろう。
だが他にも気になったのは
「俺はな、
表情1つ変えず話す桐谷に桝田は無意識にピンと糸を張ったかのように背筋を伸びる。そして試合中、桐谷が口にしていた言葉を脳裏に浮かべる。
『おそらく内山はドライブし、フリースローライン付近からのミドルシュート。けれど生半可な気持ちでいると朝比奈に喰われるのは内山の方だ。3年と言えど、今後朝比奈に食らいつけるかは内山次第だな』
桝田自身、コーチとして水咲高校に来たのが夏休み中だ。その桝田でさえ知らないとなると、おそらく4月から7月頃にあの3年の生徒達と何かあったのだろうと推測はできる。
――まあ外野が口出すものじゃないな。
こういうときは俯瞰した方が良い、今までの少ない人生経験を基に桝田はそう結論付けた。
「はいはい分かったよ……とはいえ、マズい状況にならないといいけど」
「大丈夫だろ、内山なら」
「どこからその自信が出てくるんだか……」
桝田はお手上げですと肩を竦めながら、丁度出て行った内山の後ろ姿を見つめていた。
――――
誰もいない廊下。
ガンッ、と壁を殴る男がいた。
「――ッ」
痛い。
じんわりと手の側面の鈍痛。
これは現実だと突きつけられる。
手のひらをゆっくりと開く。男は手のひらを何度も開いては閉じてを繰り返した。しかし表情を見ても別の事に意識が向いているのは確かな程、どこか思い詰めているようだった。
「……ははっ」
自身の気持ちを体現しているかのようで、この廊下へ来る前にタオルで拭いたはずが、大量の汗が額から顎へ伝っていた。
男の名は、
学生とはいえ、170cmとバスケットボールという競技をしていく上で小柄な部類に入るその背中は、普段であれば大きく見えるはずであった。
――怖気づいたのか、目の前にいたあの1年に。
朝比奈と対峙したのは今回が初めてでは無い。なんなら、この1か月という短い間でも他の水咲のチームメンバーの中で5本の指に入るほど相手にしてきた。
それでもあの瞬間だけは今までと違かった。そう内山は、あの試合を振り返る。
今まで敵意のようなものがあるのは視線やプレーである程度理解していた。けれど最後のあのプレーからの威圧感は只者じゃなかった。
――喰われる。
あのとき感じたのは、獣を対峙しているようなものだった。
「久しぶりだな、この
誰もいないこの廊下の空間。内山は1人、空笑いしつつ頭を掻く。
「
頬を両手で何度も叩き、自身に向けて鼓舞する。
それでも手の震えが止まらなかった。
――――
次回から一人称視点(夜野視点)に戻ります。
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