第14Q エースの不在
4月21日木曜日。放課後。
実は、本日から関東大会地区予選の1回戦が始まっている。本来ならば、試合会場である体育館に向かうところ。
俺たち水咲高校は2回戦からなので、明日から現地入りとなる。そのため、今日は試合前の最終調整日だ。
1年でも、初心者組はここ最近いなかったコーチである桝田さんによる講習が行われているなか。経験者組である俺、朝比奈、石橋の3人は明日から始まる関東大会地区予選には選手としては出ないものの、最後のゲームで先輩達の練習相手として動けるように同じ練習をしていた。その練習の最中に「集合!」と須田さんの声が聞こえ、男子バスケ部の部員一同が同じ個所に集まる。その中心には、動きやすい上下ジャージで書類が挟まれているバインダーを手にもつ桐谷先生である。
「さて、これから5vs5で明日の確認を行うつもりだ。上級生は分かっていると思うが、例えスタメンではなくとも、ベンチにいる以上。いつでも出られるように気持ちは持っていてほしい」
ひぃー、と悲鳴に似た声が飛び交う。それはどこか、「ふぅー!」とテンションの高い声音の様にも聞こえるが。現実は、そんな楽しいものではない。
「くるぞ」
「いっつもだよなあ、うち。最終日のゲーム前にスタメン発表するの」
「はらはらするわ」
まるでお昼時の混んでいるファミレスのように、ガヤガヤと色んな声が聞こえる。だが一際目立つ声があった。
「わ か る」
「おい
須田さんが胃の部分を摩りながら、同意をする姿に内山さんがツッコミを入れる。そんな和やかな空気もすぐに消えることになる。
「――では、スタメンを発表する」
「今回のスタメンは、以前の新人戦と
「4番、須田」
「はい!」
腹を円を描くように摩りながら「よかったー」と零すのは主将である、須田さん。ポジションは
「5番、内山」
「はい」
副キャプテンである、内山さん。170㎝という小柄な身長から繰り出される様々なプレーは、普段の落ち着いた性格を象徴しているかのように冷静だ。個人的に気になるのは、練習中に前髪をちょこちょこ弄るところを見かけるので前髪切ってしまえばいいのではないかと思うのは俺だけではないはず。
「6番、
「はい」
無造作な黒髪と太めの眉が特徴に加えて、本人の言動やら性格を丸ごとひっくるめて『優しい』を体現している3年の先輩である。身長も193㎝で、ポジションは
「3年は以上だ、……といってもうち3年3人しかいないからな」
今までバインダーに視線を落としていた桐谷先生だが、「ハハハ……」と後頭部に手をやり、力なく笑う。
「去年から桐谷先生がうちに来たのは知ってる?」
安藤さんがずっと隣にいたのもあり、そっと耳打ちしてくる。
「まあはい、ご本人から聞いてはいますが」と記憶の片隅にある重箱の隅を突いてみる。多分言っていたよな……なんて少し不安になりながらしどろもどろに言うと、「……ならいいかなあ」と言う安藤さん。その表情は少し固い。
「練習がさ、ほらここ2週間ぐらい体感してみて分かると思うけど結構うちってガチじゃん? だから実は、練習に耐えられないとかで辞める人が続出したっぽいのよ」
「しかも、今の3年の代ほとんどが消えたらしいんだよね」と付け加えられた情報に俺は思わず目を見開いて、ギョッとした。当時となると、2年生。インハイ予選で県ベスト16にならないかぎり冬のウィンターカップの県予選にすら進めない。つまりインハイである一定のところまで勝てないと、どちらにせよ実質の引退である3年。その後、 関東高校新人大会が11月には地区予選、1月には県予選があるとはいえ2年の代が中心となっているなかだ。そこで主体となるはずの代の人数が少ないとなると、1年の力も必要になる。
――最近話題に挙がるあの人は、もしかして2年生なのだろうか?
ふと湧いた疑問に思ったことを安藤さんに聞こうとするが、桐谷先生の鋭い視線がこちらに向けられ、背筋がスッと伸びる。それに対して、「はいはい分かってます」と喋れる状況であればそう言っていたであろう安藤さんは肩を窄めていた。桐谷先生は、少しため息交じりの声を上げたのちに。こめかみに指を当て、ぐりぐりと押しながら短く簡潔に言い切る。
「残り2名は、2年の安藤と白橋でいく。以上」
白橋さんは、よく安藤さんと一緒にいるところをよく見かける。髪型は茶髪のツーブロック。そして雰囲気や言動が、まあ……結構チャラい。本来ならば、安藤さんの方をそう思うはずだ。なにせそのご本人は、金髪である。だが話してみると安藤さんは結構真面目な人だった。じゃあ何で金髪なんですか? と以前聞いたところ、「色々あるんや……」と似非関西弁で言っていた。話は戻すが、白橋さんは本当にチャラくて巷でよく聞く陽キャとだけ言っておく。あとどんなプレーをするかはよく分からない。
桐谷先生は手のひらで顔を2度拭いた後に、言葉を続けた。
「1年は今回ベンチ入りしないが、次の県大会に行くことができればユニフォームを渡すことになる。例え地区3位以内ではなく県大会へ行けずとも、来月にある次のインハイ地区予選にはここにいる1年含め部員全員がベンチに入ると思え」
桐谷先生はそう言いながら、バインダーを2度。まるでドアノックのようにコンコンっと叩いた。まあ音は、そんな可愛らしいものではなく、物を打ち付ける鈍い音だった。「他に質問は?」と聞くなか。
「先生」
目にかかるぐらいの長さである前髪を耳にかけ、手を挙げて発言するのは、マネージャーである小澤さんだ。
「――7番のユニフォームは、どうしますか」
シーンとなったように思う。そして同時に体育館の空気が、一気に重くなったようにも感じた。静かな空間の中で1人、ため息交じりの声で「あー、あいつかぁ……」と呟く声が静かになった体育館に響いた。それに気づいたのか、「うわやべ」と言いながら頭を掻く桝田さんの視線を横に向ける。その先には、目を閉じ、腕を組む桐谷先生。眉間を揉みながら少し考える素振りを見せる。その背中には、何処か疲労も見える。
「……今日も来ていないしな。まあ、今回はそのままの保留でいいよ。誰か、あいつどこにいるか知ってるとかあるか?」
それに対して、ほとんどの人間が首を傾げている。明らかに誰もが知らないと見て分かる。誰もが喋らないなか、他の2年の先輩達が互いに顔を見合わせながら言う。
「さあ……」
「そもそも学校来ているかすら分からないといいますか……」
それ以降、会話も続かない。むしろ、ほとんどの部員が周りに視線をやり、「お前知ってる?」「知らない、お前は?」「知らない」とアイコンタクトが幾度も交わされる。数分経っただろうか。はぁ、と息を吐いたのちに手を大きく叩きながら桐谷先生が言う。
「例えエースである、あいつがいてもいなくても。やることは変わらない。お前らなら確実に今のメンバーでも県大会に行けると俺は思っている。
――まずは明日の
部員全員による「はい!」と揃う声には、多大な気迫が乗せられていた。センターサークルに部員全員が集まり、主将である須田さんが体育館どころか学校中に届くぐらいに喉を震わせ、声を盛大に張り上げる。
「行くぞ、水咲ーー! ファイッ!」
「オオッ!」それに続いて、部員全員が片手を挙げながら負けじと声を出す。人も少し疎らになってきた頃。円陣の後に安藤さんが丁度まだ近くにいたので、聞いてみた。
「――安藤さん」
「ほいほい」
「エースの人、ってどんな方なんですか?」
予想していなかったのか安藤さんは、きょとんと目を開く。「ほほん」という声と共に「うーん」と唸り声が目の前の彼から聞こえた。少し経つと、言いたいことが纏まったのか安藤さんが口を開く。
「いやー、あいつは凄いよ。一言でいえば、
「気長に待ってな、すげー奴だから!」と満面の笑みで返す安藤さんに俺が逆にきょとんとしてしまったのだった。
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