☆第8Q 全力とズレ
リングに直接叩き込む迫力のあるダンク。人1人分の全体重を載せられたオレンジのバスケットリングが下へ沈む。それをした張本人はリングから手を放し、ストンと身軽に着地する。誰1人として、その場から動くことが出来なかった。
「よし、これは結構良い」
明らかに動揺や驚愕するような反応とは裏腹に体育館、特に男子バスケ部側のコートには静寂が辺りを包み込んでいた。そんな状況になっているとは知らない銀髪長身の男子は、呑気にガッツポーズをしながら自陣のゴールへ戻ろうとする。
だが静かになっているからこそ、会話や
「うわ、前岡ってダンクできんのかよエグッ。数週間前まで同じ中学生だったとは思えねぇけどさ……」
「いや、ただなぁ……」
前岡と呼ばれた彼が先ほどダンクをした直後はコートに立つ人間は誰1人、口を開くことはなかった。何分経っただろうか。実際は何秒の世界かもしれない。その後、得点盤の近くに立ちながら見る交代組の新入生達の会話。その声色は、明らかに困ったようなものだった。
ピピーッ。強めに吹かれた笛は、体育館の外に聞こえるぐらいに反響する。その笛を聞いたあとに実際、上級生だけでなく新入生組も少しずつ会話をするようになるぐらいには場の空気が少しだけ軽くなるような気がした。気が付けば、メインタイマーも止まっている。するとすぐに、近寄るマネージャーの女子の先輩によって、無慈悲にある言葉が告げられた。
「ごめん、悪いけど。――
『トラベリング(バイオレーション)』。バスケをする上でルールがいくつか存在しており、その中の1つである『トラベリング』はボールを持ってから3歩以上歩くのは反則というものである。もしやってしまった場合は、ノーカウントになり相手ボールのスローインとなる。例え、シュートを入れたとしても得点が加点されない。0点ということになってしまう。
「ふっ……、天はオレを見放したかっ!」
勢いよくその場に跪く前岡。膝が強く叩きつけられる瞬間を見た人達は色んな意味で、より痛々しさを感じた者も少なくはない。
「めっちゃ歩いてたな……。あと最後の痛そう……」
「Oh......」
顔をゆがめる俺もその1人であり、そして思わず英語が漏れた石橋。だが明らかにその声色は、面白い奴を見つけたときのそれだと分かっているため「またこいつが面白い認定をした人間が生まれてしまった」と、今後の自分自身の高校生活に対して不安がより募らせる。
「前岡―、どんまいどんまい」
「いいじゃん、『オレは跳べる』だっけ? どんどん跳びなよ」
「次はちゃんと決めてね」
「3歩どころか、5歩もっ……ぶふっ!」
「いやー、歩いたな5歩」
「おもしれえな、今年の後輩
前者は新入生側、後者は上級生側の会話だが、どちらからも十人十色の言葉が飛び交う。しかし点にならなかったプレーとなったが、この場に与えた印象は大きいものだった。さっきのプレーを振り返ると、確かに5歩歩いた事実は変わらない。だが、最後の1歩2歩と足を踏み切るタイミングと距離は最適解であったように思う。何せ、前に跳んでいるにも拘わらずボールを持つ手はリングより高いところにあったのだから。ウィングスパン、つまり腕も長いんだろうとな。
「というか、あいつ体育館シューズじゃん。もしかして、初心者?」
「マジ? うわほんとだ。それであれだけ跳べるって才能じゃね?」
そんな会話をしているとは知らずに立ち上がる際に見えた足元のシューズは、確かに学校指定の体育館シューズだった。ポテンシャルもある前岡が、もしこれでバスケの技術を持っていたらと思うと末恐ろしいよ、全く。
「とんでもねえ
無意識に口からまろび出たものは、今の純粋な気持ち。だが口角は何に対してかは分からないが、少し震えていた。そして自身の視界にいる前岡の先を走る、朝比奈の後ろ姿。心でつぶやいた言葉は1つ。
――負けられない。
……
攻守が何度も入れ替わる。それが、バスケットボールという競技では当たり前のこと。分かってはいた、分かってはいたが。
得点盤に視線を移す。
上級生 新入生
11 4
10分ゲームの1回目。残り時間、1分。片や身体が出来上がってきている高校生であるのに対し、片や俺を含め1か月前まで中学生だった奴らだ。高校生と中学生のフィジカルの違いを身をもって知る。
「速攻!」
その言葉と同時に、俺は相手ゴールへ一気に加速する。
前には誰にもいない、これならいける。深く膝を曲げ、低姿勢に――走る!
朝比奈、パスを出すなら前だ。前なら――。
「ナイスカット、よしそのまま速攻だ!」
「くそっ」
「
そう言いながら、再び先輩達のパスに手を出したのは朝比奈だった。ボールは大きくコートの外へ弾かれるのと同時にホイッスルが鳴る。
「アウトオブバウンズ、青」
審判であるマネージャーの先輩の声。するとすぐに、とある人物が歩み寄ってくる。
――朝比奈だ。
朝比奈は、試合開始前の明るさをどこかに置いてきたような雰囲気だ。眉間には皺を寄せ、口調も強めになるような様子で言葉を続ける。
「ねぇ、君。――なんで全力でやらないの」
「あ? 誰が全力を出していないって?」
「さっきのプレー。君があそこでマーク外して先に走っていれば前にボールは渡せたし
「は? 俺だけの責任かよ」
俺らは気が付けば、にらみ合っていた。俺が175cmあるのに対し、あいつは明らかに頭1個分違う。はずなのに、見上げている目の奥に宿る気迫は明らかに向こうの方が強かった。
「別に。ただ僕はそんな奴らに、パスは出さないから」
そう言うと、何事もなかったかのように自陣のゴールへディフェンスに戻るために走り去る朝比奈の後ろ姿に対して、俺は立ち止まってしまう。
「全力……」
「おい! 新入生、やる気ねえのか」
「すみません、考え事してました」
「試合中に考え事すんなよ、ったく」
とある先輩に怒られる形となった。そりゃそうだ。俺たちは仮入部期間だけど、先輩達は今月大会がある。彼らが気を抜く暇はない。しかし俺は、朝比奈に言われていたことについてディフェンスをしながらずっと考えてしまっていた。
――俺は全力で走っているようで、走っていなかったのか?
違う、俺は確かに
あと1歩先に行けば、ディフェンスのマークを抜けた……のかもしれない。だがそれでも、とコロコロと戦況が変わるコートの上でプレーを続けながら、思考がぐるぐると回転する。
そういえば、先ほどの朝比奈はどんな状況でパスをしただろうか?
ディフェンスとの間合い。パスの受け手との距離、取りやすい位置など全ての条件が揃ったときに出るのか。それとも。
色々と考えながらもプレーは続く。
「アウトオブバウンズ、青ボール」
またもや、先輩達にパスカットをされ、ボールはコートに出た。ただ先ほどと違うのは、パスカットされた人物が俺ではなく他の新入生の1人だっただけ。とはいっても、結局はさっきの
「わりぃ、パス取り損ねたわ」
「……」
何も言わずに通り過ぎる朝比奈を横目に、とある同級生の1人がケッとわざとらしく言う。
あいつ、どんだけ同級生に対して敵作るつもりなんだ? むしろ敵じゃないの前岡っていう変人ぐらいしかいないのではないだろうか。変わった奴だな、なんて思いながらディフェンスに戻ろうとすると同級生の2人が話しながら寄ってくる。
「んだよ、気味悪ぃ。独裁者気取りか? あいつ」
「つか、夜野? だっけ。お前も災難だよなー。あんな奴に」
「はぁ……」
まあ、変な奴ではあるけど。独裁者? っていうのはちょっとよく分からなかった。
俺はどちらかというと、
「ま、気楽に頑張んべ。な、夜野」
「そーそー。どうせ、初日のただの部活じゃん?」
「はぁ……?」
「ま、頑張ろうぜー」
肩に手をやってきたり、肩をわざとらしく叩く同級生2人にちょっと嫌気が指してきた。今は例え仮入部期間と言えど部活中だ、真剣にやらないといけないと思う俺と感性が違うのだろう。笑いながら、ディフェンスに戻る姿は分かり合えないな。それよりも俺は速く――。
『あと、全部が速ければいいもんじゃないからな。
「あ――」
――半年前のあの体育館での出来事が、ふと脳裏をよぎった。
パサーである朝比奈が合わせるだけじゃ、ダメなんだ。俺を含め他の選手、パスの受け手がどのように動いてほしいかを察知しなければならない。だからこそ、ズレが大事になる。一瞬のズレを見逃さない、朝比奈だからこそできる芸当も多いはずだ。……確かアシスト王子とか言われてるぐらいだし。
あいつの考えはよく分からない。けれど、これだけは分かる。
このゲーム中にボールを貰うためには、一瞬でもズレを作らなければ。
――ボールコントロールする
相手のシュートが決まり、エンドラインからのスローインとなる。
「……うっし!」
自分の頬をバチンッと叩いた。その音に先輩や同級生が、なんだなんだと視線を寄こすが知らない。2度屈伸をして、空気をゆっくりと取り込んで吐いた。
――やってやる。
そう意気込んで、ゴールへ走り出した。
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