1の可逆性について
@My_Life_Of_Music
第1話
1の可逆性について考察する私を含むすべての人々は、かくも無機質なこの数字・・・自然のうちに数字に捉え難ざるこの物象に魅了されるわけでもなく、かといって夏の眼前をかすめる蚊ほどには煩わしくもないのに、どうも無視できない、無意識に払いのける手を上げてしまうようなモドカシサとむず痒さを感じている。
要は「1つ増やしたモノをまた1つ減らせるか。」という発想である。これを1の可逆性とするなら、1というのは単純な「数」として捉えるには些か不安定では無いか。
1+1=2 、 1-1=0
この何の変哲もない数式に私は敢えて疑問を投げかけたい。それは2という数字が本質的に1+1と同義でいる事を許せるのか?0という有機の無が1-1を用いる事で本当に認識されてしまえるのか?という有り触れた決定事項に対する大いなる疑問符に違いないと、一人の人間の脳みそとして実際に出力された電気信号としての事実を論拠にここで提示顕現させたい。
ただ、現時点で私が考えうる限りの私の疑問に対しての批判を述べさせていただくのであれば、もし私の疑問を解消しうる「返答」があったとするならば、それは完璧にその証明行為の道程において数式を数式として扱わず操作しようとしそれに成功したという事と、数式にしてはいけないと主張していたはずの2や0を1+1、1-1として処理する事に成功したという事が両方とも起き、それを緩やかに許容しきっているはずだという事なのだ。これは巨大な矛盾と捉えるに遜色ない事態であり、もし実際にこの世に存在する全ての2や0が1+1、1-1で表しきれてしまうなら起きない問題だからだ。
現時点でこの至極まっとうに感じる反論に噛みつくのは、私の頑固な心や意地にすぎないかも知れない。しかしこの状況が私には、「常識的常識、単なる正論を容易に発想できてしまえても、少なくともそれに疑問を感じるという現象そのものは確実に存在することが確認されている」状況でもあり、これは正に1+1=2では表せない2の形の片鱗ではないのかと思えて仕方ないのだ。
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