殴られ屋、はじめました
田中ケケ
第1話 殴られ屋ってどう考えても怪しすぎる!
「殴られ、屋?」
とある女の子が、薄暗い路地に出されてある看板に引き寄せられていく。
絶対に怪しい店だ。
そうわかっていながら、もうこれにしか縋るものがないという思いが止められない。
「無料で店主を殴り放題、ストレス発散していきませんか……って、やっぱりどう考えても怪しいよね」
看板の隣にあるのは不気味な階段。
そんなに長くない階段のようだが……本当に終点が見えない。
暗黒世界につながっている階段のように思えてしまって、背筋に寒気が走った。
まるでこれから一生暗闇の中を突き進まなければいけない自分の未来を暗示しているように思えてしまう。
「できれば女の子希望……って、正直というか、羞恥心を捨ててるというか、バカなんでしょうか、ここの店主は」
こんな店、不気味だ、怪しすぎる! と思って警戒しなければいけないのだろうけど、引き返さなければいけないのだろうけど。
「……ま、しょうがないか。ふふっ」
彼女は、なぜか笑っていた。
これぐらいキモい人の方が、かえっていいかもしれないと思ったのだ。
本当に殴れるのかは別にして、店内の様子くらいはうかがっても罰は当たらないだろう。
もちろん、いつでも逃げられるように走る準備だけはしておいて。
「どうせ、これで最後なんだから、別にいいよね」
アキレス腱を伸ばした彼女は、小さく息を吐いてから暗闇へとつづく階段に足をかけた。
*****
「今日はこないよなぁ。さすがに」
店内のカウンターに突っ伏しながら、愚痴る一人の男がいる。
彼の名は
平均的な身長に平均的な体重の、どのクラスにも一人はいそうな普通の男である。歳は二十五歳。名前からわかる通り、日本からグラルディオラという異世界に転生した日本人である。
そして、生粋のドMである。
「『今日は』じゃなくて『今日も』でしょう。こんないかにも怪しい店に入る人なんていませんよ。バカなんですか?」
店の奥からピンクの髪をした女の子が、達道をけなしながら出てきた。
彼女の名前はウルティア・テステート。
昔、困っているところを達道に助けられてから、なんだかんだこうして行動を共にしている。
「うん。今日もウルティアは通常運転だね。もっと俺のことをストレートに罵倒してもいいんだよ。バカ大歓迎!」
笑顔の達道がウルティアに向けて親指を立てると、ウルティアは心底いやそうな顔を浮かべ、唾を吐く演技をした。
「達道さんも通常運転すぎてかなり引いてます。って、そんなことよりも早くこんな店閉めて、クエストを受注しにいきましょう。今月ピンチなんですよ? わかってますか?」
「ぎりぎりの生活を楽しめるからドMって素晴らしいよね」
「私はいやです! だいたい、達道さんが勝手に店舗を借りたおかげで、家賃まで払わないといけなくなってるんですからね! しかも出した店がこんな……『殴られ屋』って、無料って」
「家賃の支払いに毎月怯えることができて、しかも客から殴られるなんて最高じゃないか! 冒険者をやってるときよりも世界が輝いて見えるよ!」
「そのぶれない姿勢をもっと別のところで発揮させてください!」
こめかみを押さえて、うなだれたウルティアはつづけてぼそりと。
「それに、他の誰かを求めなくたって、私がいつでも罵倒してあげるのに……」
「え? ウルティア? なにか言った?」
「そういうところですよ! 達道さんのバカぁああ!」
ウルティアが達道を思い切りビンタする。
カウンターの奥の掃除道具置き場に吹っ飛ばされた達道は、湿った雑巾を肩に乗せ、頭に古い桶を被った状態で。
「ナイスビンタ」
またくいっとサムズアップした。
と同時に店の扉が開き、からんころんと扉の上部に着けられていた鈴が鳴る。
「うそっ。本当に客がきたっ?」
ウルティアが扉の方に目を向けると、そこにはくすんだ水色の髪の毛に、薄汚れた服を着た若い女がいた。
歳は十五、六歳くらいだろうか。
ウルティアと同年代だ。
恐るおそる店内を見渡し、ウルティアと目が合うと、軽く会釈をする。
「あ、あの、私」
「ようこそ。殴られ屋へ」
いつの間にか女の子の前に移動していた達道が優しく語りかけ――
「さぁ! さっそく俺をビンタしてくれ!」
――たかと思ったら、すぐに鼻息を荒くしながら女の子の手を取った。
「さぁ! はやく! ひと思いにっ! 俺にとってはこれがご褒美だからっ!」
「あの、え、いや、その」
「いきなりなにアホなことやってるんですか! 普通に怯えるに決まってるでしょうが!」
ウルティアが達道の背中を蹴り飛ばてから、女の子を抱きしめる。
床に顔面からダイブした達道は。
「さすがウルティアさん。今日もいい蹴りをありがとう」
といつものように喜びに浸るのだった。
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