第3話

 家の中に入ると、一つの部屋の前に案内された。この部屋こそ、家の住人達が集まって仕事を行う時に使う会議室なのだという。

 飛燕ひえんは扉を開けると、紫苑しおんにはここで待っているようにうながす。少女が小さく頷くのを確認して、飛燕は中に入っていった。


「……わりー。遅くなった」

「飛燕!今までどこに行ってたのよ!今日の夕方までに終わらせる仕事があるのに、急に飛び出して行って。あんた無しで終わる仕事じゃないって分かってるでしょ!?」


 いきなり罵声ばせいを飛ばしてきたのは、真っ赤な髪と目を持つ少女だった。巻き毛を両端で高く結んでいる。

 書類の束を手に持ちながら文句を言う少女に、飛燕は目をすがめる。


「…………いや、それは、悪かったけど……」

菖蒲あやめ。飛燕の自己中心的な態度は今に始まった事じゃないんだから、言うだけ無駄だよ。それより俺は、早く仕事を終わらせて欲しいんだけど」

たちばな。おまっ、ひどくね!?」


 飛燕の抗議こうぎの声を無視し、橘と呼ばれた少年は飛燕に書類の束を投げて寄越よこす。


「それ、あとは飛燕の仕事だから。あと、そっちは新しい部品と機械の開発の依頼」

「…………りょーかい」


 投げられた書類を手に取り、パラパラと中を確認し始める。そんな飛燕を横目で見ていた菖蒲は、徐に口を開いた。


「…………それで、街に何しに行ってたのよ」

「……あぁ、それはな……」


 飛燕は今思い出したかのように後ろを振り向き、ちょいちょいと手をこまねく。

 しばらくすると、一人の少女が部屋の中に入ってきた。

 菖蒲がいぶかしげな顔を少女に向ける。


「…………誰、その子」


 急に厳しい視線で見つめられて、紫苑は思わずうつむいてしまう。


「あ、…………の。私、……紫苑、です」


 菖蒲は目を細める。そんな彼女の冷たい視線をさえぎるように、飛燕は紫苑の前に出た。


「俺さ、勝手だけど、紫苑にはここで働いてもらおうと思ってるんだ」

「……………………」


 一瞬の沈黙。

 次の瞬間、菖蒲と橘はほぼ同時に片眉を上げ、しぶい顔をしてみせた。


「……………………はあ?」

「…………いや、無理に決まってるでしょ!そんな、如何いかにもドジそうな子に私達の仕事をさせたら、余計に時間がかかるわよ」

「そんなの最初から決めつけんなよ。それに、…………紫苑をこのまま外へは帰せない」

「…………どういうことよ」


 飛燕は紫苑をちらりと見る。紫苑は小首をかしげた。


「…………飛燕は、特別な力を持っている。それをねらってる奴等やつらがいるんだ。俺の側に置けば、そいつらから紫苑を護れる」

「……………………」


 横で聞いていた紫苑は、飛燕が話す内容に付いていけず、困惑していた。

 なにせ紫苑は、自分が何で化け物と呼ばれていたのかも分からないのだ。飛燕の言っていた通り、自分の力で誰かを傷つけていたのかもしれない。


「……お前らだったら分かるだろ」

「……………………」


 菖蒲は飛燕から目をらさなかった。暫く沈黙したのち、諦めたようにそっと瞑目めいもくする。


「……はぁー。ったく、分かったわよ。でも、彼女にやらせるのは雑用だけだからね」

「そもそも、僕らをハロゲンワークスにしたのだって飛燕なんだ。飛燕が言うなら反対なんかしないよ」

「ーーサンキュー」


 飛燕は菖蒲達に礼を言うと、紫苑をまねいて彼らを紹介した。

 資料の束を抱えてそれと睨めっこしている赤い髪の少女が菖蒲。コンピュータを使って作業している黒髪の少年は橘。この二人は二卵性の双子だとも教えてくれた。

 現在ここには四人で暮らしていて、もう一人はフリージアというらしい。今は寝室で寝ていたのだが、菖蒲が二階から起こして来てくれた。コツン、と階段を降りるくつの音が紫苑の耳に響く。


「ごめんなさい。お客さんが来ていたのに気づかなくて」


 ーーーーフリージアと目が合った瞬間、紫苑、思わず息を止めた。

 髪や目はクリーム色で、さらりと長い髪が腰の辺りまで伸びている。立ち振る舞いや雰囲気がまるでお城の姫君のように可憐かれんだった。肌は白く、顔立ちも整っている。

 紫苑と目が合った瞬間、彼女は華が咲くように微笑んだ。

 彼女の長く綺麗な指先が、紫苑の頬に伸ばされる。


「会えてとっても嬉しい……ーー」

「ーーーー……」


 紫苑は目を見開く。

 ーーーーが、フリージアの手は紫苑に触れる事なく下へ消えた。


「………………へ?」


 驚いた様子の紫苑が下を向くと、消えたと思っていた彼女の体が床に転がっている。この体勢からして、見事に階段から落ちた事が窺えた。

 それを見ていた紫苑以外の人物は、もはやあきれ顔だ。


「…………いや、俺、お前のその、何もない所で転べる才能を心から尊敬するよ」

「い、たた」

「あ、あの……。大丈夫ですか?」


 赤くなったひたいを抑えて座り込む彼女に、紫苑は手を差し出した。フリージアは、軽く笑って紫苑の手を取る。


「ごめんなさい。私、本当によく転ぶんだー」


 そう言いながら紫苑に向かって微笑むと、彼女は手を借りて立ち上がった。礼を述べて紫苑の手を解放する。だが、瞳は紫苑を見つめたままだ。


「確か、紫苑さん……でしたよね?」

「あ……はい」

「挨拶が遅れてしまってごめんなさい。……私はフリージア。フレアって呼んでね」


 ……ふと、フリージアの視線が紫苑の足元に動いた。何かを見つけてか、彼女の表情が更に柔らかくなる。


「ーーーー……まぁ、可愛い」

「え……?」


 紫苑はフリージアの見ている方向を確認すると、あ、と思わず声を上げた。

 その生物を持ち上げて、顔を自分に近付ける。


「……付いてきたんだ」


 その生物は、一見するとりゅうにしか見えないが、よく見ると、所々に不思議が残る形をしていた。

 形や爪、ひげのような象徴的なものは龍のそれ。だが、大きさは両手で抱きかかえてみると少し大きいくらいで、重さもあまり感じない。しかも、自身をおおっているのは鱗ではなく、毛だ。

 それでもおくする事なく龍に触れる紫苑を見て、飛燕は声をかける。


「…………知り合い?」


 飛燕の問いかけに小さく頷く。


「…………私がいた、ある洞窟に、一緒にいて……」


 あの、暗くてせまい、洞窟の中に……。

 そこで一旦言葉を切ると、龍の毛をふわりとでる。龍はくすぐったそうに身をよじって紫苑の肩に乗った。それを見て、紫苑は微笑む。


「ーーーー……がいたから、あそこに居ても寂しくなかった……」

「……そっか」


 そう言って紫苑に微笑み返すと、飛燕の瞳が龍に動いた。ついっと目を細め、じっと見つめる。その瞳は真剣で、何かを考えている様子だった。


「………………お前」


 ……一瞬、龍も飛燕を見た気がした。

 だが、飛燕がそれっきり何も言わずに視線を逸らした為、誰もその視線に気付く事はなかった。

 飛燕は頭を振ると、両手を叩いて皆の視線を集める。


「よし、今日はもう解散な。紫苑は……悪いけど部屋がないから、菖蒲と一緒の部屋で良いよな?」

「は、はい」


 頷きながら、きゅっと龍に触れる手に力がこもる。だが、龍は飛燕によって紫苑から引き離された。


「この龍は、俺と一緒の部屋な」

「え……?」

「大丈夫。変な事しないし、紫苑もそのほうがゆっくり寝れるだろ?」


 飛燕の言葉に多少の疑問は残ったものの、紫苑は複雑な心情で頷いた。

 そんな紫苑の心境を読み取ってか、飛燕は何とも言えない表情になって彼女の頭をぽんと叩いた。


「ーーーーおやすみ、紫苑」

「…………おやすみ、なさい」


 そう言って彼女は飛燕に背を向ける。

 歩きながら、胸を押えた。

 ……飛燕が自分の事を『紫苑』と呼ぶ度、同時に心臓がキュッと音を立てて締めつけられる感覚がする。

 何となく、懐かしくて、何となく、……寂しい。

 確かに自分はこの人を知っているはずなのに、全く知らないのだ。

 ……忘れてる。でも、心の奥底では、覚えてる。


 ーーーー私は、この優しい声を……知っている。

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