第3話:新生活スタートです

「……正直に言って、異世界に行ったことも俺にとっちゃどうだってよかったんだ。アイツを亡くしてから、なぁんかやる気が一気に失せちまってなぁ。だけど、あっちの世界はここにはないことばっかりでとても刺激的だった」

「刺激的……ね」

「おぉそうだ! まぁ文明レベル的に言やぁこっちの方が断然いいぞ? あっちにはテレビもパチンコもないからな。だが、それを補うには十分すぎるぐらいの刺激があそこにはある。例えば、めっちゃかわいくて美人なねーちゃんとかな!」

「親父……!」

「勘違いすんなよ龍彦」



 と、あっさりと放った拳打を受け止めた父がにしゃり、と不敵に笑った。



「マジかよ……!」



 酷く驚愕する龍彦。

 女性の存在が出た瞬間、沸点が一気に限界に達した。

 やっぱりクソ親父はどこまでもクソ親父だ! 一切の加減をする必要はこの瞬間よりなくなったし、なんなら殺すつもりで龍彦も拳打を放った。


 それをこうもあっさりと、拳を包むふわりとした優しい感触に龍彦は激しく驚愕する。


 どうやったのか、原理については皆目見当もつかない。それ以前に何かしらの技であろうが、龍彦が知る限りこの技が存在しない。


 ――これが、異世界で身に付けた技ってことなのか……!

 ――クソ親父め、前よりずっと強くなってやがる!



「まぁそう興奮すんなって――確かに、俺は現地でいい女にたくさん出会って、それでこうして娘新しい家族を持つことができた。だけどいつも俺のここにはお前らがいたし、片時だって忘れたことはない。俺が既にバツイチってことも知ってくれた上で、そいつらは俺の妻になってくれたんだ。今日こっちに帰ってきたのだって、そのためだからな」

「そのためって……」

「引っ越しの準備だよ。母さんの仏壇とか、その他諸々のな」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ親父! ここを……いや、この世界を捨てるって言うのか!?」



 父のあっけらかんとした言動に龍彦は狼狽するのを禁じ得ない。


 室町時代から数えれば、それだけの長い歴史と思い出がこの屋敷にはいっぱい詰まっている。


 楽しかったことも、辛かったことも、それらすべてがあったからこそ現在いまがある。


 龍彦にとって我が家は、唯一心安らぐ憩いの場所だ。



「確かにここは俺にとっても色々と思い出があるよ。だけど拘っちゃあいない」

「だ、だからって……」

「一つ先に教えておいてやる、馬鹿息子よ。あっちの世界はここよりもずっと強い奴でいっぱいだぞ」

「……ッ!」



 父の発した一言は、龍彦の心を大きく揺さぶった。



「そりゃここにも強い奴っつーのはいるだろうさ。けどな、所詮強いって言ったって全員等しく人間だ。それに比べてどうだ異世界は! 本物の化け物がゴロゴロと存在してやがる……そんな相手に思いっきり自分の全力をぶつける。これほど武術家にとって嬉しいことはないんじゃねぇのか?」

「そ、それは……」



 認めたくはないし悔しい、が確かに一理はある。

 これまでに喧嘩をしてきた相手は等しく、強者と呼ぶに相応しい輩ばかりだった。

 中にはそれこそ、殺し合いの一歩手前まで苛烈に戦ったことも少なからずある。


 正に死闘と呼べて、しかしながらこの経験があったからこそ強く鳴れたのもまた事実。


 龍彦は、誰よりも強くありたい。

 そう心からいつも思い、修練を欠かさずしてきた。


 ――俺も、強くなれるのか?

 ――クソ親父のように……いや。

 ――クソ親父なんかよりもずっと、強く……!


 異世界について興味がない、と言えばそれは嘘になってしまう。

 かく言う龍彦も幼少期から異世界の存在には強い憧れがあった。


 物語の主人公に己を投影させ、好き勝手に物語を脳内で紡いでいくことも多々あった。


 だから父の言葉には、恐ろしいぐらいの魅力がある。



「……俺は――」

「まぁ、その話については別に焦らなくてもいいさ。急いては事を仕損じるって言うしな――さてと、それじゃあ俺はそろそろ行くわ」

「え? い、行くってどこに!?」

「そりゃお前、決まってるだろ。引っ越すんだからあっちの世界に帰るんだわ」

「も、もう行くのかよ……」

「あんまし今のカミさん待たせるのもな。なかなか嫉妬深いところがまたかわいいんだけど」

「それでお父様、お母様に一度背中からバッサリ斬られましたね」

「え?」

「アタシのママからも何発か至近距離で撃たれたんだっけ」

「えぇぇぇぇぇぇっ!?」

「いやぁ、あん時はマジでやばかったぜ」



 もはやツッコミが追い付かない。


 和気藹々わきあいあいと語る内容ではまずないし、寧ろそれほどの傷を負ってよくもまぁ生きていたものだ。


 けろりとして、父娘三人明るく笑う姿に龍彦だけが、ただ一人呆然とすることしかできなかった。



「――、っというわけだから龍彦よ。お前にはしばらくの間、こいつらを預かってほしいんだ」



 またしても予想外かつ突拍子もなさすぎるその発言に、龍彦はあんぐりと口を開けた。



「……はい?」

「いきなり俺達と一緒に来い、だなんて言ったってお前も心の整理がつかないだろ。だから一か月間、新しくできた姉妹と一緒に暮らしてみろ。一か月したら迎えに来るから、その時にどうするか、答えを出すんだ」

「ちょ、本当に待ってくれって! えっ!? この娘達と一緒に暮らせってか!?」



 激しく狼狽しながら龍彦は、カエデとフィオナの方をバッと見やった。

 二人は、何故か頬をほんのりと赤らめてうっとりとしている。

 どこか妖艶な雰囲気をかもし出す二人は正しく女の顔だ。


 新しい姉妹だ、などといきなり宣われても接点がまったくない龍彦にとっては、彼女らは等しく異性であり、年齢も差ほど離れていないので余計にそう意識してしまった。


 ――いや無理無理無理無理!

 ――俺の身が色々持たないって!

 ――めっちゃ気ぃ遣うじゃん! 憩いの場なのにめっちゃ落ち着かないじゃん!


 自分はともかくとしても二人が納得しているとは限らないではないか。


 そんな龍彦の一縷いちるの望みも姉妹の言葉によって呆気なく打ち砕かれる。


 そもそも彼女らがうっとりとした表情かおをしている時点で、最初ハナからこの結末は決まっていた。



「わ、わたくしは是非兄上様と一緒に暮らしたいです!」

「パパが住んでた世界っていうのも気になるし。それにあっちの世界に帰ったらどうせ一緒に暮らすんだから、その予行演習としては十分じゃない?」

「じゃあ二人とも問題ないってことで。そんじゃ龍彦、後のことよろしくな」

「え、え、えぇ!?」

「お前もいい加減腹括れよ……遅かれ早かれ一緒に同じ屋根の下で暮らすことになるんだからよぉ」

「いや、でも、その……!」



 流れが完全に不利になっている。

 このままだと本当に、かわいくて美人な姉妹と一緒に暮らすことになる――いざ冷静になって考えてみると、そんなに悪くはないかも……? 美人姉妹と同じ屋根の下で暮らす、これも創作界隈ではよくあるシチュエーションの一つということを龍彦は知っているから。


 一瞬だけでもぐらりと浮ついた己に喝を入れるべく、頬を思いっきり殴った。

 痛みと熱が再び心に冷静さを取り戻させる。



「……よし」と、龍彦。



 無理だと答えよう。

 そう思って父の方を見やれば、既にどこにもいない。

 カエデとフィオナも同様に忽然と姿を消していた。



「あ、あれ? み、皆どこに――」



 不意に、楽しそうな会話が遠くから聞こえてくる。



「そんじゃ荷物も纏めたし、俺ァ一旦帰るわ。一か月後に迎えに来るから、アイツと仲良くな」

「はいお父様! お母様にもよろしくお伝えください!」

「その時までには龍彦ちゃんを堕としておくから、孫の顔を楽しみにしててねパパ」

「は? 殺しましよ?」「やれるもんならねおチビちゃん」

「だ~か~ら~、姉妹では仲良くしろって言ってるだろ」

「ちょちょちょちょ! だからちょっと待ってくれってクソ親父!」



 大量の荷物を、明らかに総重量は50kgを優に超えている。


 しかし重さを感じさせる様子もなく、スイスイと軽快な足取りで遠ざかる父の後姿を、龍彦は呆然と見送るしかできなかった。



「…………」



 残された龍彦は、ゆっくりと二人の方を見やる。

 返される笑みは、太陽のように暖かくて眩しい。



「えっと、不束者ですがこれからよろしくお願いします兄上様」

「龍彦ちゃん、困ったことがあったらいつでも遠慮なくお姉ちゃんを頼ってね?」

「あ、あはは……」



 ――これから先、どうなるんだろう……。

 ――マジで不安しかない。


 嬉々としたカエデとフィオナとは真逆に、胸中に不安を渦巻かせる龍彦は力なく笑うことしかできなかった。

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